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辺境の村

「ふむ……つまり君達は、気が付いたらここに居た、ということか?」

「そういうことになるかな?」


 魔物を無事殲滅した悠人達は、樹海から出る道すがら、互いの事情を説明していた。


 とはいえ悠人が説明したことは、気が付いたらここに居たということと、途中でユーリと出会い共に行動することになった、ということぐらいだ。

 異世界にやってきてしまったということは勿論のこと、勇者や魔王といったことなども欠片も触れていない。

 それでも嘘は吐かず、事実のみを口にし……ただしその際、敢えて誤解させるような言い方をすることはしたが。


 だから今クリスは、達、というような言い方をしたのだ。

 おそらくクリスの中では、ユーリも自分で望んでここに来たわけではない、という扱いになっていることだろう。

 勿論それはある意味では正しいのだが、ある意味では間違っている。

 ユーリは確かにここを狙って跳んだわけではないが、跳んだことそのものは自分の意思でしたことだからだ。


 しかしそこを敢えて混同させるような真似をしたのは、そうした理由を問われることを忌避してのものである。

 聞かれたらユーリは普通に答えそうな気がしていたし、そうなれば勇者と魔王という話へと必然的に繋がってしまうだろう。

 それは出来れば避けたかった。


 別に悠人に面倒事を避けるという方針は今のところ特にないし、あったならば最初からユーリやクリスに関わろうとはしていない。

 だがそれとこれとは話が別だ。

 どう考えても面倒事程度で済みそうにない以上、そこを避けるのは当然のことであった。


 ちなみに悠人が敬語を使わなくなっているのは、本人からそう言われたからである。

 何でも恩人に敬語を使われるのは落ち着かない、ということらしい。

 別にそこまで大層なことをしたわけではないのだが、悠人としてはそちらの方が楽なのは事実だ。

 ならばということで、普通に話すようになったと、そういうことである。

 閑話休題。


「なるほど……では一つ聞くが、君達は魔の樹海という名前に心当たりは?」

「少なくとも、ここに来る前に居た場所では聞いたことなかったかな?」

「私もですね」

「ふむ……この周辺では知らぬ者がいないここの名を知らぬとなると、些か厄介そうな状況だな」

「そうなの?」

「ここは君達も知っての通り、魔物の数が多く、またその多くは強力だ。一般人には立ち入らないように勧告が出されているし、恐怖や危険なものの代名詞として用いられることもある。それを知らぬとなると、かなり遠くから来たということになるだろうからな……帰還は困難だろう」

「なるほど……まあ、すぐに戻るつもりもないから、それは別にいいんだけど」


 というか、戻ったら何をされるか分かったものではない、とも言う。

 直接的に何かをされた覚えはないが、身一つでこんな場所に投げ捨てられたのだ。

 殺意が高すぎるし、今度こそ直接的な手段に出てきても不思議はないだろう。


 まあそれで悠人がどうこうされるかはまた話が別だが、敢えてそんなところに飛び込む理由はない。

 それにどうせ魔王はすぐ傍に居るのだから、そのうち向こうからやってくることだろう。

 こちらから出向く必要はなく……その時どうするかは問題ではあるが、そんなことはその時にでも考えればいいことだ。

 何にせよ、あそこに戻るつもりはないということに、違いはなかった。


「私も元居た場所に戻るつもりは特にありませんので、問題ありませんね」

「ふむ、それはそれで寂しい話というか、何やら事情がありそうではあるが……まあそれは、君達の問題か。ところで君達は、これからどうするつもりなのだ? 元居た場所に戻るつもりはない、ということは分かったが」

「それも特に決まってはいないんだけど……まずは情報収集、かな? 色々と分からないことがあるし」

「私もおそらくはそうなるかと」

「確かに、これから何処に向かい何をするにしても、まずは情報が必要か。道理だな」


 まあおそらくクリスが思っていることと悠人達が思っていることは違うだろうが。

 悠人達のそれは、主にユーリの事情をどうにかするためのそれだからだ。

 もっともそれでやることに違いがあるかというと、多分ないのだろうが――


「となれば、都に向かうのが最も手堅いだろうが、何か伝手のようなものは……あるわけがない、か」

「そもそもここが何処なのかも分からないレベルだからね」

「当然その都という場所が何処にあるのかも分かりませんし」

「だろうな。となれば、ふむ……よければ、だが、わたしと一緒に行くか?」

「え、いいの?」

「それは……こちらとしては、助かりますけれど」

「先ほども言ったように、わたしはこちらに派遣された身だが、報告の為に一月に一度は都に戻る必要がある。先日報告には行ったばかりのため、次行くのはしばらく先になってしまうが……その時でよければ、だがな」


 むしろそれは、こちらからお願いしたいぐらいである。

 とはいえ、どうしてそこまでしてくれるのか。


「そこまで、とは言っても、わたしとしては一緒に連れて行くだけだからな。特に負担にはならないし、道中を考えればむしろより安全性が増したとも言えるだろう。ま、それにその程度のことで先ほどの借りが返せるのならば安いものだよ」


 別にさっきのは借りと言うほどのことでもない気がするのだが……まあ貰えるのならば、貰っておくべきだろう。

 それにそうしない場合は、大体の方向でも教えてもらってから、徒歩で向かうことにでもなりかねない。

 別にそれでも問題はないだろうが……無駄なことをする必要はないのである。


「っと、どうやらそろそろ樹海を抜けそうだ。大体のことも話し終えたし、いいタイミングだな」

「クリスが滞在してる村は、樹海を抜けたらすぐの場所にあるんだっけ?」

「まあ厳密にはそれなりに離れてはいるが、樹海から抜けたら見えるから、すぐと言ってしまっても問題はない、といったところだがな……あれが、そうだ」


 視界から木々の姿がなくなった瞬間、そこに広がっていたのは草原であった。

 その遠く先、小さくではあるが、確かに村のようなものが見える。

 アレが、クリスの滞在しているという村になるのだろう。


「あれが、そうですか……確か、村の名前はないのでしたよね?」

「うむ、村の者達は呼ぶ機会がないから必要ないと言い、名付けようとしないからな。それで問題もないため、わたし達は辺境の村などと呼んでいるが」

「辺境の村、か……折角辿り着いたところで、感慨があるのかないのか、分かりづらい感じだなぁ」

「仕方あるまい。自分達の住んでいる村など、そのようなものだ」


 そんなものなのだろうか、などと思いながらも、少しずつその姿が大きく、近付いてくる。

 と、その途中で、クリスがふと思い出したかのように――


「そういえば、君達もしばらくはあの村の世話になるわけだが……金銭的なものは、持っているのかね?」









 当然のことではあるが、悠人は金銭的なものを持ってなどはいない。

 城から追い出される時はちょっと金目の物を失敬しておこうか、などという計画こそ立てていたものの、唐突であったのでそんな暇もなかったのだ。

 ユーリに関しても似たようなもので、というか、死ぬつもりであった人間が金目の物を持っているわけがないだろう。

 というわけで、悠人達の手持ちは、文字通りの意味でゼロだった。


 しかし名前すらも付けられないような辺境の村であっても、時折旅人などがやってくることはあるらしく、そのため村には宿屋が存在している。

 村にやってくる余所者は全てそこに泊まる事になっており、これは都から派遣されてきたクリスも例外ではない。

 そして宿屋である以上は、そこに泊まるには宿泊費が必要であり――


「うん、ごめん……助かった」

「すみません、助かりました」

「いや、なに、困った時はお互い様、というところだろう。それにわたしは正直金を使う方ではなくてね……貰う給金が溜まっていく一方でどうしたものかと思っていたから、ちょうどいいさ」


 それは言っても、助けられたのは事実だし、これから都に向かうまでの間助けられ続けるのも事実だ。

 借りを返してもらうどころか、逆に大きな借りを作ることになってしまったようである。


「ま、わたしもただで君達の分の宿泊料まで出そうってわけじゃない。わたしの仕事は主に、この村の周辺や魔の樹海との境界を見て回ることなのだが、さすがに一人で見て回るのは厳しいからな。君達にはそれを手伝ってもらうことになるだろう」


 それぐらいならば別に問題はない……というか、どうせ暇になるだろうから、やることがあるのは逆に有り難いというところだろうか。

 この村でも多少の情報収集は行なうつもりだが、正直なところこの村は狭い。

 村の中心に立てば、その場で一周するだけで家の数を数えられる程度でしかないのだ。

 おそらく村人は五十人も居ないだろう。

 あっという間にやることがなくなり、暇を持て余すのは目に見ていた。


「まあでもそういうことなら、精一杯頑張らせてもらおうかな」

「そうですね、頑張ります」

「ずっと気を張っていてはいざという時に動けなくなってしまうから、そこまで頑張ってくれなくてもいいんだがね。まあでも、よろしく頼むよ。もっともそれも、明日からだが」

「まあ、今日はもう無理そうだしね」


 何せ既に宿に入っている上に、外も薄暗くなり始めている。

 ここから何かをしようというのは、さすがに無謀だろう。


「さて、ではそろそろ下に降りようと思うが、問題はあるかね?」

「僕は特にないかな」

「私もありませんね」


 先に述べたように、悠人達は既に宿に入っており、今居るのはその二階である。

 理由は単純に部屋があるのがそこだからであり、自分達の部屋を確認した後で、こうして再び集まっていたのだ。

 とはいえ悠人もユーリも自分の荷物などはないため、本当に部屋を確認しただけだが。


 ちなみに当たり前のことだが、三人は全員別の部屋である。

 一人一部屋ということではあるものの、部屋は余っているということだし、それほど贅沢というわけではないだろう……多分。

 ともあれ。


「お、降りてきたね。部屋の方はどうだったかい? ちゃんと掃除はしてたから、大丈夫だとは思うんだけど」

「あ、はい、綺麗でしたし、大丈夫だったと思います」

「そうですね、こちらの部屋も綺麗でしたし、問題はないかと思います」

「そうかい。なら一安心ってところかね」


 そう言って笑うのは、この宿の主人――というよりは、女将とでも言うべきだろうか……まあ、その人である。

 エルゼという名前であり、年齢的には中年と呼ぶべき年頃なのだろうが、笑みを浮かべるその姿からは、あまりそういった様子を感じさせない。

 もっともというよりは、包容力がありそうとか、そう言った方が正しいような気がするものの……大体そんな感じだ。


「ところで、夕食はうちで食べるってことでいいんだよね? まあうち以外でご飯食べられるような場所はないし、もう準備始めちまってるんだけどさ」

「ふむ、わたしとしても一応そのつもりだったのだが……君達が望むならば、今から狩りをしてくるのも吝かではないが? 勿論その場合には、君達にも手伝ってもらうが」

「そんな願望は特に持ってないから、心配無用かな」

「私もです」

「そうか、それは残念だ」


 そう言って肩を竦めるクリスではあるが、その顔に笑みが浮かんでいるあたり、最初から冗談で言っていたのが分かる。

 だがそこで少し意外に感じたのは、もう少しクリスには堅いイメージを抱いていたからだ。


 とはいえそれは、騎士というものからくるイメージであり……つまりは完全に、悠人の先入観によるものなのだが。

 まあ、これからしばらく一緒にやっていくのである。

 ならば堅いだけの人間よりは、余程好ましいだろう。


「で、食べるってのは分かったんだけど、いつ食べるんだい? 基本的にはそっちの希望に合わせて出すけど」

「僕としてはいつでもいいんですけど……クリスはいつもどれぐらいに食べてるの?」

「わたしはその時によるな。基本はここに戻ってから作り始めてもらうという感じだが……大体日が沈んだ頃になるのが多いな」

「では、そろそろそのぐらいの時刻になりますし、もう用意を始めていただいてもよろしいのではないでしょうか? お腹がまだ空いていないというのでしたら、別ですけれど」


 その言葉に、悠人は何となくクリスと顔を見合わせると、そのまま腹を押さえる。

 正直に言ってしまえば、かなり空いていた。

 何せ昨日の夕食以降、何も食べてはいないのだ。

 即ち丸一日食べていないということになり、減らないわけがない。


「正直に言っちゃえば、一刻も早く食べたい、かな?」

「奇遇だな、わたしも同感だ。では、すぐにお願いしてもよろしいでしょうか?」

「あいよ。ならちゃっちゃと作っちまうから、座って待っといてちょうだい。すぐに運ばせるからさ」


 そう言うとエルゼは奥へと歩いていき、姿を消した。

 どうやらそっちに厨房があるらしい。

 それから調理をする音と匂いが漂ってくるまでに、大した時間は必要としなかった。


 この宿は二階に部屋があるということは既に述べた通りだが、一階の部分にはテーブルと椅子が並んでおり、食堂を兼ねている。

 話によれば、村人も食べに来るらしいが、今のところ悠人達以外の姿はない。

 しかしとりあえずは、言われた通りそこに座り……手持ち無沙汰さに、悠人はその場を見渡し始めた。


 もっとも、それで何が分かるわけでもなく、これがこの辺の一般的な食堂なのだろうかと、そんなことを思うぐらいだ。

 悠人が他に知っている食堂と言えば、真っ先に城の食堂が思い浮かぶが、さすがにあれは比較対象とはならないだろう。

 無駄に豪華なシャンデリアが吊るされているのが一般的な食堂など嫌過ぎる。


「ふむ……何やら熱心に見ているようだが、変わったものでもあったのかね?」

「というよりは、変わったものがないのかを見てる、ってところかな?」

「なるほど……差異があればあるほど、君が居た場所とこことの間に文化的な差異があるということに繋がる、か」


 そこまで考えていたわけではないのだが、確かにそういうことになるのか。

 それがあればあるほど、ここはあそこと物理的な距離が離れているということにもなるからだ。

 まあ比較対象となるものがない時点で、その調査方法は使えないのだが。


「それで、どうかね?」

「うーん……とりあえず、変だと思うようなところはない、かな?」

「ふむ……ユーリ君の方はどうだい?」

「そうですね……私も特に、おかしいと思うようなところはないかと。もっとも、私はあまり一般的な食堂という場所を知らないのですけれど」

「まあ、実を言うと、僕もなんだけどね」

「む、そうなのか……だが食堂とは、その国の者が多く訪れる場所だ。ならばその国の中で、建造物的にある程度の共通した作りになっているのではないだろうか? ……かくいうわたしも、ここ以外の食堂となると、城のもの以外知らないのだが」


 じゃあ駄目ではないだろうか。

 どうやらここを見たところで、何か手掛かりになりそうなものは見つからなそうであった。


 まあそんなことを思いつつも、実際のところ、悠人は最初からそういう目的で見ていたわけではない。

 ぶっちゃけただの暇潰し目的なので、それでも何の問題もなかった。

 と。


「え、えっと、あの……お水をお持ちしましたなの、です」

「お、今日もアンナ君は手伝いかね? 感心だな」

「むぅ……その通りだけど、わたしは女の子なんだから、君はやめて欲しいっていつも言ってるの」

「ははは、すまんが、これは癖のようなものだからな。これもいつも言っているが、諦めてくれ」


 そうしてクリスと話しているのは、厨房の方から水を持ってやってきた一人の少女であった。

 いや……少女というよりは、幼女というべきだろうか。

 おそらく年齢的には、十歳前後というところだろう。

 如何な異世界とはいえ、働くには幼すぎる年齢だし、実際今もかなりたどたどしい動きではあったが――


「えっと、クリス……そっちの娘が、さっきも話してた?」


 この宿はエルゼ一人で切り盛りしているというのは、既に話で聞いていた。

 その際一人娘が居るという話も聞いており、二人の会話を聞いている感じでは、その幼女がそうなのだろう。

 そしてその推論を確定させるように、クリスは頷いた。


「そうだ、エルゼさんの一人娘で、この店の看板娘でもある、アンナ君だ。まあ看板娘とはいえ自主的に手伝っているだけだが、かなりの人気者だぞ?」

「え、っと……はじめましてなの、です。アンナなの、です。よろしくなの……です」

「うん、初めまして。僕は悠人。よろしく。ああそれと、僕にもクリスみたいに普通に話してていいよ。僕も丁寧に喋るの、あまり好きじゃないし」

「初めまして、ユーリです。よろしくお願いします。それと、私もそれで構いませんよ。私のこの口調は癖のようなものですから、気にしないで結構ですし」

「あ、えっと……ん、分かったなの、で……分かったの」


 やはり無理していたのか、幼女――アンナは、頷くとほっとしたような笑みを浮かべた。

 それを見ていると、なるほど確かに人気が出そうではあった。

 もっとも、小さな村だから、年老いた者が多そうな故、とかいう、かなり偏見に満ちたものが理由ではあるが。


 と、その瞳が、悠人とユーリの間を交互に動き……それに、悠人は首を傾げた。

 はて、何か興味を覚えるような外見でもしていただろうかと思いつつ――


「どうかした?」

「あ、うん……その、悠人さんとユーリさんは、クリスさんのお仲間なの?」

「仲間、か……どうなんだろうね?」

「ふむ……難しい質問だな、それは」

「確かにそうですね。……今は仲間、或いは一時的に仲間になっている状態、というところでしょうか?」

「それか、今のところは仲間、とか?」

「その言い方だと、そのうち敵対するみたいじゃないかね?」

「えっと、難しいことはよくわからないけど……じゃあ、二人も、クリスさんみたいにおっきな猪を持ってこれるの?」


 そう言って両手を広げるアンナの瞳は、期待で輝いていた。

 その眩しさに悠人は瞳を細めると、それをそのままクリスへと向ける。


「……そんなことしたの?」

「……まあしかたどうかで言えば、確かにしたな。この村に最初に派遣される際、近くに魔物が居たのを発見してな。もっともアレは、どちらかと言えば、わたしの力をこの村の皆に示すためのものでもあったわけだが」

「今の様子を見る限りでは、それで無事受け入れられた、というわけですか」

「その通りだ」

「ということは、僕達もした方がいいの?」

「いや、わたしは騎士だったのと……当時は少し事情があってね。今ならば必要ないはずだ」

「そうですか……それは少し安心しました」


 まったくである。

 アンナの広げた手の大きさからするに、かなりの大物だったようだ。

 それを倒すのは特に問題ないだろうが……それを探すのと、ここまで運ぶのを考えれば、やらないで済むに越したことはないだろう。

 が。


「え? 持ってこないの? ……ちょっと楽しみだったの」

「あー、そういえばあの時は村中に配るため、軽いお祭り騒ぎになっていたか。それは期待させてしまって済まなかった」


 しょんぼりと言うように、眉を下げ、肩を落とすアンナに、クリスは苦笑を浮かべる。

 だがそんな姿を見た悠人達は顔を見合わせて……ふっと、諦めたように息を吐き出した。

 その顔に浮かんでいるのも苦笑だが、クリスのそれとは意味合いが異なるだろう。

 最初から頑張る予定ではあったが、どうやら明日は一段と頑張らねばならないらしい。

 そんなことを思ってのものだ。


 エルゼが厨房から出てきたのは、二人でそんな決意を密かに固めている、そんな時であった。


「っと、少し待たせたかね。お待ちどうさま……って、ん? アンナ、何かあったのかい?」

「え? う、ううん、何でもないの」

「そうかい……ま、料理は出来たから、手伝ってくれるかね? 運べるものだけでいいからさ」

「うん、分かったの!」


 表情を取り繕ったアンナが、そうして厨房へと姿を消すのを眺め……悠人達は再度顔を見合わせると、やはり苦笑を浮かべる。

 やはり、頑張らねばならないようだ。


「ふむ……その様子だと、何かアンナが無理なことでも言ったのかい? なら、気にしないでいいからね?」

「いえ、別にそういうわけじゃないんで、大丈夫です」

「そうですね、別に無理ではないので」


 そんなことを言っている間も、エルゼはてきぱきとテーブルに料理を並べていく。

 終わったら厨房に戻ってまた皿を持ち、アンナも手伝い……それを三往復ほど繰り返せば、テーブルの上は料理で埋め尽くされた。


「おお……これは美味そうだね」

「うむ、実際美味いから、存分に期待するがいい。正直わたしとしては、ここから戻ることになった場合は、料理番として連れ帰りたいぐらいだからな」

「それは凄そうですね……期待するとしましょう」

「あっはっは、そこまで言われると悪い気はしないけど、あまり期待はしないでおくれよ? 所詮こんな辺鄙な村の料理なんだからさ」


 そうは言いつつも、その顔に笑みが浮かんでいるのは、きっと自信の表れだろう。

 そう思いつつ、両手を合わせ食べ始めれば……その味は、まさに期待した通りであった。


「うん、美味い!」

「だろう?」

「確かにこれは美味しいですね……正直、予想以上です」

「ままの料理は世界一だから、当然なの」

「そう言われても納得できそうだなぁ」

「あたしなんてまだまだだよ。少なくとも城に上がるような連中は、あたしより何倍も腕がいいだろうしね」


 そうだろうかと思ったのは、正直悠人にはこの料理の方が、あの城で食べたのよりも何倍も美味しいと思えたからだ。

 まあ貧乏舌と言われてしまえばその通りだが……何となく、こっちの方が悠人の舌に合っているような気がしたのである。


 ともあれそうして三人で舌鼓を打っていると、外が僅かに賑やかになり始め、直後に扉が開いた。


「おっ、今日も美味そうな匂いが漂ってんなあ」

「ああ、今日は客人の数が多いからか、尚更だな」

「おお、今日も料理は美味そうだし、アンナちゃんは可愛い。最高の締め括りになりそうじゃな」

「おや、あんたらも来たのかい。いらっしゃい。ま、ちょうどいいタイミングではあったね。さてアンナ、忙しくなるよ」

「ん、がんばるの」


 店の中もにわかに騒がしくなり始める中、それでも三人は料理を食べ続け、一時の幸せな時間に浸るのであった。

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