Leave a ノート 〜君へ〜
また君がいなくなった。
私と、一通の置き手紙だけを残して。
「ここになら、私を傷つけるものもないわよね」
気付けば私は 夜明け前の海辺にいた。まだ薄暗い、葉月の砂浜。
温かい砂。この砂は私を傷つけない。
この砂の上を歩いてどこまでも行ける。ここになら、悲しい知らせも届かない。
彼がいなくなったのは、これが初めてじゃない。
彼はよく些細なことでいなくなっては、すぐに戻って来た。
そんなとき、いつも彼は私のデスクに残して行く。
ちょっといじけたような、でも私の大好きな字。
“少しだけ距離を置きたい”
“本当に俺のこと、必要だと思ってる?”
――――置き手紙。
さら、と柔らかい音を立てながら、静かに座る 砂の上。
大丈夫よ。君がいなくたって 私がいなくたって、この世界は回る。太陽は昇る。
新しい一日が、ちゃんと始まる。
私は、持っていた紙切れを握りしめた。
強く握れば握るほどに、涙があふれるその紙切れには
“――――ごめんな。もう疲れただろ。”
これまでとは明らかに違う筆跡。
私の好きな彼の字にはとても見えなくて。まるで別人が書いたみたい。
見たこともないくらいに崩れた彼の文字が、ゆがんだ視界に浮かび上がった。
それを見ればすぐに、彼の心情がいつものとは違うことが読み取れる。
何があっても絶対に自分を下げようとはしない彼が「ごめん」なんて言うはずがない。
だからね。
いなくなった君の笑顔は、もう二度と独り占めできないのかもしれない。
それでも私は信じてる。
だって君はいつだってそう。
言葉を交わすのが苦手なんでしょ。君はいつでも『置き手紙』。
――――だから今度のもまた、なんてこと無い手紙よね。
薄い雲の隙間から朝日が差した。砂浜はみるみるうちに白に染められていく。
「私は何にも疲れていないわ」ひとつ呟いて、私はまた歩き出した。
君がいなくなるたびに、私の目は男を捜した。身体が男を求めた。
もちろんその男は、他でもなく君自身。
でもそれも君からしたら、ただの不安の要素だったのよね。
だって誰を求めてるかなんて、私以外には分からない。
――――きっと、君にも。
それが彼を動かした理由だったんでしょうね。
『疲れただろ』と私に言うのは、たぶん自分を責めた結果。
たしかに彼の束縛で困ったことは、これまでにも少しはあった。
――――でもね。あんなに怠け者だった私が、毎日会社に行けた理由、知ってる?
さあ、君にお別れを言う時間。
君に会うために、私は毎日働いた。この2年間が充実したのは君のおかげ。
けれど。
私を満たしてくれる君は、もういない。君を満たすことのできる私も、今はもういない。
光が降り注いだ砂の上、私はそっと海に足を差し入れた。
ここでなら、お別れできる。
もしも今 私がこの海に身を投げたとしても、それからの未来がどうなるかは誰にも分からない。
死ぬか生きるか。その二択は確実だけれど、そのあと私がどこに辿り着くかなんて分からない。
わざと大きな音を立てて深い海へと歩いていったのは、
本当は最後に君に見つけてほしいと思っていたからだったのかな……?
最後に少しだけ。夢でもいいから、
――――君の声が聞きたかった、な。
ふと、誰かが私を呼んだ。「君、何してるんだ」
今さら振り返るわけもない。それに、彼の声でもない。
逃げるように、私は沖へと足を動かした。が、足下の海はまだ足が着くほど浅かった。
――――海水を飲んだ。手足をとられた。このまま死ねる、と思った。
なのに。
次の瞬間 私の身体を誰かが、いとも簡単に持ち上げた。
ぼんやりと霞んだ視界に入ったそれは、一瞬にして男の腕だと確信できた。
……けど。
私はそれきり、意識を失ってしまった。
私を助けてくれたのは港町のサーファーだった。
「見たことない人が、ひとりで海 歩いてたから」彼は言った。
「すみません、迷惑かけちゃって」
「そんなことないよ」そう言って彼は、優しい笑顔を見せた。
彼は一つ年上だそうだ。
それは私にはあまりにも運命的すぎる出逢いだったけれど、彼は独りでも大丈夫だと言った。
だけど彼はどこか訝しげだった。
君がいなくなって、見えるようになったものはたくさんある。
君の良いところ、私の欠点、それから……他の男。
もしも本当に、いなくなった君がもう私のものではないのだとしたら――――。
この人と一緒になること、少しだけ考えてもいい?
星に願いを唱えるように、花に名前があるように、私にも君がいたらいい。
そしたら今からでも遅くない、君に「おかえり」って言えるのに。
他の男の優しさに甘えるまえに、少しでいいから君に触れたかった。
――――今じゃもう遅いんだね。
私はもう、君のものには戻れない。
他の男を知った私は、もう君のものじゃない。
◇◇◇
夜明け前の海辺。それはいつか見た景色と同じだった。
違うのはただ一つ、私の隣には 君の知らない男がいる。
君はきっと驚くでしょう。
すっかり片付いた私のデスクに。君のデスクの上の『置き手紙』に。
“――――今度また急にいなくなるときは
もう、何も要らないよ”
中2の時、ある楽曲をベースに実話を交えて作った思い出深い作品です。
どうもありがとうございました。




