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ページ2 やれるかどうかの問題じゃない

ページ2 やれるかどうかの問題じゃない

It's not a problem that if you can do it or not


 つやのある茶色の長い髪、青く輝く瞳、すらりと伸びている手足、そしてバランスのいいプロポーション。その身に包んでいるのはブラウンのジャケット、英語のロゴ入りの黒いシャツ、赤いミニスカート、そして黒のオーバーニーソックス。そんな彼女を、床に転がっている努は見上げている。


 ……なんてキレイな姿だ。子供だった頃は特に意識していなかったが、いつからこんな美人になったんだ、と努は思っている。


「こら、いつまで見てるの。床が冷たいんだから、早く起きないと風邪引くわよ」


 自分に止まっている視線の熱さが耐え切れなかったのか、雪奈は急にポッと頬を赤く染めながらしゃがみこみ、努を起こそうと手を差し伸べた。


「あ、ああ……悪い」


 自分の失態に気付いた努は、慌てて雪奈の手を取って、何とかして体勢を立て直す。


「んで? また小説の新人賞応募が落ちたの?」

「げっ、まさか今の聞かれてたのか……」


 雪奈のニヤケた顔を見て、思わずぞっとする努。二人は隣に住んでいるだけでなく、二階のバルコニーも繋がっている。恐らく努が叫んだ時に、その声が雪奈の耳に入ったのだろう。そして努の様子が気になった彼女は、バルコニーを通って努の家に入ったのだ。


「そりゃ、努があんな大声を出したから、イヤでも聞こえるでしょう」

「そ、それもそうか……」


 雪奈に指摘され、先程自分の行動を思い出した努は、無意識に頷いて納得する。


「それにしても、まさか野菜ジュースを飲んで死んだ振りをして、あげくに『小説書くのを止める』と言い出すなんてね……」

「め、面目ない……」


 努のふざけた真似の始終を目撃した雪奈は両手を開くと、やれやれと言わんばかりに頭を横に振っている。そんな雪奈を見ている努は、気まずそうに目を逸らす。


 しかし次の瞬間に雪奈が発した言葉が、努の全身の神経を震わせる。


「……だったら、書くのを止めれば?」

「えっ?」


 それは今まで何十万字も書いてきた努には、考えだにしなかった発想だ。彼にとって、自分は小説を書くために生まれてきたような存在だ。確かに落選する度の苦しみは辛いが、それでも何度も立ち上がって書き続けてきた。さっき言ってた「小説を書くの止めようかな」っていうのも、あくまで弱音を吐いただけで、本気で言っているわけではない。


 だが雪奈は違った。一見不真面目ながらも誰よりも付き合いの長い彼女は、彼の言葉を真剣に受け取った。


「だって、最近のあんたを見てると、なんか最初に小説を書いてた頃の、あの楽しんでる感じがなくなってる気がしてきたの」

「そ、そんなことは……」

「ううん、あるわよ! だってそうなんでしょう? 毎日ずっとアクセス数ばかり気にして、たくさん来てたら喜ぶけど、少ない時はイライラしてて、スマホを投げ出そうとしてたくせに! 始めたばかりの時の、『ああ、また新しい物語が書けて満足したな』の言葉はどこに捨てたの!」

「うっ……!」


 窘める雪奈の声を耳にして、言葉に詰まって反論できない努。確かに雪奈の言う通り、小説は楽しんで書くもの。しかしいつからだろうか、努は勝利への執念を燃やす一方で、そのもっとも大事な基本を忘れてしまった。


 そこで、努はあることを思い浮かぶ。それは二人の間に結ばれた強い絆で生まれた、輝かしい未来への約束だった。


「だって、雪奈も声優を目指して頑張ってるんだろう? それに、俺の書いた小説が新人賞に当選されてアニメ化されたら、ヒロインをやらせてって言ってたじゃん」


 そう、努だけじゃなく、雪奈も立派な夢を持っているのだ。感情豊かな彼女は、アニメやドラマを見る度に登場人物のセリフで何度も感情移入したことがあったのだろうか。未来への道を決めた彼女は、様々な作品の台本をかき集め、暇のある時に自室で発声練習に励んでいる。最初は少しうるさいと思っていた努だったが、次第にそんな彼女の努力を受け入れ、小説を書く時も彼女の声を聞いたとたんに作業用に流している音楽を消し、自分を励まそうとする。


「なんとしても新人賞に当選して、雪奈と二人で輝かしい未来を切り開くぞ!」


 もしかしたら、これが努が無茶をする理由かもしれない。もちろん自分の作品がもっと多くの人に認めてもらいたいのもあるが、それはもはや彼だけのためではなかった。


 しかし、そんな努の努力を打ち砕くかのように、彼が応募したコンテストがことごとく落選した。本人には気付いていないようだが、彼は落選する度に焦燥と不安を募らせ、もはや本来の目的を忘れていた。


 そう、まるでギャンブルに負けた人が、今まで賭けたお金を全部勝ち取ろうとするかのように……


 さて、話を二人の会話に戻そう。二人の夢を持ち出した努に、雪奈はどう答えるだろうか。


「その気持ちはすごく嬉しいけど、それであんたが気を尽くしすぎて疲れたら、あたしは全ッ然喜べないんだから!」

「な、なんだって……! 雪奈、そこまで僕のことを……」

 雪奈の熱さのこもった言葉に、思わず動揺する努。まさかいつもツンツンした態度を取っている彼女はそんなことを言うとは思わなかっただろう。

「当たり前でしょう。これでも幼なじみなんだから」

 思い返して自分の言ったことの恥ずかしさを感じたのか、雪奈は顔を赤く染めると視線を逸らした。

 

 一方気疲れ気味の努は、食卓の周りに並んでいる椅子を手前に引くとそこに座り始めた。少しの間が空くと、彼の口から一つ小さな溜め息が漏れる。そんな彼を見て、雪奈は困った笑顔を浮かべる。

「疲れてるみたいね。しばらく休んだほうがよさそうじゃない?」

 そう言いつつ、雪奈は飲み物を取ろうとゆっくりと冷蔵庫へと近付く。


「ああ、そうだな。ところでさ……」

「ん? なによ改まって」

 なにやら努は意味深なことを言いそうな雰囲気で、雪奈は無意識に眉間を顰める。


「やはり僕は、小説家にはなれないんじゃないかな」

 天井を眺めている努は、虚ろな目を浮かべながら雪奈にそう質問した。すると、何故か雪奈は笑い出した。


「ぷ、ぷう……ぷぷぷぷぷ」

「な、なにがおかしいのさ」

 雪奈の突然の反応に戸惑う努。自分はこんなに真面目な話をしているのに、まさかこんな風に返されるとは思わなかっただろう。


「今更そんなことを聞くの? 38回も落選したあんたが……いや、今は39回か」

「は、はぐらかさいで答えてくれよ」

「はいはい、そう焦らないの。そうね……39回も落とされてまだそんなに踏ん張れるなんて、よほど強いメンタルを持ってるんじゃないかしら。あたしだって、オーディションで何度も落とされたしね」

 グレープジュースが入った1リットルの紙パックを持った雪奈は、努の向こうにある椅子を引いて座った。


「へー、そうなんだ。けどそれは僕が、頑張ればきっと報われるって信じてるから」

「そう。それなら頑張ればいいんじゃない? あんたの一番すごいところは、諦めの悪いところなんだから」

「でもさ、いくら頑張ったって、結局誰にも見向きしてもらえなかったし……」

 励ましたにもかかわらず、またしても弱音を吐く努。そんな彼を見て痺れを切らしたのか、雪奈は大きな溜め息を漏らす。


「あのね……落選して落ち込むのは分かるけど、これだけは言わせてもらうわ。あんたに小説家になれるかどうかの才能があるかどうか、そんなのことはどうでもいいのよ」

「えっ?」

 雪奈の熱い議論に、目を見開く努。なぜなら、彼は自分がここまで小説を書けたのは、溢れる才能を持っていると思いこんでいたからだ。

 しかし突然、目の前で幼なじみに自分の信念をばっさりと切り捨てられた。落ち着いていられるほうがおかしい。


 グラスに注いだグレープジュースを飲み干した雪奈は、話を続けた。


「一番大事なのは、『あんたが小説を書いたかどうか』、ただそれだけなのよ。いくら優れた才能を持っていても、何もしなければただの空想にすぎないわよ」

 耳を澄まして雪奈の激励の言葉を聞き取った努は、驚きのあまりにただ黙って何も返せなかった。


 ……そうか、そうだったのか。なんで今まで気付いてなかったんだろう。

 塵も積もれば山となる。たとえ書いた文章が短くても、それは確実に形のあるものとして残る。昔の科学者たちだって、発明品と呼べるものを作った前に、たくさんの失敗品を生み出したじゃないか。

 恐れることはない。仲間の言葉を信じて、もう一度頑張ればいいだけだ。


 努の胸に、そんな熱い思いが沸き上がる。彼は俯いていた頭を上げて、真剣な眼差しで雪奈を見つめる。

「ありがとう、雪奈。おかげでまた前に進める気がしたよ」

「ふふっ、よかった。あたしの努力も無駄じゃなかったってわけね」

 再び笑顔に戻った努を見て、雪奈も思わず口元を緩めた。

 静かな台所の中で、ただ二人の若者の笑い声が飛び交う。その中に潜んでいる意味は、その場にいる者しか知らない。

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