第六十六章 麻衣と栞(一)●
病院から退院してから一ヶ月。
学校での麻衣との関係は、軽く避けられていて気まずいままの状態が続いている。
俺が近づくとすぐ避けるようにどっか行っちまうので、話もできない。
少し時間を空けて気持ちが戻るのを待つことにしてたが……。
中三の縁遠くなったパターンに戻っていて、不安になってきていた。
彼女自身は何かに没頭しているようで、友達に聞きまわってメモをしていたのを見かけるが内容まで知らない。
俺自身も土日は希教道の手伝いと、放課後は車の免許で教習所に通うことで、すぐ帰るようになっていてすれ違いも多い。
佐野雅治と椎名瞳の二人からも、どら焼きの一件以来、話が少なくなっていた。
彼女とまた関係を終わらせたくないのだが……。
問題の歩くLSDを返上するべく、この一ヶ月間練習をして念体を自由に調整できるようになってはいる。
移念体が発生しないと栞教官からお墨付きももらっているし。
勝手に零翔けを通さないように強化した自己遮断も上手くできるようになり、栞との行き来も調整の末、イメージした暗証番号を唱えることで解除され、お互いが出入りできるようになってもいた。
なお、噂で阿賀彩水が学園の影の黒幕となっていて、恐れられだしたと聞いて能力を使ったのかと危惧する。
人のことは言えない身なのだが、廊下で直人に会ったときその辺を聞いてみた。
拝み屋巫女と知られだしたときに、希教道と谷崎製薬の会談狙撃事件が持ち上がり、やくざとの繋がりがあると尾ひれがついた噂が広がったそうだ。
性格もわざわいして、周りから怖がられていることだが、本人はその状態を満足しているという。
やはり彩水だった、大物になるわ。
一学期の中間テストが終わった隔週土曜の授業。
休み時間に教室から廊下に出ると瞳から声をかけられた。
「広瀬ちょっといいかしら」
「何だ? めずらしい」
瞳は周りを見てから、俺に対峙した。
「麻衣のことだけど」
「おっ、それは聞きたい」
「口止めされてたけど、見てられないから教えるね」
なんの話だ?
「恐怖を克服するって、連日ホラー映画を見続けているのよ」
「えっ?」
あいつ、そんなことをしてたのか。
「友だちから、ホラー映画の情報を集めていてね。それを片っ端から見ているようなの」
「ムチャしやがって……」
もしかして、恐怖の克服か?
最近、別れるとか言い出すんじゃないかと不安になっていたから、ちょっと嬉しいかも。
「ここのところ驚くことが多いのよ。さっきも後ろから声をかけただけなのに酷く驚いてね。大丈夫って言ってたけど、弊害が出ている風に見えるのよ」
「うーん」
見すぎて中毒起こしているってことか?
他にやりようなかったのか、どうしたものかな。
「あなた達が上手くいってないのはわかるけど、何とかしなさいよ」
「おっ、おう。もちろん、何とかするつもりだぞ。うん」
帰りにでも、無理やり会って話をしよう。
放課後、帰り際に麻衣に近づくと、鞄を胸に押さえて構えられるが無視した。
「話があるんだ。ミステリークラブ出るなら待つけど」
目をまん丸にした麻衣だが、逃げずに返事をした。
「すぐ帰るよ」
「じゃあ、歩きながらでも?」
俺の言葉に、首を小さく縦に振った。
玄関口まで歩くが、麻衣は俺の後ろからついてくる感じで話せない。
仕方なしに、靴を履き替えたあと、立ち止まって話し出す。
「報告がある。例の移念体だけど、もう出ることも移ることもないようにした」
「……うん」
麻衣は三歩ほど離れたところで、うつむいて聞いている。
「俺に触れても、もう何も起きない。それでだ、次に友達思いの瞳が、気にかけて俺に話してくれたことがある」
目を細める麻衣。
「ホラー映画三昧」
「あっ、瞳ったら」
「それって……えっと、麻衣が無理してホラー映画見ているのは……恐怖の克服方法だろ?」
顔をそむけて口を開く。
「怖いと思っていることを沢山やれば、恐怖心は薄れていくって言うじゃん」
「だからホラー映画を? 効果はどうなの、血とか赤いのが駄目だったろ?」
「あっ、赤ね。ふふっ、いっ、いいのよ。これからだから……」
何か連想したのか、片手で口を押さえながら言った。
「無理しなくていいよ。もう俺に触っても移念体は発動しないから」
「そうなの……あっ、やっぱり駄目」
麻衣は俺の前に立って肩に触れようとしたが、その手を戻す。
「映画じゃなく、俺に直接触れる方法が一番じゃない? 克服に付き合うぞ」
「んと。そこまで迷惑かけれない……」
「大丈夫だって、すぐ直る」
俺は麻衣の手を取って、胸に持ってこようとしたが、無理に引っ込められた。
「やっ、止めてよ」
驚いた麻衣は踵を返して、校門へ歩き出した。
「ああっ、麻衣。俺は決して脅かすようなこと……」
近づいて麻衣の腕を取るが、振りほどかれる。
もう一度繰り返すと、彼女の振りほどいた手が俺の顔を強打した。
まるで頬を叩かれてしまった絵づらになり、帰りの生徒が唖然として見ていた。
「あっ、ご、ごめん。つい」
「おおっ、いいぞ。ほら、俺に触ってももう何ともないだろ?」
「えとっ……うん」
麻衣は触った手を見たあと、周りに視線を移す。
下校の生徒が、俺たちを見てクスクス笑っていたが、他に何も変化は起きてない。
俺はここぞとばかりに、呆けている麻衣の腕をしっかり握り締めた。
彼女にとって厳しいだろうが、俺としては、正攻法で行くしかなかった。
このまま、ずるずるしていると中学卒業と同じく高校卒業で、また仲が解消される危惧があったから。
それは麻衣と別れることになる。
俺はそれを嫌った。
無言のままの麻衣を引っ張っていき、公園に着くとブランコに座らせる。
「麻衣から俺に触ってみてくれ」
「……んと、まだ怖いんだって」
俺が手を出すと、恐る恐る一指し指で触ると引っ込める。
「麻衣には劇薬になるけど、慣れるのが一番だろ? 俺も移念体は完全に抑えられてる。何も起きてないだろ?」
しばらく周りを見渡したあと、彼女はゆっくりうなずいた。
「信じて欲しいし、これで麻衣を失いたくない」
「わ、わかった。私だってこんなことで……壊したくないよ。ただ」
「ただ?」
「えっと、ここではやめようよ」
周りを見渡すと、柳芽学園の生徒が複数休んでいるのが見うけられ、それぞれがこちらを注視して笑い声を出しているのもいる。
俺が麻衣の体に触れるようなことをしているから、何か誤解を招いているようだった。
「じゃあ、俺の部屋へ来るか?」
「うん……行く」
彼女は小さく返事をした。
俺と麻衣は久しぶりに二人でバスへ乗り、昼食をコンビ二で買い込み、並んで歩きマンションへ着いた。
麻衣は玄関に鞄を置いて、部屋のローテーブルの前に座り周囲を眺める。
「ここ来るのって、冬の勉強会以来かしら」
「そんなになるか?」
「忍は入院やら入信やらで忙しかったでしょ」
「ああっ、そうだな……何か飲む?」
「あっ、うん。オレンジティー残っている?」
麻由姉の置き土産になったティーカップを出して、茶葉を入れたティーポットで注いで出すと喜ばれた。
「このカップで飲むと、お姉ちゃんのことが思い浮かぶのよね」
物思いにふける麻衣に、ちょっと茶化して言ってみた。
「麻衣も残留思念抽出能力あるんじゃないか? 麻由姉の姉妹だし」
「そう思う? 忍やお姉ちゃんみたいに、何か見れちゃうかな」
「練習すれば見え出すかもな……俺もよくわからないが、元々浅間家はそう言う家系のようなんだろ?」
「お姉ちゃんから聞いてた? そうよね……昔は弥彦って土地に住んでたらしいけど、その土地は今ではパワースポットブームで観光地化しちゃったみたいで、霊力が枯渇するんじゃないかって、クラブの子が言ってたな」
「ああっ、そっちに住んでたのか」
パワースポットと能力は、何か関係があるのかもしれないな。
お茶で喉を潤したら、買い付けたサンドイッチや野菜サラダを取り出し向かい合って二人で昼食にする。
食べながらホラー映画の話を振るが、場違いにすぐ気づいて訂正した。
だが、麻衣はこれも克服練習と言って、怖かった映画、ストーリーが面白かった映画のタイトルを嫌そうに語っては食事を続けてくれた。
「さてと、食べ終わったあとは」
一息ついたあと、俺は麻衣の前にあるローテーブルを横に移動して対面する。
きょとんとする彼女に一言。
「練習をしよう」
途端に体を緊張させ半立ちになったので、急いで肩を掴んで座り直させた。
そして、肩から手首に持ち替えて振ってみる。
「ほーらァ、何にも起きない。大丈夫だよーォ」
俺が握った彼女の手は、無理やり胸へ移動させられそのまま体をそらされた。
前のめりに倒れそうになって、麻衣から手を放す。
「あのさ、その子供をあやすような言動、わざとしてる?」
「麻衣が怖がらないように、ちょっと変えてみたんだが、駄目?」
「私を子ども扱いしたら、切れるよ」
「わわっ、わかっ、悪かった。でも胸に手をつけてられると練習にならんのだぞ」
「だから、怖いんだって」
もう一度彼女に触れようとするが、体ごとそらしてしまう。
「むむっ、練習が」
無理に腕を取ると、彼女の胸から腕を引き剥がす駆け引きになってしまい、引っ張っては戻されるの連続を繰り返した。
俺は中腰になり、引き剥がそうとすると麻衣もひざ立ちして来て頭が額にぶつかる。
「いい加減に」
「忍こそ」
「綱引きは負けたことないんだが」
「勝ち組側にいたってだけじゃない」
掴んでた腕の握りを変えたら、うっかり胸のふくらみを多く掴んでしまい、生唾を飲み躊躇。
すると麻衣が体を揺すりだし、腕を掴んでた手が外れた。
勢い余ってひっくり返ると、麻衣が俺の上に倒れてくる。
彼女の顔が一瞬俺の下半身に沈んだが、すぐ両手を立てて自ら起き上がった。
見上げると、麻衣の顔は真っ赤になっていて、そのまま抗議される。
「はっ、はは、反則よ」
「さっ、最初から胸に腕を貼り付けている方が反則だぞ。……いいや、そうじゃなくて、今のは長く腕を押さえてたが、怖くなかったのか」
「えっ? あれっ、そういえば……そうね」
「大丈夫だったじゃん。何も見えてないだろ?」
「まっ、まだわかんない」
座りなおして麻衣の腕を取るが、今度は素直に従ってくれた。
腕を上げて放すと、手を押すように叩く。
少し笑った麻衣は、片手を軽く叩き返す。
目の前で笑う彼女は久しぶりで、気遣って我慢してた熱のような気持ちがもたげてくる。
今度は腕を取り、引き寄せて思い切って抱きしめてみた。
「わっ。趣旨が違う」
声を上げる麻衣だが、ゆっくりと俺の肩に手を回す。
「もういいかな……無理にはしないけど」
「えっと……わかんない」
いったん体を離し、麻衣の顔を見ると抱きたい気持ちが制御できなくなってくる。
口を近づけてキスしそうになると、麻衣は勢いよく体ごとそらした。
だが、腕を取って逃がさず、無理に抱き抱える。
「やっぱり、駄目。こ、怖い……わっ、わわっ!」
また不安になったのか、麻衣は体を揺すりだした。
俺はバランスを崩し一緒に横へ倒れてしまう。
その拍子に体がローテーブルにぶつかり、上に乗っていたティーカップとティーポットが音を立てて倒れると、残りのオレンジティーがこぼれ、床に滴り落ちる音が聞こえだす。
麻衣は体を大きく波打ち、頭を抱え体を防御するように丸めてしまった。
突然の変わりように、俺は驚き上半身を起こして麻衣を見る。
「どうした?」
「いっ、今、あの巫女みたいな子が見えた気がしたの」
「まっ、まさか」
俺は静かに部屋の周りを見渡したが、巫女の影や人の影は見かけなかった。
玄関に続く廊下の角から、誰か現れそうな気がしたが何も起きない。
栞はプライベートは見ないっていってたから、来ていることはないと思う。
「やはり、麻衣が恐怖を意識し過ぎているから、見たんじゃないか……」
「うっ」
麻衣が肩をビクつかせるのを見て、余計な一言を言ってしまったと焦る。
同じ姿勢のまま、麻衣の声がかすれて崩れだした。
「まっ、また……私。……ううっ……うぐ……ひくっ」
「わるい……余計なこと言った」
俺はどうしていいかわからず、寝たまま麻衣の後ろへ寄り添うようにしてみた。
反応がないので、ゆっくり肩に手を置き抱きしめると、嗚咽交じりの言葉を返してきた。
「うっ……忍に……応えてやれなくて……自分が馬鹿みたいで……それで悲しくなって……」
「先走ってしまった感じもあるし……ごめん。俺は麻衣の気持ちを優先するから」
「ううっ……ひっく……うっ」
静かな泣き声を後ろから抱いた姿勢で、数分かわからないが聞き続ける。
柱時計の秒針の音が、耳にやけに大きく聞こえてくるのを感じていると、泣き声が止んでいた。
興奮が収まってきたようなので、話しかけて彼女の腕をゆっくり退け、顔をのぞくと涙で頬が濡れていた。
「落ち着いた?」
「……んっ……うん」
「目の前に何が見える?」
「忍……だね」
そう言って俺を濡れた瞳で見続ける麻衣は、なまめかしく見えた。
「俺が見えるんなら、もう平常だ」
「意味わかんないよ。……でも……大丈夫かも」
「よかった」
「ずっと後ろから抱いていてくれて、嬉しかった。……忍が安定剤になるなんてびっくりだけど」
「気持ちが落ち着くなら、いつでも呼んでくれ」
「へへへっ。それに巫女の幻覚で、心乱されるのもなんだかシャクで……間違っている気がしてきたの」
少し微笑み、俺を見据えて目をそらさない麻衣にドキドキしだす。
誘われるように俺は、彼女の濡れてる口に指を当てて押しまわしてみた。
「わっ」
突然起き上がった麻衣の頭が俺のあごにぶつかり、その勢いで仰向けに倒れてしまった。
「ああっ、ごめん……じゃなくて、こっ、これは忍の自業自得だわ。まだ怖いんだからね」
くしゃくしゃの顔で言い放つ麻衣だが、俺は舌を噛まずに良かったと思いながらあごの痛みをこらえる。
「んっ? ……忍」
四つんばいで、俺をのぞきこむ泣き顔の麻衣と目が合う。
さきほどから、彼女の妖艶な目が俺を見据えてくるのは何なのか……。
その片腕を取ると麻衣は簡単に俺の胸に倒れてきた。
顔を両手で捕まえて無理に唇を重ねた。
抵抗もなくしばらく唇を合わせていると、麻衣は力が抜けたように俺に体を預けてきた。
しばらく抱きしめたあと、彼女を抱えて立ち上がり自分のベッドへ押し倒す。
その上に俺も乗ると、麻衣があの見据える目で自ら抱き付いてきた。
どうやら彼女も、えっちのスイッチが入ってたようだ。
二人で絡み合いながら左右に転がり、お互い我を忘れて顔や首を愛撫し合っていった。




