第五十四章 参加と決意
池で栞と別れてから、学校へ登校する。
休み時間に麻衣の休みの理由を佐野雅治と椎名瞳が聞きに来たので、研究室の話は伏せて調子が悪いことだけ告げる。
昼休みは今村の横やりがない静かな時間を過ごせたので、麻衣へメールを送りいつもの喫茶店シャエで会う約束を取り付けた。
だが、そこでは麻衣に俺の能力の話をまずはしないといけない……そして移念体に不安から来た恐怖幻覚の話もしないといけない。
気が引ける。
学校が終わったあと、落ち合う予定の喫茶シャエに時間どおりに行くと、私服の麻衣が先に来て紅茶を飲んでいたので、その正面に座る。
人はそれなりに入っていて、少しざわついていたので保持者の話はしやすかった。
「忍……来たのね」
声に元気がない。
やはり昨日の魔邪を引きずっているようだ。
殺されたのだから、精神状態は計り知れないと思う。
「具合の方はどう? まだどこか痛むとかない?」
「うん……大丈夫。二度目だし、何の幻覚かわかってきたし……」
その言葉で、ちょっと胸が痛んだ。ここは最初に謝っておこう。
そうすれば移念体のことも話しやすくなる。
「ごめん。麻衣。本当にごめん! みんな俺のせいだった。ごめん」
テーブルに手をついて勢いよく頭を下げるが、額をテーブルにぶつけて大きな音まで出してしまった。
「えっ、何? 何? えっ? すごい音したけど、大丈夫?」
「だ、大丈夫。こんなの麻衣の苦痛と比べれば問題外なんだ。それに麻衣に黙っていたこともある。だから、ごめん」
「忍が関係しているって、どういうことよ?」
「うん、信じてもらえるかわからないけど、順を追って話すよ」
「大丈夫、信じられない物の経験値上がってるから」
彼女は紅茶のカップに手を取って、椅子の背にもたれ聞き役に回る。
当事者の麻衣にはすべて知って欲しいと思い、前の高校でフラメモを使ったことで転校の憂き目にあったことから話した。
学園祭で能力を使ったことや、草上に怪我させられて新たに異能を持ったことを続けて話したが、麻衣は口を挟んでくることはなく黙って聞いてくれた。
途中に注文したコーヒーが来たので、ウエイトレスが戻ってから麻衣の幻覚の話を始める。
俺の移念体を教えると困った驚きを示す。
零の聖域とまやかしも話してみたが、理解できないようだったので軽く濁して、栞の作ってた白咲は話すのは避けた。
移念体の幻覚はその中で死なないと終わらないことを告げると、麻衣はゆっくり口に手を当てて俺を凝視。
口づけや指キッスが原因となると頭を抱えた。
「そんな……ありえない」
情報の洪水で混乱しているようで、麻衣に起因する怖がりの習慣から出た幻覚の詳細は結局省いた。
「なんとなくだけど、わかったわ」
話し終えた俺を麻衣は真面目な顔でじっくり見てくる。
怒るとか、笑うとか、呆れるとかの反応ではなかった。
「フラメモのことは、前の高校でクラスから浮いちゃったんだ。だから今の学校でも転校にならないように黙っていた。……でも麻衣には、話しておくべきだったと後悔している」
「うん、そうして欲しかったけど……転校までした話を聞くと、仕方ないかなって思うよ。私も協力する。聞いたこと黙ってる。秘密にするから」
「ありがとう。ただ、移念体に対してはひたすら謝るしかない」
「私も忍も知らなかったことよ……ようは巫女が移念体の幻覚の中で好きにやってくれたことが問題だわ」
ちょっと違うんだけど、なんか栞に怒の矛先が行ってるようだ。
「いやっ、あの、あれは俺が移念体を止めてくれるように頼んだことなんだ」
「そのときは忍も、私を殺すことで幻覚が終了するなんて思ってなかったでしょ? なにも言わないで突然だもの、サイテーな女よ」
テーブルを叩く麻衣。
冷静にと彼女の手を抑えようと俺は手を出す。
「あっ」
麻衣は腕を勢いよく引っ込める。
これは接触を拒まれた?
彼女自身もその行動に戸惑っている。
フラメモを恐れてか、移念体が発動することを恐れたのかわからない。
「あっ……」
まずかったと思い、俺もテーブルから手を戻す。
「……ご、ごめんなさい」
麻衣は椅子に深くもたれかかる。
俺は平静を装うが、ありえた展開に何も考えてなかったことに思いいたる。
麻衣に限ってはと思っていたから……。
「ごめんなさい。移念体ってのが……こ、怖いの」
麻衣の拒絶は、俺の心を凍りつかせるのに十分だった。
そこへ俺の携帯電話が鳴り、麻衣に目線で相打ちをもらい、通話すると谷崎さんからだ。
『昨日の詳細を聞きたいからこれから会いたい』
そんな連絡だった。
俺が麻衣も会うかと尋ねると、目を反らして言う。
「まだ気分が優れないから帰る」
谷崎さんへは、このあと一人で会う約束をして携帯電話を閉じた。
「じゃあ、今日はこれまでね」
立ち上がる麻衣は、めまいを起こしたのかよろける。
急いで支えようとするが、テーブル側に避けられる。
「だ、大丈夫だから……」
俺から離れて所在なさげに目を背ける。
悲しい気分になってきたが、これも仕方ないこと。
こうなると、俺がこれから成すことがはっきりしてくる。
自分の力を制御する方法か、その力をなくす方法を探すこと。
喫茶店を出てから麻衣と別れ、谷崎さんの指定する場所に移動する。
陽上学園の校門前である。
「来てもらって悪いわね」
校門には私服の谷崎さんがもう来て立っていた。
「いえ、自宅が近くなので大丈夫です。今日は弓道部へ?」
「そうね、OGとしてのぞいてきたけど、白咲も平気で出てたわよ」
「ああっ、何か言ってました?」
「別に、我関せずだったわ。昨日の事を聞いても、はぐらかされるだろうしね。じゃあ、行きましょうか」
そのまま二人で歩いて、学校裏にある高台の公園に入る。
眺めが良く人が周りにいない場所の円柱型の椅子に谷崎さんと向かい合って座る。
林の奥に陽上学園の女子生徒が数人いたぐらいで、周りに人はいない。
「気持ちの良い場所でしょ?」
「ええっ、保持者の話にはもってこいですね」
「ふっ。で、白咲と話してきたんでしょ?」
俺は、移念体のことを麻衣に話したとおり踏襲した。
内容は本人も知っている部分もあって、麻衣よりも冷静に聞いていた。
質問もないので大まかなことだけ話して終える。
「移念体か。ずいぶん面白いことできるのね」
脚を組んだ上にほおづえをして微笑む谷崎さん。
「いや、俺だけじゃなく、保持者はみんな確率は高いんじゃないですか?」
その公園は陽上学園を一望できる高台で、グランドで野球部が練習しているのが望めたので、それを見ながら会話を続ける。
「信じがたいけど、そこにいない白咲要と接触したってのは、偽者でいいのかしら?」
「ええっ、そうです」
「それで、二人で何の密談をしていたのかな?」
「み、密談でなくて、あのときの状況を……移念体の止め方の良し悪しを正してただけです」
「んんっ……教祖の話とかしなかったの?」
「ああっ、それなら先輩が彼女に直接会って話してみては?」
「引っ叩きたい感情を、抑えるのは嫌なの」
「仲悪いですね」
「ふん、私の偽者を無断で作って動かしたのよ当然だわ。それで、教祖と谷崎栞と白咲要は同一人物でいいのね?」
「もうわかっている事案だと思ってましたけど」
「聞いたことに、はっきり答えなさい」
彼女は低い声でちょっとにらんできた。
「かっ、確認ですか? 本人は教祖でないと申告してますが、谷崎さんの思っているとおりです」
「わかった。ありがとう」
軽い話し合いは終わった。
どうやら谷崎さんは教祖の正体をはっきりと、人の口から聞きたかったようだ。
谷崎さんと別れたあと、一回マンションに戻った。
小腹が空いたが夕食には早いので、ポテトチップスをかじって一息つく。
栞に会う前に連絡取ろうと、零感応を使ってアクセスを試みる。
前に白咲に試みたとき、リンクされなかったが、栞をイメージすれば繋がると思った。
だが、巨大な蛇が口を空けて飛び掛ってきて、思わず下がって転倒しそうになる。
昨日の大蛇がまた出迎えたので、零感応はあきらめ携帯電話をかけた。
また竹宮女医が出ないか待ち受けるが、本人が出てくれる。
「道場にいるから来てください」
彼女が嬉しそうに誘ってくれたので、すぐ向かうことにした。
マンションの一階に降りると白咲要が迎えにきて、道場の勝手口へ道案内する。
一階の出張クリニックルームに通され、中に入ると車椅子に座った栞と竹宮女医が座っていた。
ドアの脇には柴犬が鎮座して、リハビリセンターの高田も控えている。
「ようこそ、忍君。おめでとう。ついに栞に 籠絡されたのね」
女医が微笑を浮かべて言った。
「えっ?」
「茶化さないでください」
栞が女医に向かって口を尖らせて言う。
確かに初めは入信を突っぱねたが、栞の話で考えを変えられた。
やはり竹宮女医の言葉どおりなので受け入れよう。
「えっと、私と同じ能力を持つ広瀬忍君です。これから道場のことで手伝ってもらえることになりました」
話しながら手を叩いて喜ぶ栞に、おざなりの拍手をする竹宮女医と高田。
「し、紹介なの? よ、よろしく」
「ここにいるのは、零翔けまで知って理解しているスタッフなの。設立メンバーでもあるけど……忍君は特別だから」
「一人欠席の道場主は、今日はどこ?」
竹宮女医が力なく栞に聞いた。
「この時間の叔父なら自動球遊器の店でしょう」
栞が恥ずかしそうに言う。
苦笑する高田。
自動球遊器で考えをめぐらすとビリヤード、いやパチンコだと気がつく。
だが、他にもメンバーがいるんじゃないか。
「その……彩水とかは入らないんですか? 二代目教祖と聞いてましたし」
「まだ見習いだけどね」
と竹宮女医。
「でも、そろそろ彩水にはこのグループに入れてもいいと思っているんですけど、口数が多いのが難点で」
「ほほほっ、彼女の利点よ。ただ、零翔けの話で嫉妬されると思うわよ」
「そうですね、面倒臭いです」
肩を落として椅子の背にもたれる栞。
「訓練で伸びるかわからないけど、忍君が慣れてきた頃に参加させるといいんじゃないかしら」
「俺とですか?」
「そうよ。忍君も彩水ちゃんと一緒になれば楽しくない?」
「えーと、まあ、その、退屈はしないでしょうね」
「ははは。それで忍君はこれからは基本、栞の横にいてくれればいいかしらね」
竹宮女医が言う。
「えっ?」
俺と栞が同時に反応。
「栞のサポート。他に適役はいないでしょ?」
「はい」
小さく嬉しそうに答える栞。
その彼女の隣とか悪くない立ち位置だと思うが、持て余している能力の制御が今の俺の目的。
それができなければ、栞のサポートなど論外だ。
「訓練って、零翔けの力を制御する方法とか、移念体の力を無くす方法とかするんですか?」
「そうです。零翔けの制御方法ですよ。でも、移念体の消失は無理です」
栞の言葉を聞き俺はがっかりしてうなだれる。
「どんなものかしら?」
竹宮女医が俺に近寄りながら唇に指を当てている。
俺の能力を試そうとするのか?
女医は漢だ。
「否定的な習慣が何かあればまずいですよ。グチとか悪口、文句、泣き言とか言ってません?」
栞が女医の後ろから言った。
「んっ……やっぱり止めたわ」
気を変えて席に戻る女医。
俺はやはり歩くLSDだった。
「忍君は、制御できれば問題ないんです。訓練です」
「期待していいか?」
「はい」
栞は笑顔で俺に答える。
「じゃあ、後サポートって何をすればいいの?」
「IIM2の一般薬局での販売が開始されます」
栞が真面目な顔で俺を見る。
「薬で能力を持った者をサポート?」
前に白咲が言ってたときのことを思い出す。
「はい」
「そのうちにこの道場も人であふれるかもね」
竹宮女医が力なく話す。
そこへクラッシック音楽が鳴り出す。
ホルストのジュピター?
竹宮女医がポケットから携帯電話を取り出して呼び出し音が止む。
「ああっ、久しぶり。うん、うん。えっ? ああっわかった、ちょっと待ってすぐ横にいるから」
そう答えたあと、女医は栞に小声で聞く。
「谷崎知美から、話したいと言ってるが出る?」
栞は女医に向き直ってから、携帯電話を受け取る。
「はい。変わりました。ええっ、栞です……はい。谷崎会長と? はい……いいですよ。……はい。……そうですか。……はい、よろしく」
簡単なやり取りのあと、携帯電話を切って女医に返す。
「何かな?」
「明後日の日曜。谷崎製薬の会長が希教道の教祖との会談を申し出てきましたので、受けました」
「ほう」
高田が声を出す。
「谷崎会長が? 嘘臭いな」
怪しむ女医。
「会長は病院でまだ養生中だから、近くの公園なら外出許可が下りているので直接会って話をしようとのこと。時間は午後一時。議題はIIMについてです」
「IIM2ではないのね」
「谷崎さんから? ついさっき会って昨日のこと話しちゃったけど、まずかったかな?」
「ああっ、谷崎先輩はいいです。本人が零の翔者だけど、谷崎一族は能力に対して相手にしてないですから」
「そうなの?」
「催眠誘導法が上手い娘、程度だそうです」
一般的に理解できるのは、催眠術師のような見解になるのか。
「でも会長ってのは、前に幻覚の地震を体験したんじゃ?」
「会長も社長も現実主義者で、非論理的なことは何を見ても理由づけして信用しないです」
「でも幻覚の効果が今回の会談になったってことも……谷崎さんの助言があったとも思うけど」
俺が自信なく言うが、栞が首をゆっくり横に振って願いを口にする。
「そうあってほしいけど」
「新薬販売の撤回要求グループがわかって、崩しに来たのよ」
「会長が来るとも思えない。何かの罠」
竹宮女医と高田が否定的な見解を言う。
「IIM2でなくて、初期バージョンについて話したいってのは、研究資料を探しているかもしれません。会ってみてのお楽しみですね」
栞が言葉を返した。
初期バージョン開発者の娘が近くにいたのなら、聞こうと思うかもしれない。
「IIM2より強力で売れそうな初期バージョンのためなら動くかもね」
俺はさきほどの何かの罠が気になって、高田に聞いてみる。
「撤回要求や妨害などの対価を、押し付けてくると思います」
高田がつぶやくように答えた。
「対価?」
「この道場の解体とか、リーダーに消えてもらうとかですね」
「そっ、そんな過激なことを? かなりやばくないですか?」
俺は大丈夫かと栞を見れば、真剣な面持ちで何か考えていた。
「むろん承知です」
栞は決意してるようにきぜんと言ったが、心配なので参加表明をする。
「じゃあ、日曜は俺もついてく!」
「ありがとう。早速で悪いとは思うけど、手が足りないから手伝ってほしいと思っていました」
「ああ」
会談は何が起こるかわからなくて危険だから、俺も栞に全力でバックアップすることを決意する。
「それで上層部がどこまで本気かが未知数なのよね」
竹宮女医が考えるように言った。
「上層部って会長の上の人ってことですか?」
俺は間の抜けた質問をした。
「ダルトン・グループ。外資系バイアウト・ファンドよ」
「アメリカ金融……ああっ、それで、プロレスラーみたいな外人がうろついているのか」
「そう。遠隔視や残留思念抽出が効かないから、行動の情報が漏れてこないんです」
「やっかいなトラブルコントラクターですね」
小声で高田が言った。
「情報収集と企業への助言がおもな仕事ではないの?」
「体格的にその手の任務も遂行できるでしょう」
「対価の実行犯ですか?」
俺は言いながら身震いした。
そのあと、明日の打ち合わせを軽くして解散する。
栞は高田とリハビリセンターに戻るようなので、呼び止めた。
「帰る前に少し、練習をしてみたいんだけど、教えてくれると嬉しいかなって……」
「いいですよ。そのつもりでしたから」
栞の同意をもらったあと、帰り際の高田に挨拶して、疑問になったことを聞いてみる。
「高田さんは、栞の警護とかしてるんですか?」
「そうだね。このシノブくんもふくめてね」
「じゃあ、彼女を何年も守ってくれているんですね」
「そうでしたが、この半年はその限りじゃないんです」
床から立ち上がっている柴犬の背中をなでながら、気さくに答えてくれた。
「リハビリセンターの職員もやりはじめたとか?」
「ああっ、そうですね。そうなりますかな」
苦笑いする高田だった。




