第十章 帰り道
学園祭が終わり、後片付けを済ませると日は暮れていた。
バスの停留所に抜け出る近道の裏路地は、他に誰も歩いていない。
頭上の小さな街灯で闇を照らすことはできず、転々と寂しく浮かんでいる感じ。
その光の届かない暗がりに、誰かが潜んでいてもわからない。
最近、暗闇から誰かに見られている……そんな気分がする。
気のせいだろうが。
「終わったね」
隣を歩く麻衣が言った。
俺は疲れていて、しかめっ面で彼女を見ない。
「今日は本当にありがとう」
続けて話しかけてくる。
「もう、懲りた」
俺は前を向いたまま答える。
「ご、ごめん……無理させちゃって。コスプレとかもね」
麻衣は俺に向きながら、少し焦って言葉を返す。
「まあ、楽しくもあったけどな」
最後に麻衣とダンス踊れたし、紛失物探しにフラメモを使い、自分の能力に良い方向性が見えて有意義だったとは思っている……うん。
「ねえっ」
神妙な面持ちで立ち止まる彼女に、俺も振り返り止る。
「えっ、どうした?」
「目を閉じて」
「何で?」
「いいから閉じて」
肩を怒らせて俺に命令する彼女。
こう言うときは逆らわないほうがいい。
「ああっ……こうか?」
「しばらく閉じててね」
「なんだよ」
話してた口に、柔らかいものが被さってきてた。
キスかと思い一瞬喜ぶ。
「へへっ、約束のやつよ」
「……ちょっと待て、見えたぞ」
触れた瞬間、驚いて目を開けると人差し指が戻っていくのを見てしまった。
彼女とのキスは、麻衣の人差し指だ。
「やっぱり、ばれちゃった? 目を閉じてって言ったのに……仕方ないな」
そう言いながら、先ほどの人差し指を自分の唇にあてる。
「おい、これで済ませる気か?」
約束のチュウは、指キッスのことか?
ちょっとショックだぞ。
「ふふふ。あっ、バス来たよ。忍く~ん」
道路上にバスが社内の明かりを暗闇に照らして、停留所に向かってきていた。
「うるさい、だましたな」
彼女が先に走り出したので追いかける。
俺が麻衣に好意を持っていることを見透かして、遊ばれているようで恥ずかしくなった。
今度、俺の行きたいところを引きずり回してやる。
……でも、キスか。
麻衣とは、中学のときに一回やったんだよな。
今思うと嘘みたいだ。
それと小学校のとき、もういなくなってしまった女の子と一回。
……懐かしい。
「あら、なんだ忍のマンション行きバスだったよ」
麻衣が走るのをやめると突然倒れた。
「えっ?」
何?
コケた?
急いで走り寄ると、彼女は右足をかばってゆっくり立ち上がる。
「おい、足、大丈夫か?」
バスは停車して、停留所で待っていた学生たちが乗り込んでいく。
「……つう」
「足どうなんだ。右ひざか?」
「う、うん、ちょっと足首ひねっただけだから……ほらバス行っちゃうよ」
顔をゆがめながら、笑いかける麻衣が痛々しい。
「ホントか? 痛いんじゃないか?」
「も、もう、大丈夫だって……」
「嘘言うなよ、どのへんだ?」
俺は無心にかがんで右足を見入る。
「忍!!」
「えっ……」
俺が驚いて見返すと、一喝した麻衣は目を合わせず顔を背ける。
「わ、私の右ひざは、もう大丈夫なの。歩くには問題ないんだから」
「ああっ、そうだな……ごめん」
俺は立ち上がり彼女に詫びるが、お互い顔を背けて無言になる。
俺の乗るはずたったバスはもう発車して、別の路線バスが後ろから停留所に入ろうとしていた。
麻衣の乗るバスだ。
「バス来たから。じゃあ、またね」
「ああ、またな」
声をかけるが、彼女は振り向きもせず歩いて停留所に行く。
一瞬右足を引きずるが、すぐしっかりした足取りに戻りドアの開いたバスに入っていった。
麻衣の右ひざは中学の陸上部で痛めた傷で、そのときの悪夢が一瞬頭をよぎってしまった。
あの頃、俺は彼女に何もしてやれず自分のふがいなさに落ち込んでいたから、つい……。
麻衣の乗ったバスを見送ってから、俺はゆっくり停留所に向かって一歩足を出すと何かを押し倒した。
「んっ?」
下を見ると、バッグが倒れていた。
このセピア色ハンドバッグ。
麻衣の忘れ物だよ、ってもうバス見えないし。
これって、ミステリークラブの先輩からもらったヤツだよな?
んーっ、捨てて帰りたい衝動が……。
いやいや、捨てるのはまずいだろ。
とりあえず持って帰ろう。
明日か、明後日にでも渡せばいい。
何か、懐かしいような妙な違和感?
何でだ?
このバックを持ってからだ。
興味に駆られて、ちょっとスキャンを試みた。
麻衣のバッグに集中すると、額あたりに軽いうずきを感じ、その場がスクリーンとなり映像がぼやけて現れる。
その一つを取り出すとそこは青空と入道雲。
近くにフェンス……屋上?
「うっ」
てててっ、この頭痛……フラメモを使い過ぎると起こる一つだ。
意識が痛みに取られていたら、映像は消えていた。
昨日と今日でやり過ぎたんだ。
バックへのフラメモ行使はもう止めておこう。
ううっ……頭いたたたっ。
使いすぎで激しい睡魔も起こってたから、今日は早寝になりそうだ。
“バッグ預かってる”
“サンクス”
バスに乗り込んでから、麻衣にメールしておいたら、笑い顔文字付きの返信が帰ってきた。
もう怒ってないようで安心した。
夕食は疲れて面倒なので、喫茶ショコラですませることにして一階に下りる。
木目のドアを開けると馴染みの声がかかった。
「いらっしゃいませ」
管理人の夢香さんが、エプロン姿で待ち構えていた。
土日の夕方はショコラでアルバイトだったな。
それほど込んでないので、空いてるテーブル席に座ると夢香さんがメニューを持ってくる。
「お帰りなさいませ、ご主人様」
耳馴染みのない挨拶をして、水の入ったコップを置いた。
「今、何か変な台詞を聞いたんだけど?」
「どう? 良かった? 店長に進言中の限定メイド喫茶の挨拶ね。それでこれが限定メニュー」
その向けられた透明のシートに、手書きメニューが書かれていた。
ご主人様ブレンドコーヒーとご主人様オムライスの二点のみで、メイドのケチャップサービスが追加で書かれてある。
先週までなかったので、昼に入った学園祭の執事喫茶に触発でもされたのか?
でも悪くはない、うん。
「それじゃ、ご主人様オムライスにメイドのケチャップサービスを」
「かしこまりました。ご主人様」
彼女は意気揚々と戻っていった。
後ろの席から小さな笑いが聞こえ、振り返るとツインテールの少女が笑いを押し殺していた。
向かいの席の男が、すまなそうにこちらに目を向けてる。
やはり一般の茶店では無謀じゃないか?
少なくとも知り合いの客だけのときにして欲しい。
でも、あのツインテールと恋人らしい男はどこかで見たような……。
ああっ、占いのときだ。
午前中の一般客として来ていた二人組みだな。
変なところで会ったが、近くに住んでるのだろうか?
そんな思考にふけっていると、夢香さんが料理を持ってやってきた。
「お待ちどうさま。ご主人様、オムライスです」
湯気を上げてふんわりした卵に包まれて、美味しそうなオムライスが出された。
「それじゃケチャップサービスで、ご主人様の名前書いちゃいます」
「えっ? 書けるの? 夢香さんが」
少し不安が過ぎる。
「ふふーん。私を舐めてもらっては困るなーっ。いえ、ご主人様は安心して見ててください」
そう言って、少しくたびれた赤い容器のケチャップをエプロンのポケットから取り出した。
ケチャップを容器からしぼり垂らして、忍のローマ字をオムライスの上に綺麗に書いていく。
「あれ、夢香さん上手い」
「続いてご主人様の顔を書いちゃいます」
ローマ字の横に、漫画のキャラ絵を上手く、そして可愛く書いていく。
これはすごい。
夢香さんの才能を感じた一瞬だった。
「どうですか? 最後に決めのハートマーク」
胸をそらしてご機嫌な夢香さんだが、ハートの半分のところでケチャップがゲップをして出なくなる。
「あれ、もうすぐなのに」
赤い容器を強めに押した途端、容器の蓋が取れて残りのケチャップが飛び散り、眺めていた俺の顔にもかかる。
オムライスに書かれた文字や絵も落下したケチャップで、一緒くたになってしまった。
「わわわっ、ご、ごめんなさい」
「夢香さんの芸術が……」
二人で騒いでいると、店長がやってきて現状を見る。
「限定メイド喫茶、しばらく中止です」
夢香さんに駄目出しした。
店長は、席から立ち上がってレジに向かった少年客のところへ向かった。
「ぷはははっ」
立ち上がったお客の一人が、笑い声をあげた。
さきほどのツインテール少女が、こちらを指差して笑っている。
まったく苦手な女だ、無視、無視。
「駄目でしょ、そんなに笑っちゃ」
ツインテールの横の席から立ち上がった声の主が、軽く叱る。
そのまま俺と俺の顔のケチャップを拭いてる夢香さんに、挨拶したのは白咲だった。
「あれ、白咲。来てたんだ」
「知り合いが失礼しました。お取り込み中なようで、今日はこれで」
先頭の少年がお勘定を済ませるとツインテールは、白咲にぶつぶつ言う。
「だって面白いじゃん」
「失礼です」
「もー、硬いんだから」
白咲たち三人は、そのまま外へ出て行った。
「忍君の知り合い?」
「白咲はね、後の二人は知らない」
ツインテールは、占いだけした関係だけど。
「三人とも、よくここへ食べに来るよ。向かいの信者だって話だけど」
「希教道の?」
ツインテールにまた会いそうな予感がして、体が身震いした。
その後店長は、オムライスを作り直すと言ってくれた。
「ケチャップの一部を取れば大丈夫」
俺はもったいないと断って、ケチャップオムライスを食べたが半額にしてもらった。
その分、夢香さんのバイト代は引かれるのだろうと、心でご愁傷様ですと唱えた。
***
部屋に戻ってシャワーを浴びたあと、冷蔵庫から炭酸のペットボトルを取り出して一飲みする。
「ふーっ」
学園祭で能力を使い過ぎたか、クタクタだ。
フラメモの酷使は、ペナルティーのように睡魔が襲ってくる。
今日もすぐ眠りにつきそうだな。
それに明日は振替え休日だし、たっぷり寝てゆっくり起きよう。
学園祭での占いは、滞りなく過ぎて占い師の真似事は無事終了した。
ちょっとした問題が起きて慌てたけど、何とかフラメモを隠し通せたのが収穫だった。
だが、麻衣の手の平で踊らされる展開に遭って、一人寂しく帰途に着くのはいただけない。
今度仕返ししないと。
移動したら、足元に一瞬光を反射した物をとらえる。
「んっ?」
拾い上げると黄金色で、蝶の形のイヤリングだ。
片方だけで?
ああっ、そうだ。
これ夢香さんのだ。
昼の食事のときに落としたようで、親切な後輩女子が届けてくれた物。
コスプレの服から、ブレザーのポケットに移動させてたところまで覚えてるんだが……さっき着替えたときに落ちたんだな。
うっかりしてた、返さなきゃ。
時計を見ると九時十五分。
渡すって言っても、もう遅いし明日にしよう。
部屋の中央にある、ガラス状のローテーブルに移動して座る。
その上にイヤリングを置くが、隣に木箱とよりかかる麻衣のバッグ。
この二品も返さないと。
バッグを指で跳ねて倒してから、木箱を手間へ寄せる。
上蓋を開け中に入っている水晶を取り出し、傷はついてないか顔に近づけて見る。
透き通って紫色が混じった水晶玉は、神秘の塊だ。
帰宅途中に返したかったが、疲れが酷くて持って帰ってしまった。
水晶を箱に収めると頭の芯に耳鳴りが反響しだす。
……違和感。この水晶から?
妙な不安な面持ちがするが、これは何だろう?
白咲の記憶のイメージ?
この水晶から?
もう眠いし疲れたから、能力使うのはよそう。
蓋をしてローテーブルから離れ、ベッドに横になり目を閉じたらすぐ意識が飛んで眠りについた。
そして……。
ここで第一部「学園祭編」は終了です。読んでいただきありがとうございます。
次回から第二部「浅間麻衣編」が始まり、ストーリーも動き出します。
第十章タイトル変更、朝のエピソードを第十一章の始めに移動しました。




