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 遠藤が去って、気を失ったエセルと転移魔法でクリニャン砦に戻って、ロビンにエセルを託してからの記憶がない。おそらく魔力の使い過ぎで倒れてしまったんだろう。

 まだまだ回復したとは言い難い状態だったので、目が覚めてもリサはベッドに転がったままボーッと天井を見つめていた。


 頭の中でぐるぐるしているのは、気を失う前の出来事だ。

 考えただけで恐ろしくなってしまう。自分の不始末が原因で遠藤をこの世界に転移させてしまった。

 おまけに、自分がこの世界に来るよりもずっと過去に。

「地獄」と遠藤は言った。10年という歳月がたっているとしても、あの人当たりのいいいつもにこやかな遠藤があれほどに変わってしまうほど過酷な暮らしを強いられたんだろうか。


 あの頃マリエラという国は軍事国家だった。剣も魔法も戦いに特化されていた。つまり、遠藤はマリエラに転移してからそういった教育を受けさせられたのだろう。

 人が変わってしまうほどに過酷な教育を。


「----!」


 思わず布団を頭からかぶって寝返りを打った。

 自分はフローダルに転移してきてラッキーだった。フローダルは穏健派の国で、現在の王も気さくで柔軟な人柄。リサが異世界人とわかると、戻れるまで不自由のないように教育をつけてくれ身分を保障してくれた。そのかわりに異世界の話をいろいろとして、新しい知識をフローダルに教えたのだが。

 その過程で膨大な魔力のコントロール方法を身につけさせられ、最終的にエセルと一緒にマリエラとの最前線に立つことになってしまったが、それはリサ自身の意思だ。王から打診がなかったわけじゃない。ただ、王は「異世界のために命をかけろという命令はしたくない」と、後方支援を打診してきたのだ。それを最前線に向かったのはリサ自身。何よりエセルと離れたくなかったからだが。


 それと比べて、おそらくは魔法を身につけ最前線に立つことを強要されてきた遠藤。その原因を作ったのは、ほかでもない自分----


「どう----償えばいい? 遠藤」


 涙は出ない。そのかわりに体ががたがたと震える。しでかしてしまったことへの恐怖感が体の芯から立ち上ってきた。


(理沙! 俺はマリエラでのし上がり、いつか日本に戻っておまえを手に入れることを支えに、この10年を生き抜いてきたんだ! だからおまえは俺に従え! おまえにはその義務がある! 次に会うとき、必ずおまえを連れて行く!)


 去り際の遠藤の言葉が耳の奥に響く。


「義務。そうなのかな」


 遠藤の元へ行けばいいのだろうか。遠藤の元で、遠藤に従い、遠藤のために生きれば償いになるんだろうか。


「----いやだな」


 そう、いやだ。

 自分はエセルの婚約者だ。エセルはリサのことを思い出していないけれど、それでも婚約者である以上はエセルを裏切ることは出来ない。裏切りたくない。

 それに、フローダルという国にも多大な恩がある。後ろ足で砂をかけるような真似は絶対に出来ない。

 遠藤の元へ行くということは、フローダルを離れてマリエラへ行くということだからだ。


「わかんない。どうしたらいいんだろう」


 リサのつぶやきは暖炉の薪がぱちぱちと爆ぜる音にかき消された。









「エンディ? そう名乗ったのか?」


 ロビンと入れ替わるように部屋へ来たシドニーに事の成り行きを話すと、シドニーはひどく険しい顔をした。


「ああ」

「風貌は?」

「たしか、年の頃は3,40代だろうか。黒髪で黒目、頬に刀傷。顔立ちは整ってるように思った」

「エンディ。闇魔法士のエンディか」

「知ってるのか?」

「そうか、おまえは覚えていないんだな。奴はこの数年でマリエラの魔法士団第1隊の副官まで上り詰めた男だ。魔法士団第1隊といえば、マリエラでの魔法士のトップ、つまりそれだけの実力者ということだな。加えて、おまえとリサがマリエラに攻め込んだ時、最終的にその場から唯一逃げ出したのがそのエンディだ」


 その話を聞いてエセルはたまらなく不安になってきた。

 どうやらかのエンディとリサは知り合いだったようだ。リサは酷く驚いていたから、奴がここにいるとは夢にも思っていなかったらしい。リサがフローダルにいたのは3年前から1年間。その間に知り合った人間とも取れるが、あの黒髪に黒い瞳はどう見てもリサと同郷。つまり、奴もリサの世界から転移して来た可能性が高い。

 エセルはがばっと立ち上がると上着を引っ掴み、早足で部屋を出た。


「おいエセル! どこ行くんだ」

「リサのところだ」

「へ? ああそうか、すまん野暮だった。リサならほら、つきあたりの部屋だ」


 返事もそこそこにリサがいるという部屋のドアをノックする。ドアには鍵はかかっておらず、エセルはそっとドアを開けた。


「リサ?」


 ドアの向こうにリサの姿はなかった。からっぽのベッドに暖炉がぱちぱちと燃えているだけだ。


「リサ!」


 エセルはあわててきびすを返すとばたばたと走り出した。リサを探しに階段を降りようとさしかかった時。


「大隊長? どうしたんですか慌てて」


 上から降りてきたキャリガンと鉢合わせした。


「ダメですよ、大隊長と言いリサといい、おとなしく寝ていないと」

「リサ? キャリガン、リサをみかけたのか」

「ええ、上のフロアで窓から外を眺めていましたよ」


 エセルは慌てて階段を駆け上った。人ひとりがやっと通れる、細かくまがりくねった階段は窓もなく窮屈だ。それをあがりきるとすぐ廊下があって、右に曲がったところに格子の嵌まった小さな窓があった。窓のあるあたりは外から見ると塔になっていて、この部分だけは少し広くなっている。窓のそばには木のベンチが置いてあり、リサはそこに座っていた。

 外は夜、真っ暗で深々と雪が降っている。手元の明かり用に持ってきただろうろうそくをベンチの端っこに置いて暗い外を眺めていた。リサは厚手のワンピースにショール姿、真剣に外を眺めている姿はどこか侵しがたいものがある。


「リサ、風邪を引くぞ」


 声を掛けると、リサはゆっくりエセルの方を見た。


「エセル」

「体の調子はどうだ? すまなかったな、魔力を使い果たすほど」

「うん、大丈夫。随分良くなったよ」


 話しながらエセルはリサの横に座った。


「リサ、聞いていいか?」

「うん、遠藤のことだよね」

「知り合いか?」


 問いかけるとリサはうん、と首を縦に振った。


「あいつは、向こうの世界での仕事仲間だよ。でも、私の知ってる遠藤は、10歳は若いけど」

「若い? どういうことだ?」

「私ね、向こうの世界からこっちに戻ってくるために自分の部屋の床に魔法陣を描いたの。フローダルから持っていったものを使って、それを床に並べて。でも、私が魔法陣を通ったあと、魔力で描いたものではない魔法陣----物理的にそこにある魔法陣だから、魔法陣が消えなかったんだね」


 そう言ってリサは大きくため息をついた。


「私、その魔法陣に魔力を流して発動させた訳なんだけど、まさか魔力を通せる人間があっちにいるとは思わなかったの。----ここからは私の想像なんだけど、たぶん遠藤は私が無断で仕事を休んだから私の部屋に様子を見に来たんだろうね。私を探して私の部屋に入って、魔法陣を見つけて、何かの拍子に偶然魔力を流すようなことを意識せずにやったんだと思う」

「それで奴がこちらへ転移してきたと?」

「それが一番可能性が高いかなあと」

「でも、それでは年齢が違う理由が立たないだろう」

「これもまた私の想像なんだけど、魔法陣に触れた時に魔法陣のどこかを動かしちゃったんじゃないかな。運悪くそれでこちらの出現地点と出現時間が書き換えられちゃったとしか思えないんだ」


 相当な偶然だけどね、とリサは笑う。


「だから、私のせいなのよ。私が魔法陣を破壊できるようなしかけをしていたら遠藤は----」

「違う。それはただの事故だろう。魔法のない世界なんだろう?誰もそんなことが起こるなどと想像は」

「そうかもね。でも、事実は事実なのよ----ねえ、エセル」


 突然リサが立ち上がりエセルの前に向かい合わせに立った。そっと両手を伸ばし、大切そうにエセルの頬を包むと少しだけ力を入れて彼の顔を上に傾けた。

 エセルの顔の横にさらりとリサの長い黒髪が流れる。それにエセルが気を取られた瞬間、柔らかい彼女の唇がエセルのそれに重なった。

 甘いその感触に酔う前にふと唇は離れていく。


「ごめんね、エセルは以前の事なんてなんにも覚えてないのにね。私の気持ちばっかり押しつけちゃったね」


 頬に触れた手も離れていく。リサが一歩後ろに下がる。

 たったそれだけのことが、エセルの心を不安で埋め尽くす。あわてて手を伸ばそうとするが、まるで凍り付いたようにエセルの体はぴくりとも動かなかった。リサが魔法をかけたんだと気がついた時にはもうリサは手を伸ばしても届かない距離まで下がっていた。


「その金縛り10分くらいでとけるから」


 リサが続ける。


「最後にエセルに会えて良かった。私、やっぱり遠藤に対して落とし前をつけないといけないと思うから遠藤のところに行くよ。ごめんね----もしエセルが望むなら婚約を――――解消してくれていいから」


 そういうとさっと踵を返して走り去っていった。

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