8
「あ……」
身のうちからがたがたと震えがきて止まらない。いやな想像が頭の中を駆け巡って止まらない。
目の前の男は自分を「理沙」と呼んだ。こちらの発音ではなく、日本語の慣れ親しんだ発音で。
そして見覚えのある顔立ち。頬に大きな刀傷があり、目は暗く力にあふれ、年齢もずっと上のはずだが、リサにはこのエンディという男が彼にしか見えなかった。
「遠藤----?」
親しくしていた同期の男。ジャニーズ風のイケメンで、女子社員からは王子様のようにはやし立てられていて。記憶をなくしたリサが記憶を取り戻し、フローダルに戻る直前まで一緒にいた。
その遠藤が、なぜ。
いや、違う。リサはその理由が頭の中で閃いていた。それはあり得ないことと思いつつもちょっとだけ危惧していたことで。
リサが名前を呼ぶと、エンディはにやりと嗤った。
「そうだ。遠藤だ」
「遠藤……なんで、ううん、でも」
青ざめてかたかたと震えるリサにふっと笑いかけると、エンディ=遠藤は手をさしのべた。
「聞きたいことはいっぱいあるだろう。なら、俺とともに来い。すべて話してやる」
知りたい。なぜこんな事になってしまったのか。遠藤に何があったのか。
「幸い、おまえの婚約者殿は記憶をなくしてるそうじゃないか。おまえがいなくなったところで痛くもかゆくもない……」
が、言い切る前に遠藤はがばっととびすさった。その痕を追うように白刃が空を薙ぐ。
「勝手なことをほざくな!」
エセルが斬りかかったのだ。そのまま遠藤のあとを追って2撃、3撃を繰り出すが、ぬらりくらりと躱されて全く手応えがない。
「邪魔だ」
遠藤が手を伸ばしエセルを指さす。
(雷撃だ)
二人の攻防をただ見ているしか出来なかったリサは瞬間的にそう思って防御しようとしたが、僅かに反応は遅れてしまった。
ばちぃっ!!
直撃は避けたものの、雷撃の余波を受けてエセルが雪上に弾き飛ばされる。ドサァ、と重たい音が響くと同時にアイスバーンになっていた道路脇の雪山が派手に削れ、細かい氷の粒が宙に舞う。
「エセル!」
そのままエセルは動かない。
リサの頭は急激に冷えていった。
エセルは私の愛してる人。
その人に、1度ならず2度までも攻撃を当てた、あれは誰?
……遠藤。
どうしてかわからないけど、遠藤はマリエラにトリップしてきたらしい。そして、彼の言い分だと私に原因が有る。そして、なんとなくその理由は自分でも推測が立っている。
本当にそうだとしたら、私が遠藤にしてしまったことは、故意か故意でないかに関わらず許されないことかもしれない。
でも、それは私と遠藤の問題。
エセルは関係ない。婚約者だけど。
「――――ほう」
遠藤は思わず感嘆のため息をこぼした。知らず知らずのうちにリサの体から立ち昇る魔力はどんどん勢いと圧力を増している。
「遠藤」
ゆらりとリサが立ち上がった。
「あんたがここにいるのは、私がマンションからこっちに移動するために作った魔法陣のせいだね?」
リサはフローダルに戻るのに日本の自分のマンションに魔法陣を描いた。魔素子がなかったので、魔素子を含んでいたフローダルの衣服やアクセサリーを細かく裂いて砕いて並べたものだ。
ただ、リサがトリップしたあとは通常の魔法陣と違い、物理的に陣が残ってしまう。だから、万が一魔力のある人間が触れてしまったら、トリップしてしまく可能性がないわけじゃない。トリップは一瞬だから、術発動後に陣を壊す余裕がなかったのだ。
おそらくリサが行方不明になって、遠藤はマンションに来たのだろう。そして、魔法陣に入ってしまった。
「もしそうなら、確かに私は遠藤に謝っても謝りきれないかもしれない」
「そうだ。おまえは俺には負い目がある。だから」
「でもそれとこれとは別! エセルを傷つけていい理由にはならない!」
リサが怒鳴ると途端に膨れ上がった魔力が氷の刃となって遠藤に猛襲する。殺到するそれらを防御結界で防いでいたが、次第に遠藤は押されていった。何しろ、滝の落水を真横から受けるような勢いで氷が襲いかかってくるのだ。段々と網の目をくぐるように遠藤の体を服を傷つける氷が出てくる。
「く……っ! これがフローダルの氷の魔女の実力か!」
ついに遠藤は防御結界を維持したまま大きく後ろに跳躍した。遠藤がいた場所に氷の粒が怒涛の如く殺到して大音量で白煙を上げた。
ほどなく視界が晴れてくると、遠藤は森の入り口の木の上に立っていた。遠目でもわかるほどはあはあと息が上がっていて、左腕はぶらりと下がっている。どうやらリサの術は当たっていたらしい。
遠藤はぎりりと歯を噛みしめると、大声で叫んだ。
「理沙! 俺はマリエラでのし上がり、いつか日本に戻っておまえを手に入れることを支えに、この10年を生き抜いてきたんだ! だからおまえは俺に従え! おまえにはその義務がある! 次に会うとき、必ずおまえを連れて行く!」
言いながら腰につけていた袋から一枚の紙を取り出して広げるとそれに魔力を注ぐ。すぐに紙から魔法陣が発現し、遠藤の姿はその場からかき消えてしまった。
「転移陣をもってたのね」
普通、魔法を行使するときは空中に魔力で陣を描き出して術を行う。なので、おそらく魔力切れしたときの緊急脱出用に事前に紙に魔法陣を描いていたんだろう。
リサはあたりにもう魔力の気配がないことを確認してから倒れたままのエセルに駆け寄っていった。
エセルが目を覚ますと、見覚えのある天井に暖炉の明かりが揺れているのが見えた。
「ここは----砦?」
体を起こすと背中が痛み、頭がくらくらした。が、少ししてそれが収まってくると、徐々に気絶する直前のことを思い出してきて、エセルはがばっと頭を起こした。
「リサ」
辺りを見回すが、部屋には誰もいなかった。どうやら、クリニャン砦の自室に寝かされていたようだ。窓は閉められていて、暖炉はゆるく燃えている。ベッドの隣にいつもあるティーテーブルには水差しとカップが用意されていて、まだ冷たいのか水差しの外側が結露している。その脇に武骨な椅子が一脚置かれているが、そこには誰も座っていない。
「----リサ」
「おう、リサなら自分の部屋で寝てるぞ」
応えるように部屋に入ってきたのはロビン医師だった。どっかりと椅子に座ると、ぐいっと太い腕を伸ばしてきてベッドに起き上がっていたエセルの体を枕にねじ伏せた。
「寝てろ、馬鹿野郎」
痛みにうめくエセルを「ふん」と鼻息1つで無視して、ロビンは腕組みをして椅子に背中を預けた。
「おう、何が起こったか覚えてるか」
「----ああ」
「マリエラの魔法士に襲われてな、おまえが雷撃で気絶させられてからリサが奴を追い払ったらしいがな。騒ぎの間に馬そりはどっかに逃げちまうし、リサの力じゃおまえを運べないからな。転移術を使って一息にここまで移動してきたんだ」
「転移術で?」
転移術は魔力を大量に使うから、人を連れては使えないと聞かされていた。だから、今回の旅も馬そりでゆっくり移動するということではなかったか。
眉をひそめたエセルの表情に気づいたか、ロビンも難しい顔で頷いた。
「おう、だからちょいと魔力を使いすぎたみたいでな。回復するまで寝かせてる」
「そうか----すまない」
「リサはそれだけ喋って倒れるように眠っちまったからな。くわしいこと、あとでシドニーにでも話してくれ」
「わかった」
「とはいえおまえもけが人だからな。今日のところはおとなしく寝ておけ。あとでシドニーを来させる」
「頼む」
ロビンが出て行って一人になると、エセルは天井を眺めながら気を失う前の出来事について考え始めた。




