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「リサ〜、支度できた?」


 リサの部屋をノックするなりシドニーがドアを開けて言った。


「シドニー、ノックに返事する前に開けないで――――うん、ファイザルまでは馬そりでも3日かかるからね。結構な大荷物だよ」


 大きな鞄に衣服を詰めながらリサが答えた。ファイザルは2年前のいわば決戦の地、リサが日本に戻ってしまった場所だ。

「あ、そうだ」とリサは無造作に1枚の巻紙をシドニーに渡した。


「ほらこれ、アイザック長官の許可証」

「悪いな、転移魔法使わせて。でもいいよなあ、王都まで馬で5日はかかるのに、それを一瞬だからな」


 アイザック長官は軍の長。リサは大隊長代理になっているシドニーの代わりに現状の報告と、エセルと一緒にファイザルに向かうための許可をもらいに行っていた。記憶はなくとも何しろ砦の責任者である大隊長がいなくなるのだから(というか現時点で働けない状態なのだが) 、防衛の観点からも大問題なわけだ。


「でもしょっちゅうは使えないよ。転移陣はすんごい魔力使うんだから」

「わかってるって。で、ファイザル行きには何人か兵を連れて行くか?」

「いいよ、砦が手薄になっちゃうし」


 リサは荷造りをする手を止めずに答えた。シドニーは少しの間その様子を見ていたが、戸惑いがちに声を掛けた。


「なあ、リサ。おまえ、大丈夫か?」

「え? 何のこと?」

「いや、エセルのことさ。リサ、あいつが記憶を失ってることも結構冷静に受け止めてたし、エセルの前でいつもにこにこしてるだろ? その……無理してんじゃないかと思ってさ」

「んなことないよ!私は元気だよ!」


 明るく返事をしたものの、これではカラ元気とバレバレだと内心苦笑する。


「リサ、俺はこんなちゃらんぽらんだけどさ、お前のことは妹みたいに思ってるんだ。ひとりで抱え込むなよ。愚痴くらいは聞けるぜ?」


 ぴた、と荷造の手が止まった。


「俺達クリニャン砦にいる面子はな、皆家族だ。リサだって例外じゃない。皆言わないけどな、リサのこと心配してるぜ?」

「やだな、大丈夫だよ、だって、エセル、が」


 そのまま黙って俯いてしまう。シドニーはリサの側まで来て、頭をぽんぽんと叩いた。


「だから言ってんだろ、無理すんな」

「――――っ、思った、より、キツいね」


 好きな人が自分を忘れてしまうってことは。


「エセルも、さ、悪いって思ってるのかな、必死に、優しくしようとしてるみたいで。

 でもさ、今のエセルは、私が好きなわけじゃなくて。同情とか罪悪感で優しくしてくれてるんだって思うと、つらいよね。でも、エセルの心遣い、無碍にもできないよ。

 だから、さ、本当はあちこち回って無理に記憶を取り戻そうなんてしないで、って思うのに、早く取り戻してほしい気持ちもあって、エセルを止められないの」

「そっか」

「でも」


 リサは少し赤くなった目をこすって顔を上げた。


「まずはエセルの気の済むようにしようと思うの。それでファイザル辺りを回ったらダメでもとりあえず一度戻ってくる」












 ふたりで馬そりに乗ってクリニャン砦を出てから2日。ちらちらと雪が舞うのを見たこともあったが、概ね好転に恵まれた旅路だ。

 リサは馬そりの荷台で毛布にくるまれて座っている。生憎馬そりを使うことは出来ないので、操縦はエセルに任せっきりだ。


「リサ、疲れないか」

「ありがとう、大丈夫だよ」


 時折そう会話するが、専ら話しかけるのはリサばかり。エセルは返事はするものの、会話が続かない。


(ちょっといたたまれないなあ)


 さすがのリサもそんな気分になってきていた。

 もともとエセルはどちらかといえば寡黙な方だ。それでも、二人で戦っていた頃は会話は続いていた。

 記憶を失ってからのエセルは、今までとあまり変わらないように見えていたけど、こんなふとしたところで違うところを見つけてしまう。砦を出る前にシドニーとあんな話をしたせいなのか、と気持ちが沈みがちになっている。


(うん、きっとお腹が減ってるせい! 次の町で暖かいもの食べて元気出さなきゃ!)


 そう自分に言い聞かせる。


 目の前にはすっかり雪に覆われた農地、遠くにまばらに植えられている防風林や農家の建物でさえも白く化粧している。空は青から少し灰色に傾く時間帯、リサは体に巻きつけていた毛布をぎゅっと巻き直した。








「明日はね、デルエルの森を抜けてクストの町まで行っちゃおうと思うんだ」


 町についてすぐ宿を取り、そこの食堂で根菜と塩漬け肉が入ったたっぷりのシチューを掬いながらリサが言った。盛大に湯気の上がっているシチューにはナンのようなパンがつき、エセルはそれに加えて大きな肉のローストを注文していた。暖かなシチューで体の芯からぽかぽかしてくると、確かに負の感情は小さくなる気がする。

 それでもやはり心のどこかに不安があるのだろう。リサは絶え間なく喋り続けていた。


「クストの町はね、有名な地酒があってね。ラカの実から作るらしいんだけど、トローっと白く濁ってるけど少し炭酸が入ってて。甘いんだけど、何故かお料理に合っちゃうらしいのね。それでね」

「リサ」

「え?なあに?」


 話すことに夢中になっていたリサはエセルの様子に気が付かなかった。声をかけられて改めて彼の表情を見る。


「――――すまない」



「え? 何が?」とさらっと返せればよかったのだろうが、リサは思わず固まった。エセルは今までの雑談には似つかわしくないような思い詰めたような重たい顔でこちらを見つめている。


 何に対しての「すまない」だろうか?

「迷惑かけてすまない」なのか「すまないが静かにしてくれ」なのか、それとも――――「すまないが婚約者面しないでくれ」とか言われるんだろうか。


 嫌な考えが浮かんでリサは慌ててそれを打ち消した。けれどそれはエセルが記憶を失ってからずっとリサが恐れていた言葉で、咄嗟に浮かんでしまったのは仕方のないことかもしれない。自分でも今までの笑顔が崩れかけているのがわかった。

 そんなリサを見て、エセルは悲しそうに笑った。


「――――おそらく今の俺はリサの婚約者だった俺とは違うんだろうな」

「え?」

「ろくに気の利いたことも言えない、リサに優しくすることもできないような男だ。幻滅しただろうな」

「は?」

「だから……もしも耐えられないのなら婚約を」


 婚約を。

 そこまで言ってエセルは黙ってしまった。リサが目を丸くしているのから目を背け、ひどい仏頂面で机の上のパンを射殺さんばかりに睨みつけている。

 食堂の周りの喧噪から切り離されてしまったように押し黙っている二人に、隣のテーブルで飲んでいた赤ら顔の男が声をかけた。


「何だあ、陰気な面ぁしやがって! ほら、笑え笑え! んでもって飲め!」


 すっかり出来上がっているのにまた新しい酒を注文しながら男は二人の座っているテーブルに近寄り、交互に二人の顔を見てぎょっとして口をつぐんだ。

 リサが眉根を寄せてぎゅっと目をつぶっていた。


「お、おい兄ちゃん、何言ったんだよ? 随分と雲行きが怪しいじゃないか」


 男がエセルに話しかけた時だった。


 ガタン、とリサが立ち上がり、「ごめん、先に寝る」とだけ言いおいて食堂を出ていってしまったのだ。

 あとに呆然とするエセルと、「俺何もしてねえよな?!」と慌てている男を残して。






「リサ」


 リサを追いかけて部屋に戻ると、リサは窓ガラス越しにぼんやりと外を眺めていた。


「ごめんね」

「え?」

「やっぱり私、きっと焦ってたんだよね。エセルにとっては初めて会った人間だもんね――――こんなにベタべタされたら嫌だったでしょ」



 エセルは何も答えなかった。リサはニコッと笑って窓から離れると、部屋の中に2つあるベッドの奥側の方に座った。


「でも、今夜は我慢してね? 聞いてみたんだけど、今日はここの宿満室らしいんだ」


 じゃあお休み、とベッドに潜り込むと、リサは壁の方を向いて寝てしまった。

 エセルは暫くリサを見て何かを言いたそうにしていたが、やがて部屋から出ていってしまった。静かにドアの閉まる音を聞き、ベッドの中でリサは熱くなる目頭を抑えられないでいた。


(ちぇっ----あったかいシチューも、ふかふかのベッドも、今日は役に立ちそうにないなあ)


 エセルが記憶を失ってしまったことがどれだけ自分にとってショックだったか、それを思い知らされた。エセルは当たり前の話だがリサのことを何とも思っていない。それを認めたくなくて、わざとべたべたしたりエセルを引っ張りまわしたりしていたのだが、今はすべてを突っぱねられてしまったような気すらする。


 それでも明日はまだ二人で旅をしなければならない。


(今夜だけ、ね、こんなめそめそするの。明日からはまた元気にならなくちゃ)


 布団を頭からかぶり目をつぶる。疲れていたのか、リサはほどなく眠りに落ちていった。













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