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 理沙のマンションまではタクシーで20分ほどだった。遠藤は「着いたら起こしてやるから寝てろ」と言ってそれきりだまってしまった。

 昼間の日差しですっかり車道の雪は融け、タクシーは普通に走っていく。ぼんやりと外を眺めながら理沙は(快適だなあ)と思っていた。

 車は滑るように進み、振動もほとんどない。時折がたんと振動を感じるが、座り心地のいいシートは決してお尻を痛めたりしない。


(――――?!)


 なんでそんなことを考えているんだろう。車のシートにクッションがついてるのなんて、当たり前の話なのに。理沙は思わず自分で自分を抱きしめて顔を青くした。


(おかしい――――私、なにかおかしい)


 心の底から焦燥感が沸いてくる。

 そのときタクシーがマンション前に着いて、二人はタクシーから降りた。理沙はその間も得体の知れない気持ち悪さを覚えていた。体がつらいのではない。なにか大事なことを忘れているような、自分が全く違う場所にいるような居心地の悪さを感じていた。そのせいかどんどん頭がぐらぐらと回ってきてしまった。


「月原? どうかしたか?」


 理沙の様子がおかしいのに気がついたのか、遠藤が話しかけてきた。理沙はその声にはっとしたが、弱々しい笑顔で「なんでもないよ」と返した。

 が。


「何でもないわけないだろ! 真っ青じゃないか!!」


 遠藤に両腕を掴まれ、理沙はびくりと体をすくませた。


(いいかげんにしろ、おまえはすぐそうやってやせ我慢をするから)

(やせ我慢じゃないもん。そもそも×××に言われたくない)

(まったく―――ほら、見せてみろ。おまえは女なんだから、肌に傷が残ったらどうする)

(そうね、そのときは――――)


 瞬間的に頭の中になにかが去来する。なにかの――――記憶?


「――――きはら! 月原!」


 はっと気がつくと、遠藤の顔がすぐ目の前にあった。ひどく心配そうに理沙をのぞき込んできている。


「あ――――私」

「大丈夫か? 急に倒れそうになるから」

「倒れ? ……そう、ごめんね、迷惑かけたんだ」

「んなこと言うなよ、水くさい。俺は」


 そこまで言って遠藤は顔をほんのりと赤くする。


「いや、それより早く部屋へ。横になった方がいい」





 遠藤に支えられながら部屋まで戻り、なんとかベッドまでたどり着くと、理沙は文字通りベッドに倒れ込んだ。頭がぐらぐらする。頭の中でいろいろなものが混ざり合って気持ち悪い。

 それと同時にさっきから感じている焦燥感のようなものがどんどん強くなっている。


 ――――帰りたい、帰らなきゃ


 自分の内側で、誰かが必死にそう叫んでいるようだ。


「月原、ほら飲めるか」


 遠藤がペットボトルを差し出した。


「悪い、勝手に冷蔵庫漁らせて貰った。あと、タオルも借りた」


 言いながら横になっている理沙の額に絞ったタオルを置いてくれた。ひんやりとして気持ちがいい。


「ありがと、遠藤」

「ほら、しわになっちまうからスーツ脱げよ。俺が脱がせるわけにいかないだろ」

「うん。あ、でもちょっと手伝って」


 なんとかスーツのジャケットを脱ごうとするが、頭がぐらぐらしてうまく体が動かない。


「――――しょうがねえな、あとでセクハラとか言うなよ」

「言わないよ」


 ベッドで横になっている理沙の腕をジャケットから抜き、そっと背中に手を入れて上半身をわずかに持ち上げるとジャケットを抜き取る。それはうまくできたのだが、ベッドに下ろされた直後。


「――――理沙」


 背中に差し入れていた手にぐっと力が込められ、そのまま遠藤の胸の中に抱き込まれてしまった。


「え、遠藤?!」

「具合のよくないのはわかってる。でもだめだ、こんなそばにいると……」

「や、はなしてっ」

「ごめん、でもこんなそばで弱ってる理沙を見ていると――――自分に嘘がつけなくなるんだ」


 理沙、と遠藤は呼んだ。今まで月原、と苗字で呼ばれたことしかない理沙はぎくりとした。


「理沙――――好きだ」


 そういって遠藤の顔がゆっくりと理沙に近づいてくる。

 キスされる、そう悟った瞬間、全身が粟だった。


 ――――いやだ、違う。この人じゃない。私に触れていいのは、





「――――エセル!!!」







 エセルバート、私の騎士。




 その瞬間、理沙はすべてを思い出した。


 昨日の日曜日の朝、突然異世界へトリップしてしまったこと。

 そこで魔術師として戦いに巻き込まれたこと。

 戦いはほぼ終わったが、最後の最後でこちらの世界へ戻されてしまったこと。


 その間、自分を支え、ともに戦ってくれた人こそエセルバートだった。


 エセルバート――――エセルは異世界にあるフローダルという国の王に仕える騎士だった。

 鋼色の短い髪、がっしりとした体つき。背も高い。騎士としては超一流、特に剣を取らせたら王国でも5本の指に入ると言われるほどの腕前で、理沙がフローダルへ飛ばされてからの護衛兼相棒としてずっとそばにいてくれた。


 理沙はフローダルでは卓越した魔術師になった。

 そして、その魔法の才ゆえに戦いに巻き込まれ、エセルとともにそこをくぐりぬけ――――二人がおたがいをただ一人の大切な人と意識するのに、そう時間はかからなかった。



「離してっ!」


 どん、と遠藤の胸を押すと、遠藤はあっけなく体を離した。


「理沙――――誰か好きなやつ、いるのか」


 理沙は答えなかった。ただじっと真っ直ぐに遠藤をにらんでいた。


「――――わかった」


 遠藤は立ち上がり、ゆっくり玄関へ向かった。玄関まで行って、ぴたりと足を止めると振り返らずに言った。


「俺、謝らないから。理沙のこと、本気だから。理沙が他のやつを好きでも、諦めないから」

「無理だよ」


 遠藤の決意の言葉に理沙の返事はにべもない。


「思い出したんだ。エセルは、わたしの――――私の、夫だから」

「は?!」

「ごめん遠藤、私、エセルのところに帰らなきゃ。ああでも、こっちじゃ魔法は使えないし――――」

「ちょ、ちょっと待て。おまえ、何言ってるんだ?」


 ベッドから起きだしてきた理沙は遠藤をちらっと見て続けた。


「思い出したのよ。昨日のこと、っていうか時間の差異のせいでこっちでは1日しか経ってないみたいだけど、あっちでは1年たったの」


 もうすっかりめまいはよくなったらしい。そのまま腕組みをしてう~んと考え込んでいる。


「お、おい理沙。本当に何を言ってるんだ?」

「だからね、私、日曜にフローダルっていう国にトリップしてね。時間の進み方が違うのか、あっちで1年過ごしてる間にこっちでは1日しか時間が経ってなかったの。私はその1年の間にエセルと婚約したの。いろいろあって結婚式の前日にこっちに戻されちゃったけど、私、フローダルに戻ってエセルのところに行かなきゃ。――――ああ、こっちの身の回りも整理しなきゃだけど――――」

「何言ってるの?!」

「だ~から~、異世界に定住することに決めてるから旦那のところに戻るって言ってんの!!」






 そのままわけがわからないとわめく遠藤を「じゃ、そういうことだから」と追い出し早1時間。


「――――困った」


 理沙は途方に暮れていた。


 頭では理解していたが、日本ではまるっきり魔法が使えないのだ。


 フローダルのある世界には「魔法」が存在していて、誰もが自分の中に存在する魔力を使うことが出来る。異世界からやってきた理沙は魔法が使えないかと思われたが、逆に強大な魔法使いとして戦いに巻き込まれることになった

 。

 魔法は、自身の魔力を世界に充満する魔素子と呼ばれるものを通して行使する。つまり、魔力を持っていても魔素子が存在しなければ使えない。言うなれば、空気のない宇宙で音が伝わらないのと一緒だ。理沙の元いた日本には魔素子が存在しなかったため、魔法というものが使えず認知されることはなかったが、なぜか魔力だけは人の体内にあってひたすら蓄積していた。そのため、知らず知らずのうちに理沙の中にはフローダル人では考えられないほどの魔力とそれを入れるための容量があったのだ。


 だが、その強大な魔術師リサでも魔素子のない日本では魔法を使うことは出来ない。


「どうやってあっちに帰るかなあ」


 魔法さえ使えればたぶんトリップは出来る。だからなおさら歯がゆさが募り、理沙はいらいらと爪をかんだ。


「魔素子がない――――あっちには売るほどあるのに」


 ああもうっ! と、手持ちのクッションにさんざん八つ当たりをして、また思い出したように魔力を集中してみたりするが何も起こらない。


 ――――ちりっ


 けれどそのとき、理沙はなにかを感じて思わず振り返った。

 今込めた魔力になにかが反応したような気がして。


 振り返った先には、暗がりにぼんやりと白く見える洗濯機があった。





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