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 森の中を隠れるように進む馬そりがある、という報告がエセルの入ってきたのは砦を出て丸一日経った頃だ。

 斥候に出した者によると、どうやら南のマリエラではなくフローダルの西側に国境を接する国トリンへ向かっているらしい、とのことだった。エセルは雪原に馬を止め、大きく地図を広げた。


 実のところ、マリエラは2年前の戦いの後王が替わっている。新王は前王と違い、軍隊出身ながら武力による他国との戦に批判的な人物であり、これによって国の方向性ががらりと変わってしまった。このため、国内で大々的な改革が行われ、その一環として好戦的で腐敗した上層部は一掃されている。

 エンディは筆頭魔法士として処断されるべき前王の手駒と見なされていて、危うく処断されかけたところを出奔してきたので、マリエラに戻る気はそもそもなかったのだ。

 残念なことにフローダル側ではそれは把握されていなかった。だからこそ、エセルはマリエラに逃げ込むだろうと考えてそちらへ馬を進めていたのだ。


 フローダルからトリンへ抜ける道は3つある。最短ルート、少し西へ迂回するルート、逆に東に迂回するルート。エセルたちは当初エンディがマリエラへ戻るものと思って、東へ進んでいた。マリエラはフローダルの東側に位置しているからだ。だが、トリンへ向かっているというなら急がないと追いつけなくなる。


 しかし、幸いなことにエンディ達は一番西寄りの道を進んでいるらしい。森の中をぬける道なので、人目につきにくいからだろう。

 エセルは馬をトリン国境に向けた。


 トリンは中立国だ。

 中立国、といえば聞こえはいいが、どちらにも与しないかわりにほぼ関わらない。要はまるっと無視している状態だ。そのうえ、国の情勢はお世辞にもいいとは言えない。治安も悪く、はっきりいって無法地帯。つまり、後ろ暗い経歴を持つ者には格好の隠れ場所なのだ。


「エンディはトリンに隠れ住むつもりなんだろうか?」


 エセルの後から必死に馬を駆ってきたローガンが声を張り上げた。激しい蹄の音で、かなりの声を上げないと前を走るエセルには届かないのだ。


「トリンに入るつもりはあるだろうが、そこに居着く気はないと思う」

「なんで?」

「奴の一番の目的は、異世界へ戻ることだからだ」


 そして、リサをじぶんのものにすること。

 それを考えると胃の腑が拗くれるような気がする。頭に血が上って正常な判断が出来そうにない。


「はっ!」


 エセルは愛馬の速度を上げ、ひたすらに国境目指して疾走した。









 森の開けた場所の真ん中に立ち、リサはすぐ横に立っている遠藤を見上げた。


「本当に後悔しないね?」

「ああ」

「日本に帰ったら、遠藤はもうここには帰ってこられない。遠藤を慕ってくれているノーラさんや騎士たちとも二度と会えない。それでもいいんだね?」

「くどい」

「なにかノーラさんに残さなくていいの? 言葉でも、ものでも」

「必要ない。あいつが俺を忘れる妨げになるだろう」


 遠藤の覚悟のほどがはっきりと見えた気がして、もうこれ以上何を言っても無駄だとリサにもわかった。

 そして、どれだけ遠藤が----エンディがノーラを大事に思っているのかも。

 遠藤は日本へ還ることと同様に、リサを手に入れることも念願の一つだったと言っていた。でも、それはこの10年でただの妄執と成り果てていたのだろう。さもなければ、遠藤と合流してからこの数日間、リサを奪おうとしただろうから。前の晩のあれはむしろ肉欲からでたものでなく、脅しのようなものだとリサは受け止めていた。


「----わかった。術を始める」


 リサは魔法を唱え始めた。


 唱えると言っても、特定の呪文があるわけではない。リサにとって魔法はまるで自分の想像力に魔力を与えて世界に広げていくようなものだ。そこに定型の言葉は必要ないのだ。

 リサの中で必要な情報を組み上げ、繊細に編み上げて魔方陣を紡いでいく。それを一気に自分の外へ広げるのだ。


 ふわりと足下の雪が光り、銀色の模様がリサと遠藤を中心にさあっと広がる。そこへ自身の魔力を注ぎ込み、次第に光の模様を強くしていく。





 遠くから人の争う声が聞こえた。


 魔法に集中していたリサの耳にも怒声や金属のぶつかり合う音が響いてきた。だが耳が音を拾うだけ。それの意味するところには頭が回らない。

 魔法は次第に組み上がっていく。

 あと少しで魔方陣が完成し発動する、という段になって、突然耳が聞こえてくる音の中から意味を拾い上げた。


「リサ! 行くな!」


 言葉が強引に耳に入り込んできてリサはびくりと体を震わせる。目が勝手に声の主を捜し求める。


「リサっ!」

「エセル」


 抜き身の剣を右手に、エセルが広場の入り口に立っていた。リサの姿を認めると駆け寄ろうとするが、後ろからエンディの騎士が追ってきて剣をぶつけ合う。

 がきぃぃぃぃん!!

 エセルが相手の剣をはじき飛ばし、そのまま鳩尾を猛烈な勢いで蹴った。騎士は派手に吹っ飛ばされてぐったりと動かなくなった。剣で斬りつけてはいないので、気を失ったのだろう。


「リサ!」


 今度こそエセルが駆け寄ってきてリサに手を伸ばした。


 ばちぃっ!


「うわっ!」


 リサに手が届く寸前、見えない何かにはじき飛ばされてエセルがひっくり返った。発動中の魔法に触れてしまったのだろう。

 けれど、今この魔法を解くわけにはいかない。というか、できない。魔法はほとんど完成しているのだ。


「エセル!」


 リサが思わず声を上げた。


「----俺は大丈夫だ。だから戻ってきてくれ」

「え」


 ばちぃっ!


 エセルが剣を魔法陣に突き立てる。とたんに激しくスパークして剣ははじき飛ばされた。


「やめて、危ないよ! 怪我しちゃう」

「体の怪我はいつか治る! だが、おまえがいなくなった心の穴は何も埋めることができないんだ」


 エセルの言葉にリサの顔がつらそうに歪む。


「だめだよ、そんなこと言わないで。エセルは私が婚約者だから好きになろうと努力してくれてるだけ、もう無理しなくていいんだよ。私はいなくなるから」

「違う! そうじゃない! 記憶をなくしても俺はまたリサを好きになった。義務感なんかじゃない、リサが必要なんだ! リサを失うなんて、あんな思いはもう二度としたくない」

「----えっ」

「思い出したんだ、すべて。リサとともに旅したことも、リサへの気持ちも、2年間の空虚さも全部。そして記憶をなくしていた間に俺はまたリサに恋をした。なのに、おまえを失って俺にどうやって生きて行けというんだ!」


 その言葉はどれだけリサが欲しかったものか。

 どれだけ夢見たことか。

 そして、今のリサにはどれだけ残酷なことか。

 魔方陣はリサの魔力を吸い上げて光を強め、どんどん完成していく。もう止める手立てはない。


「リサぁぁぁぁっ!」

「エセル、エセル、愛して……」


 思わずお互いに手を伸ばした。まばゆい魔方陣の光越しに指先と指先が届きそうになり----








 魔方陣は不意に消失した。


 陣の中にいたリサとエンディともども。

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