12
大変お待たせいたしました。
夜明け前に洞窟を立ち、人気のない森を進んでたどり着いた先は、森の奥深くにぽっかりと開けたような場所だった。それだけでもなんだか不思議な場所なのに、さらにリサを驚かせたのはそこで10名ほどの男たちが待ち構えていたことだった。
男たちは旅装のマントを被り下の服装はよくわからないが、いずれも屈強な男で腰に帯剣している。砦からの追手ではない。制服が違うし、顔にも見覚えはない。
傭兵なのか騎士なのかはっきりしないが、統制の取れた動きや醸し出す雰囲気でどちらかというと騎士じゃないかとリサは考えた。
「ふん、まだいたのか」
面倒臭そうに遠藤がこぼし、緩慢に立ち上がると待ち構えていた男たちは一斉に礼をとった。ザザッと礼をとる衣擦れの音が揃い、訓練された人間たちであることがわかる。だが遠藤は彼らを一瞥すると低い声で言った。
「何をしに来た。お前たちは任を解かれ、各自勝手に暮らして行けと言ったはずだ」
「はっ! 我々は仰るとおり解散致しました。あとは各自が好きにした結果、全員エンディ様の下へ集ったものであります!」
「……勝手にしろ」
びしっと背筋を伸ばし勢い良く喋るグループのリーダーらしき大男に、遠藤は小さい声で許可を与えて背を向けた。冷たい態度だったが、男たちは無表情の中にも満足そうな色を持っている。
リーダー格の男が他の者に指示を出し、男たちはそれぞれ役割があるのだろう、解散して行った。
「遠藤、信頼されてるんだね」
リサはぽつりと言った。
「あの人たち、遠藤を慕って集まってきたんだね」
彼らは自分の意志でここへ集まったと言っていたじゃないか。
ノーラだってそうだ。遠藤を慕っているのがよくわかる。それが上司としての尊敬なのか畏怖なのか、恋情なのかはわからない。でも、この男たちといいノーラといい、遠藤という人自身に集まっていることは確かなのだ。
そう、日本にいた頃から遠藤という人間は確かに魅力的な人物だった。イケメンでモテる、というだけでなく、同性の同僚からも信頼を寄せられていた。優しくて頼りになる人だった。あの頃の陽気な笑顔はもう見る影もないが、根底ではその人為は変わっていないのだろう。
「当然だ」
いつの間にかリサの後ろに立っていたノーラの言葉に、リサは振り返った。
「エンディ様は魔力に乏しく、家畜同然に扱われていた私を救ってくださった。教育を与え、従者として取り立ててくださった。彼らもそうだ。エンディ様が取り立ててくださり、目をかけて下さったおかげでマリエラでも屈指の騎士団として名を馳せるまでになった。
エンディ様は恩人だ。我々はマリエラではなくエンディ様に仕えているのだ」
そう語るノーラの顔は誇らしげだ。
でも、だから。なおさら。
「ねえ、いいの? 本当に彼を日本に返しても。もう会えないよ?」
「無論だ。我々は多くのものをエンディ様に頂いた。我々の望みはエンディ様の願いを叶えること。それが何もかもから見捨てられていた我々を拾い上げてくださったエンディ様へのご恩返しだ」
ノーラが珍しくまっすぐにリサを見た。その表情はやはり自信に満ちていて、リサはわからなくなってしまった。遠藤の望み通り、魔力が満ちたら日本に送り返すつもりだった。けれど、ここには遠藤の居場所がある。彼を慕っている人たちがいる。けれど一度あちらへ渡ってしまったら、こちらへ戻ることは遠藤には難しいのだ。リサは考え込んでしまった。
ちらっと離れたところにいる遠藤を見る。10年の歳月を経て10歳年をとり、魔法を覚え、戦いに身を投じ、必死に生きぬいてきたであろう背中。日本に帰ることだけを夢見て、いや渇望してきたであろう遠藤に、リサは呆然としてしまった。これだけ慕ってくれる人間がいて、居場所がある。なのにそれらを捨ててでも帰りたいというその願いの重さに、わかっていたつもりでしかなかったことに気づかされてショックを受けたのだ。
10年間、遠藤が血を吐くような思いで魔法を身につけ生き抜いてきたかは、デルエルの森での戦いやここまで来る間の行程、あるいは騎士たちの忠誠を見れば察することは出来る。特にデルエルでエセルと戦っていたときは、その熟練した戦い方に「手強い」と感じていた。
「あ。そうだ」
リサは馬車に戻って紙にペンを走らせた。紙とペンは遠藤配下の騎士が貸してくれた。どうやら全員が全員ノーラのようにリサに対して敵意を持っているわけではなさそうで、この騎士はどうやら自分が遠藤のために婚約者と別れてまで異世界へ渡る魔法を使おうとしている、と多少なりとも同情してくれているようだった。
書き上がった手紙は丁寧にたたんで自分のハンカチでくるんだ。自分が関わっている証拠になるように。中には自分の意思で遠藤を連れて故郷へ帰ること、そして砦のみんなとエセルに心からの感謝と愛を綴ってある。
そして中の1枚だけは手紙とより分けて小さくたたみ、そっとスカートのポケットへしまっておいた。
騎士に手紙を託すと、さくさくと雪を踏んで遠藤の側まで行った。
「----遠藤」
自分でも思ったより頼りなげな声が出てしまった。馬にブラシをかけていたらしい遠藤は、一瞬手を止めてちらりとリサを見たが、すぐに背を向けてブラッシングを再開した。
「ほんとにいいんだね? ひとりで、ノーラさんたちと別れて日本に帰って」
「くどい」
遠藤は一言言って、それきり黙ってしまった。
「----わかったよ。遠藤、そうしたら早いうちにやろう。もう魔力は充分回復したから」
「そうか、わかった」
「実際に転移魔法やるのは、朝ご飯食べてからでもいいかな? これで最後だし、こっちの食事あと1回くらい食べて帰りたい」
ふざけてそんなことを言ったわけじゃない。もう二度と会えないなら、ノーラたちと一緒に食事でもして、きちんとお別れをしてほしいと思ったからだ。遠藤はそのリサの意図をわかっているのかわかっていないのか、もう一度リサを振り返ってから低い声で「わかった」と頷いた。
携帯用の固いパン、男たちが仕留めてきた兎肉のシチューなどで朝食を済ませた。皆黙々と食事をとり、済んだ者から遠藤の側へ来て騎士の礼をとり、持ち場へ戻っていく。何も言わなかったが、横で見ていた部外者のリサにさえわかるほどに一様にたぎるほどの思いを瞳にたたえていた。
やがて男たちは全員いなくなり、遠藤も席を外してしまった。この後魔法を使うための開けた場所へ先に向かったのだ。
あとにはノーラ、リサだけが残った。
「----ノーラさん」
声をかけたが、ノーラは振り向きもしない。前の晩にあれほど激高していたのだ、それも当たり前かもしれない。が。
「聞いて。あれはそういう意味じゃないの」
「……」
「初めて使う魔法だっていうのは本当。だから、絶対安全と言い切れないのも本当。でもね」
「うるさい」
「ううん、聞いて。遠藤はたぶん無事にあっちに帰れる。っていうか、私が絶対に帰してみせる」
背を向けたままのノーラの肩がぴくり、と震えた。
「どうなるかわからない、って言ったのは私のことよ。実際にやってみないと魔力が足りるかどうかわかんないんだ」
なにせ二人分だからね、と笑う。
「でも強い意志で行きたいと思った世界へ向かう魔法だからね、遠藤は大丈夫。あの世界は遠藤の還るべき場所で、遠藤がこれだけ帰りたいと願っている場所。最悪遠藤だけでもあちらの世界へ必ず渡らせる。一人分なら問題なく魔力が足りるからね」
ずっと暮らしてきた世界。リサだって懐かしくないわけがない。けれど、あのときリサは自分の意思でフローダルへ、エセルの元へ戻ることを選んだ。遠藤ほど強く日本へ帰りたいという意思はないだろう。
「でも私はそんなに帰りたいと思ってるわけじゃないんだよ」
「だったらどうなるんだ。強い意志で行く世界を決めるなら、その強い意志がないなら」
「さあ? だから尚更どうなるかわからないんだ。一緒に日本へ帰るのか、私だけ他の世界へ行くのか、あるいは----そんなだから、帰ってくるつもりがあってもそれをエセルに告げるわけにはいかなかった。待ってて、なんて言ったらきっとエセルは本当に何十年でも待ってる。
記憶をなくしてくれていて本当に良かった。じゃないと、私はまた彼を悲しませることになる」
ああごめんね、とリサは声のトーンを上げる。
「余計なこと話しちゃったね----そんなわけだから、遠藤のことは心配しなくていいよ。必ず日本へ送り届ける。それだけ言いたかったんだ」
じゃあ元気で、そういってリサはその場を後にした。
どんどん歩いて、少し開けた場所へ向かう。そこにはすでに遠藤がいて、数名の男があたりを警戒している。
リサはその光景に圧倒された。
だれも踏み入れたことのない純白の雪原、そのまわりをぐるりと針葉樹が取り囲んでいる。木々は積もった雪できらきらと朝日を反射し、美しく飾られた神殿のようだ。遠藤はその入り口あたりに立っていた。
「きれいだね」
リサがぽつりというと遠藤はただ黙って首肯した。
「これで見納めだよ、この世界も。よく瞼の裏に焼き付けときなよ」
「必要ない。もう二度と来ることのない世界だ」
「----そっか」
リサは少しだけ悲しい瞳で笑った。それからきりっと表情を引き締めた。
魔法士の顔だ。
「じゃあ----始めようか」
本日より3日間、連日0時に更新いたします。
あと5話でおしまいです(3日目にの5月25日は3話同時更新の予定です)。
どうぞよろしくお願いします。