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間が開いてしまい申し訳ありませんでした。
日の落ちる頃にその日の宿として入り込んだ洞窟の中でリサはノーラと二人で焚き火を囲んでいた。
お互い何も話さない。それは今に限ったことではなく、二日前にノーラと合流してからこっち、遠藤を含めて3人でいるときでさえ必要以外のことは話さずずっとこんな感じだった。
(き、気づまりだ)
リサは居心地悪いことこの上なかったが、友好的に和気あいあいと、なんて考えられなかったのでやはり黙っていた。
遠藤は食料になる獲物を探しに外に出ている。おそらく彼の腕ならそう時間もかからず仕留めて戻ってくるだろう。
ノーラが長い枝で焚き火を少しかき混ぜた。とたんにバチバチと火の粉がはじけ、ぶわっと熱気が動く。
「----おまえは」
低く声がした。リサはそれがノーラの発した言葉だと気づき顔を上げた。
「エンディ様とともに異界へ渡るのか」
「ともに----そう、だね。そういうことになるかな」
思わず微妙な言い回しになってしまったのには理由がある。ノーラもそのあたりに気がついたのか、初めて顔を上げてリサの目を真っ直ぐ見た。
「たぶん遠藤の……エンディの使う魔法と私の使う魔法は性質が違うんだ。エンディは強力な魔法士なんでしょ? それがこれだけ長い年月がたっても自力で異界へ渡れないということは、そういう魔法に適性がないって事だと思う」
そしてそれはおそらく遠藤もわかっているんだろう。あきらめられずに10年間もがき続けたのかも知れない、あるいは半ば諦めてしまっていたのかも知れない。
そこへ界を渡ってリサが舞い戻ってきた。つまり、リサは異界へ渡る魔法を使えるということだ。
どれだけ希ったかわからない異界渡りの魔法を使える人材。ましてやそれが自分をこの世界へ渡らせた原因の人間であり、また好意を抱いていた女だ。そこに遠藤の激情の理由が垣間見える気がした。
「私は、エンディが望むなら彼を日本に還らせてあげたいと思ってる。それは本心だよ。ただ----あの魔法は自分自身を渡らせるためのものなんだ。そういうふうに私が作った。エンディがこの魔法を使えないなら私がエンディを連れて異界へ渡る必要がある」
「おまえにも初めてのことなのか」
「そう。人を連れて渡るのは初めてだから、正直どうなるかわからない」
「!」
ノーラは目を見張る。いつも鋭い刃のように冷徹でぶれない彼女が珍しく揺らした表情は、とても繊細にリサには見えた。
「その話、エンディ様には」
「してないよ。できないじゃない」
そういって首を横に振った、その次の瞬間。
がつんっ!
ノーラがものすごいスピードで立ち上がったと思うと、直後背中をいやと言うほどぶつけた。
ノーラに首根っこを掴まれて、背を向けていた岩壁に力一杯押しつけられたのだと気がついたのは数秒たってからだった。
「いっ……!」
「エンディ様にそんな危ない橋を渡らせるつもりなのか。失敗したらエンディ様がどうなるかわからないなどと、それを黙っているとはまるでだまし討ちではないか」
ノーラの暗い瞳が凶暴なまでの色を帯びている。
「そうか、魔法が成功すれば勿論のこと、しなくてもエンディ様がこの世界からいなくなる可能性が高いからな。フローダルにとってはそのほうが好都合と言うことか」
「ち……が……」
「黙れ」
ぎりぎりと襟元を締められ、顔に血が集まって熱くなる。やばい、と思った瞬間に突然手を離され、ずるずると地面にへたりこんでしまった。げほげほと咳き込むリサの前でノーラが冷ややかに見下ろしている。
「今ここでおまえを始末できなくて残念だ。始末してしまえばエンディ様の願いは叶わなくなってしまうから」
ノーラはそのままリサとは目を合わせず出入り口のそばに座り込んだ。
はあはあと荒い息をなんとか整えノーラを見ると、まったくリサを無視してただ明後日の方向へ視線を投げていてその表情からは何も読み取ることが出来ない。ただ、瞳の奥にどろどろと熱く渦巻く光があった。
ほどなく戻ってきた遠藤と入れ替わるようにノーラは出て行った。
リサが見る限り、ノーラは遠藤に敬意を払って一礼して出て行ったが、一方の遠藤は気に留める様子もなく軽く会釈をしただけだった。
「ねえ、遠藤。1つ聞いていい?」
遠藤はリサから少し離れたところで捕ってきた小動物----ウサギくらいの大きさのもの----を捌いている。
「遠藤が日本に帰ると、ノーラさんはどうするのかな?」
ノーラは遠藤に心酔している。共に日本へ行くのだろうか、とリサは考えたのだ。もしノーラも行くのなら、3人分の魔力と、3人を送れる魔方陣の構成を考え直さなければならない。
すると遠藤は獲物を捌くナイフを止めた。
「ノーラはここに残る」
「え? そうなの?」
「俺の従者になったとき、まず第一に話して聞かせた。俺は何年かかっても故郷へ帰る、そのときが別れの時だと。それまでの従者だと」
「でもノーラさん、あんなに遠藤に」
「文化水準も常識もなにもかもが違う世界で生きることがどれだけ大変なことかは俺は身をもって経験している。だから、ノーラを連れて行くことはできない」
「----!」
吐き気がする。自分自身の配慮の足りなさ加減に。
ノーラは遠藤について行きたいだろう。けれどおそらく遠藤は決して首を縦には振らない。どんなに忠誠を誓っても、どんなに心酔していても、遠藤が日本へ帰るそのときで永遠の別離になることが決定しているのだ。
止めたい。でも、帰還が遠藤の最大の望みであればかなえてほしい。そんな両極端なふたつの考えの間でぴっと背筋を伸ばして立っているノーラに、リサは素直に敬意を表する。
----それもこれも、自分がフローダルへの帰還に使った魔方陣の不始末が原因。それがなければきっとノーラにも辛い思いをさせなくて済んだのでは----
「一時の感情で気軽に決められることじゃない。異世界で生き抜くことは、おまえが考えているほど甘くはないんだ」
「それでも----それでも、遠藤は、あんなに慕ってくれているノーラと別れてでも日本に帰りたいんだね」
「その思いで10年生きてきた。それが俺の10年間の支えだった。そしてもう一つの支えは」
突如眼前が暗くなったと思った次の瞬間、またしても背中を打ち付けた。何が起こったのかわかったのは、やっと目の焦点が合ってすぐ目の前に今し方まで離れたところで獲物の始末をしていた筈の遠藤の顔があるのに気がついてからだ。一瞬で遠藤はリサを押し倒し、上に覆い被さるようにのしかかっていた。
「おまえだ、リサ」
「やっ----! やだ!」
「抵抗するのか? 贖罪のためについてきたんだろう」
なんの温度も感じない冷ややかな遠藤の声にぞっとすると同時にはっとした。そうだ、そのつもりだった。だからこそ身を裂かれる思いでエセルに別れを告げてきたんだ。
けれど気持ちは正直だった。どうとりつくろっても、ごまかしても、エセル以外の男に触れられるのは絶対にいやだという叫びが体の奥底からわき上がってくる。
身をよじり必死に抵抗していると、ふっと拘束が解けた。
「つまらん」
唐突に手を離し遠藤は立ち上がり、もうリサに興味がないように背を向け、捌きかけていた獲物のところへ戻っていった。