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 私のエセル。

 でも今はエセルの中に私を好きだった記憶はない。

 だから、たとえ私がここでいなくなってもエセルは傷つかない。


 *****


 転移魔法で砦の外へ出たリサは、雪深い森の中ではあはあと荒く息をついた。まだ回復しきったとは言えない状態でさらに転移魔法を使ったため、また魔力が目減りしている。ぐらぐらする頭を支えるように針葉樹の大木によりかかり、頭の中で自分に言い聞かせる。


(大丈夫。エセルはわたしがいなくなっても大丈夫)


「----うん、大丈夫」


 口に出して言うと、なんとなくそんな気になってくるのが不思議だ。けれどその言葉は降り積もった雪に吸い込まれて消えていき、あたりは静寂に包まれる。ただ高くそびえる針葉樹が時折ぎしぎしと鳴って、雪をどさっと落とす音だけしか聞こえない。


「決心はついたか」


 突然声がしたが、リサは驚かなかった。振り向くと少し離れたところにいつの間にか遠藤が立っているのが見えた。


「遠藤」

「ついて来い。こっちだ」


 遠藤がリサに手を伸ばす。リサは一瞬躊躇ってから、遠藤に向かって足を踏み出した。









「リサがエンディのところへ行ったって?!」


 突然旅支度を始めたエセルを囲んだシドニー、キャリガン、ローガンの3人は驚きを隠せなかった。



「で、エセルはどうするんだ?」

「勿論追いかけるんだ」


 当座に必要なものを詰め込んだ背嚢を肩に引っ掛け、旅用のしっかりした造りのマントを羽織ると部屋を出ていこうとする。


「おい待て、追いかけるのはいいが行き先はわかってるのか」


 シドニーの言葉にエセルの足がピタッと止まった。


「わからない。だが、おそらくはマリエラに向かうだろう。そっちへ向かう」

「おいおい、そもそもそのマリエラへのルートだって記憶にないんだろう? しょうがない、俺が一緒に行ってやるよ」


 ローガンが腰を上げると振り向きもせずにエセルが答えた。


「大丈夫だ、わかる」

「わかるって、え?」


 部屋の中の視線が一斉にエセルに集まる。それに応えるように振り返ったエセルの顔は、三人が昔からよく知っている大隊長エセルバート・アンガスの顔だった。


「エセル、ひょっとして思い出したのか!」

「ああ」


 本当にエセルは殆どの記憶を取り戻していた。それはエンディに受けた雷撃のショックかもしれない。

 隊長としての自分。砦を守り、周囲を警戒し国と民を守る。そんな自分の矜持といくつかの知識。それこそ周辺の地図や情報も部分的に思い出せている。


 そして、何よりリサのこと。

 自分の心の殆どを占めていた大切な存在をなぜ忘れていられたのかわからない。一度思い出したら、彼女の記憶は奔流のようにエセルの脳裏に噴き出してきた。


「とにかく俺はリサを探す。探して連れ戻す。すまないがしばらく----」

「ああ、わかってるよ。おまえの婚約者じゃなかったとしても、リサは貴重な戦力であり、大切な仲間だ。砦をあげて捜索する理由には充分だ。----よし、キャリガン隊はエセルと同行、ローガン隊は国境の封鎖だ。俺は留守番だな」


 シドニーがてきぱきと割り振ると、ローガンとキャリガンの二人もさっと敬礼して部屋を駆けだしていった。


「エセル」


 最後にシドニーが声をかける。


「とりあえずおまえがリサを連れて帰ってくるまでは大隊長代理引き受けてやるよ。貸しひとつな」

「----返済が大変そうだ」


 エセルもにやっと笑って答えると、「ありがとう」と言い置いて部屋を出て行った。








 ★★★★★★★★★★

 ★★★★★★★★★★




 ビュッと鋭く剣が空を裂く。一瞬遅れて舞い散る深紅の鮮血。


 リサはただ青ざめてその場にへたり込むのみだった。


「立て! 死にたいのか!」


 痛いほどに腕を掴まれ引っ張られ、凄惨な森の隙間を引きずられるように走った。手を引くエセルは無言だが、神経を尖りに尖らせて警戒しているのがど素人のリサにもよくわかった。

 そのエセルが急に止まり、あれっと思う暇もなく岩の影から刀を持った男が二人走り出してくる。テレビで見るように雄叫びを上げるでもなく、無言で斬りかかってくるのが恐ろしい。

 エセルは落ち着いて剣をさばき、二人の剣を受け止め、弾き、躊躇することなく急所に剣を沈めていった。


 襲ってきた男たちの血を土が飲み込んでいくのをただ見ていた。日本では見たこともない光景を現実離れしていると考えつつも、独特の匂いに現実だと認めなければいけないこともまた理解してきていた。


「恐ろしいか」


 エセルの低い声が問いかける。


「だが恐ろしくても足を止めるな。振り返るな。――――生き延びたいのならば」


 ゲームやマンガの世界ではない。命のかかった、現実の世界なのだと叩き込まれた気がした。リサが真っ青なまま何度も頷くと、エセルは小さく頷き返してくれた。


「俺のことも恐ろしいだろう。お前は戦いのない世界から来たのだから。だが、とりあえず信じてくれ。少なくとも俺はお前に剣を向けることはない。必ず安全な場所まで連れて行く」



 ☆☆☆☆☆


 目を開くと目の前には累々と人が倒れている。

 急激に放出した魔力のせいか、足はガクガクと震えて、立っているのがやっとだ。倒れずに済んでいるのは偏に後ろから抱きかかえてくれているエセルのおかげだ。


「すげえ。あの人数を一撃かよ」


 ローガンの言葉にビクリとするリサに、エセルが耳元で囁いた。


「ありがとう。リサのお陰でみんな助かった」

「……え?」

「お前は、俺達を、仲間を救った。それが全てだ」


 だから気に病むな、と言わんばかりにきつく抱きしめられ、頬を撫でられる。そこで初めて自分が涙を流していることに気がついた。

 リサはもう一度あたりを見回した。その光景を目に焼き付けるように。


「――――覚悟を」

「え?」

「覚悟を決めなきゃいけないんだね。生きるためには」


 そう言うと、震える足を踏ん張って立ち、袖で顔をぐいっと拭った。



 ☆☆☆☆☆


「好きだ」と告白したのはリサの方。

 なのに、エセルはひどく苦い顔でその告白を聞いていた。


「ごめんね、エセルが私を1魔法士として、庇護対象としてしか見ていないのはわかってる。だから気持ちを押し付けるつもりはないし、好きになってと迫るつもりもない。ただ私のエゴで気持ちを伝えたかっただけ」


 それだけ言うと立ち上がって部屋へ戻ろうとしたリサを、エセルの手が引き止めた。彼女の手首を取り力づくで引き寄せると、エセルよりも遥かに小さいリサはすっぽりと腕の中に収まってしまう。


「すまない、そうじゃない。ただ――――お前を避けていたのは、好きな女を戦力の一つとして冷静に勘定している自分に嫌気が差したからだ」


 リサを抱きしめる腕に力が篭もり、苦しくなって思わず咳き込むと「すまない」と腕が緩んだ。でもリサを解放することはない。その事実に嬉しくなってリサはエセルを見上げた。自分の表情がすごく幸せそうな笑顔になっているのがわかる。


「違うよ。戦力として計算してくれるくらい私を信用してくれてるってことだよ」

「しかし」

「しかしもカカシもなし! 私を誰だと思ってるの? 無敵の魔法士様だよ」


 そう言うとエセルがプッと噴き出した。


「そうだったな」


 エセルはリサの額に唇を落としながら「必ず護る」と囁いた。「だから傍にいてくれ。何があっても」と。その言葉はリサの胸一杯に膨れて、まるで押し出されるように涙が頬を伝う。


「うん、うんエセル。絶対に離れない。もし無理に離されても、必ず帰ってくる。渡り鳥みたいに遠くからでもエセルっていう星を目指して」

「ピイピイと賑やかな渡り鳥になりそうだな」

「こらっ!」


 ☆☆☆☆☆


(夢を見てたのか)


 目を覚ましたリサは、今見ていた夢を頭の中で反芻した。夢だけど夢じゃない、昔の思い出を夢で見たのだ。

 固い床の上で寝ていたせいか、体がぎしぎしする。あたりを見回すと、どうやら粗末な掘っ立て小屋にいるようだ。


(そうだ、遠藤に会って----)


 砦を飛び出し遠藤と再会し、そこから遠藤の用意していた馬そりに乗せられた。魔力切れもあり、途中で寝てしまったのを思い出す。ここがどこだかわからないが、扉の隙間から光が漏れてこないところを見るとまだ外は夜だ。たいして時間が経っていないのかもしれない。その証拠に、魔力はあまり回復していない。


「目が覚めたか」


 暗がりから低い声がしてリサはびくっと肩を跳ね上げた。そちらを向くと、扉のすぐ脇に遠藤が座っているのが見えてきた。遠藤の足元にはカンテラがあって、その一角だけをぼうっと浮かび上がらせている。

 そんな中、遠藤の顔は疲れているように見えた。


「遠藤……ここは?」

「まだフローダルの国内だ」


 そう聞いて思わず窓を探して首を巡らせる。だが小屋には窓がなく、あたりの様子はわからない。


「さっきマリエラからの連れに合流した。まださほど魔力も回復していないだろうし、外は人の目がある。俺は一休みしてくるが、逃げようなんて気を起こすなよ」

「逃げないよ。遠藤のところに来たのは私の意思だ」

「----そうか」

「ねえ遠藤、これからどうするの?」

「邪魔の入らないところまで行って、お前の転移魔法で日本へ帰る」

「ああ----そうだね、確かにそれは魔力満タンにしないと無理か」

「わかったらしっかり体を休めろ。夜明けには出立する」


 そう言うと遠藤は立ち上がってリサの前まで来た。そうして彼女の前で膝を折ると、リサが気がついて身構える間もなくリサの後頭部を掴んで引き寄せ……


「んんっ!」


 リサの唇は遠藤のそれで塞がれていた。

 食いつくように落とされた口づけは、ただただ背筋が寒くなるようなもので、リサは思わず遠藤の胸を力いっぱい突き飛ばす。が、男の力には全く太刀打ちできなかった。捩じ込まれた舌が執拗に口中を舐ってくるのが吐き気をもよおすほど気持ち悪い。

 やがて唇が離れると同時に、今度こそ遠藤を思いきり突き飛ばして壁際まで後退る。手の甲で唇をゴシゴシこすると、じわりと目に涙が浮かぶ。


「あの男が恋しいか」


 遠藤が言った。


「だがおまえはあいつを裏切って俺を選んだ。おまえ自身が、だ。それを忘れるな」


 その言葉はリサの胸を深く抉る。わかっていても他人から言葉に出して言われることは辛いのだ。



 遠藤は小屋から出て行った。耳を澄ますと外でか細く話し声が聞こえる。確かに遠藤の他に人がいるようだ。


(----女性?)


 男性よりも高くて柔らかい響きが聞こえる。気になって意識をそちらへ向けた時に小屋の扉がノックされた。

 入ってきたのは背の高い女性だった。


「初めまして、フローダルの氷の魔女。私はノーラ、エンディ様の従者だ」


 ノーラと名乗った女はリサの前に水筒とパンを置いた。背が高い美人で、砂色の髪は耳のあたりで切りそろえられていて、フローダルでよく男性が着ているような毛織物のチュニックとズボンを履いている。声を聞かなければ男性だと言われても疑わないかも知れないほど細かった。


「リサです」

「食事を摂ったらここでおとなしくしていてもらおう。エンディ様がお目覚めになったらここを出発する」

「マリエラに行くの?」

「貴女が知る必要はない」


 けんもほろろに言い捨てるとノーラはリサをじろりと眺め回し、踵を返して出て行った。鍵をかけた様子はない。


(ああ、気がついちゃった。ノーラさん、遠藤のこと)


 カンテラの薄明かりの中で見たノーラの表情を思い出してリサはため息をついた。従者、と言いながらその暗い色の瞳に宿る光は、情念の炎。

 嫉妬の色。


(なんだ、居場所あるんじゃない。----それでも日本に帰りたいと思い続けているのね、遠藤)


 遠藤の心がどれほど帰郷を切望しているのか、それをイヤと言うほど思い知らされた気がする。


(とにかく魔力をフルに回復して、すべてはそれから)


 固いパンを手にとってちぎり、もそもそと口にする。それから目を閉じて、抱えた膝に顔を伏せた。


 頭をよぎるのは、こんな時でもエセルの面影だけだった。

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