連城姉妹の日常
「お姉ちゃんお帰り!」
玄関のドアを開けた瞬間、見慣れた眩しい笑顔と聞き慣れた元気の良い声が私を出迎えた。
まだ幼さの滲む顔、半袖短パンのラフな格好に、裾から覗く華奢な手脚。流麗なラインを描く撫で肩の後ろでは、腰まで伸びたポニーテールの穂先が揺れている。
──連城美里香。私の妹だ。
私はドアを閉めると、一日の疲れと我が家へ帰ってきた安堵から小さく溜め息をついた。
もうすっかり陽が暮れていて、闇空には星が煌めいている。四月の夜風はまだまだ少し肌寒い。
最近は忙しくて遊ぶ暇もない。生活がかかっているのでアルバイトに必死なのだ。
色々事情ってものがあって、私と美里香は姉妹で二人暮らしをしている。こじんまりとしたアパートのこじんまりとした部屋で、ご飯を作ってくれる親も居ないけれど、なんとか平和な日々を過ごしている。
時々、この境遇を恨みたくもなる。本当は私だって、周りの友人たちと一緒に放課後カラオケとかにも行きたいし、中学の頃みたいに部活に打ち込みたい。必死にバイトして稼いだお金も、ほとんどは自由に使えない。でも……
それでも、たった一人の家族がこうして笑顔で迎えてくれるなら……
私はいつだって、笑顔でこの家に帰ってこられる。
クラスメイトからは、『クールであまり笑わない』と評される私だけど、ね。
連城美里香────私の妹。
似ているようで似ていない、私と血を分けた存在。顔のパーツや輪郭はそっくりだけど、他の部分は対照的だ。
私は身長が百七十センチ近くあって、女子高生にしては背が高い。事実、中学生の頃はバスケットボール部で身長を活かしてプレイしていた。その時の名残りで、高校二年生になった今でもショートヘアーにしている。
一方美里香は、中学二年生とはいえ百四十センチあるかないかの身長だ。本人も時々、私の背の高さを羨む発言をしたりする。
髪型だって、私が小さい頃からショートヘアーなのに対し、美里香は昔からポニーテールを通している。その長い髪は梳かしたり乾かしたりするのが大変そうなので、私はいつも手伝ってあげているのだ。
───可愛いなぁ。とは思う。自分の妹なんだけれど、まあ、客観的に見ても多分そうだろう。事実、同級生から何回か告白を受けたらしいし。
美里香は私にはないものを持っているし、私は美里香にはないものを持っている。お互いがそれを羨んでいて、それでも仲良くやっている。
美里香は、私の自慢の妹だ。
私とは違って社交的で、たくさんの友人がいる。この歳で家事全般を任せられるほど頼りがいがあって、その上勉強にも真剣に取り組む努力家だ。
どこに出しても恥ずかしくない、自慢の妹……のはずなんだけど……
「お姉ちゃん、今日も学校とバイトお疲れ様! 鞄持つよ! 部屋まで運んであげる! あ、なんならお姉ちゃんも私が部屋まで運んで……」
キラキラとした目をしながら、私に向かって身を乗り出してくる美里香。
「落ち着きなさい。お姉ちゃんはまだ介護が必要な状態じゃないから」
「まだ、ってことは、お姉ちゃんがもしそうなったら私にお世話して欲しいってことだよね? ふふっ、嬉しいなぁ。私のこと信頼してくれているんだね」
「さっきの発言をどう解釈したらそうなるの」
「えへへ……お姉ちゃん、大好きだよ」
私の問いには答えず、美里香は正面から抱きついてきた。私はまだ靴も脱いでないっていうのに……
「優お姉ちゃん……」
ギュッ、ギュッ。
……こら、そんなに締め付けないでよ。暑苦しいって。
──そう、確かに自慢の妹……のはずなんだけれど。
困ったことに、私にベッタリの甘えん坊さんなのだ。この子は。
「あっ、私としたことがすっかり忘れていた! ねえ、お姉ちゃん……」
美里香は薄っすらと頬を染めながら──といっても、顔の色なんてそうそう簡単に変わるはずないんだけれど、なんていうか纏うオーラがピンク色というか──
とにかく、蒸気した顔を上目遣いで私に向けながら、こう言い放った。
「お風呂にする? ご飯にする? それとも、ワ・タ・シ・?」
「……ご飯で」
「えへへ、そうだよね! 私をいただくにしても、まずは腹ごしらえして精力回復しておかなきゃいけないもんね!」
──本当に、困った妹だ。
小悪魔的というか、なんというか。
※
結局、美里香にカバンを私の部屋まで運んでもらい(半ば強引に奪われたんだけど)、その間に私は食卓に着いた。
こじんまりとした黒檀色のちゃぶ台に、色とりどりの料理が並べてある。そのどれもが垂涎ものの品であることは、常日頃から美里香の料理を食べている私が一番よく知っている。
バイトで忙しい私に、毎日手料理を振舞ってくれる妹。
姉としては少しばかり負い目があるけど、美里香は嬉々としてキッチンに立ってくれているのでここしばらくは任せっぱなしにしている。
彼女曰く、お姉ちゃんの胃袋は私が握るの! ……だそうだ。料理が好きと言うよりは私のことが好……
いや、なんでもない。
「今日はね、オムライスを作ったんだよ!」
私と美里香の部屋のふすまを開けて、美里香が食卓へと入ってきた。その目はランランと輝いていて、私が料理に手をつけるのを今か今かと待ち構えているようだ。
「今回は試行に思考を重ねた至高の一品なんだから! 隠し味はもちろん……愛情、だよ!」
いや、多分それ隠れてないから。料理からも美里香からもビンビン伝わってくるんですけど。
確かに嬉しいよ。感謝してもしたりないくらい。
けど、オムライスにケチャップで『お姉ちゃん大好き♡』って書くのはやめてくれないかな?
しかも、これを当の妹の前で食べるなんて……
流石に気が引けるんだけど。
「さあさあ、お姉ちゃん、召し上がれ」
美里香が床に座ってちゃぶ台に身を乗り出してくる。そんなにじろじろ見られたらさらに食べ辛くなるのに……。
「いただきます」
両手を合わせてから、箸を持ってオムライスを口に運ぶ。湯気が濃厚な香りと共にほんのりと漂い、食指を動かせと急かしてくるようだった。
「どうどう? お姉ちゃん?」
「うん……とても美味しい」
私が正直な感想を伝えると、美里香は座ったまま小躍りしだした。
「えへへ、喜んでもらえて嬉しいな」
朝も昼も(学校に持っていくお弁当も美里香に作ってもらっている)夜も、美里香はこうしていちいち料理の感想を聞いてくる。家事を頑張ってくれているお母さんというよりは、新婚のお嫁さんみたいな感じだ。
美里香は本気で私に満足してもらいたいらしいので、私も毎回真摯に感想を伝えている。塩加減や湯で加減やら、妹よりも料理が出来ないくせに細かくね。美里香がそう望んでいるから。
けれど、最近は「美味しい」以外の感想が出てこない。美里香の上達速度は凄まじく、もはや私がどうこう言える領域にはいないのかもしれない。プロの料理人にだってなれる素質があると思う。
毎日毎日、本当にご苦労様。
この一言を伝える前に、母さんはいなくなってしまったから……
美里香には、その都度伝えるように心がけてる。
「美里香、いつもありがとうね」
ちゃんと言葉にして、恥ずかしがらずに。
「お姉ちゃん……」
目をウルウルさせた美里香は、感極まった表情でゆっくりと立ち上がり、私の後ろに回ってからギュッと背中越しに抱きついてきた。
「べ、べつにお姉ちゃんのために作ってあげたわけじゃないんだから、勘違いしないでよね! 全然、嬉しくなんかないんだから!」
声色と言葉が、まったくマッチしていませんけど。
「ま、まあ? お姉ちゃんがどぉぉぉぉしてもって言うなら、作ってあげてもいいけど? 輪廻転生後も」
「来世まで付いてくるって、ヤル気満々じゃないの。エセツンデレ」
「えへへ。バレた? たまにはお姉ちゃんにツンツンしてあげないと、お姉ちゃんが妹成分βを摂取できないからね」
「妹成分は分かるけど、βって何よβって」
「ツンデレ分のことだよ! いつもデレデレだけじゃ、お姉ちゃんは満足できないでしょ? お姉ちゃんが健全な姉生活を送るには、妹成分をバランスよく摂取するこのが必須なの!」
なるほど。つまり、ビタミンみたいなものってことか。
──って、この子はまた、くだらないことばっか考えて……。
「ちなみに、妹成分αはデレデレ分のことだよ! ついでにγはヤンデレ分で、δはクーデレ分!」
聞いてない。
ていうか、何故にギリシャ文字?
「ツンデレっていうのはね、太極図みたいなものなんだよ☯ 白の中にもほんの少しだけ黒があって、逆もまたしかり。純粋な混じり気のないものなんて存在しない。つまり、デレの中にもツンがあって、ツンの中にもデレがある! デレデレしているように見えても何かしらのツンを孕んでいるし、ツンツンしているように見えても何かしらのデレを孕んでいるの!」
「はいはい。ご高説ご苦労様」
毎回私たちは、こんなコントみたいなことを繰り広げている。といっても、美里香が一方的に変な発言をするだけだけど。
妹成分、ねえ……。
そんなの、こうして一緒にご飯食べてるだけで充分だから。
……やれやれ、本当に困った妹だ。
美里香が食卓に着くのを待って、私は再びオムライスに箸を伸ばした。
……うん、美味しい。