プロローグ
「時間」
この二文字の言葉が、俺を不条理という檻へと閉じ込めようとする。
俺、佐々木京太郎は高校三年になり、就職か、進学かを判断しなければならない瀬戸際に到達していた。
周りの友人達は皆、進学や就職を先輩達のやって来たことに習って、あっさりと決めていた。彼らのやっていることは正しいことであり、学生としては当然の行いであるはずなのに、俺は孤立し、彼らが俺と同じ立ち位置に成り下がる事を切に願っていた。
高三になったこと、あやふやな進路を明確にしなければならないこと、そして時というものが無情に過ぎていくこの瞬間が、俺に不条理という銃口を突き付けているようだった。
この十八年間振り返って、俺は何をしてきただろう?
何となく過去に振り向いてみたくなった。
過去に遡るにあたり、奴の名前を出さなくてはならなくなる。
そいつの名は、大和光司。
俺の住む皆平市一帯を揺るがす不良集団、ブラックジェノサイドのボスであり、俺とは小学校一年からの腐れ縁。
小学生の時は、友達も今みたいに遠方からやってくる奴もいなかったから、親同士のご近所付き合いもあって、俺と大和、そして数名の友人達とはそこそこ仲良く遊んでいた。
小六の時転入してきた女子がいた。クラスメイト総出でその女子を”暗いから”って理由でシカトしていたことがあった。
もちろん提案者は大和で、奴はこの頃からそういった悪巧みの舵取は十八番だった。
その女子は転入してわずか一ヶ月で転校してしまって、俺は彼女の名前すら覚えてあげられなかった。
当時一番遊んだ隆って奴がいたが、そいつと俺は、転入生を村八分にしていた大和の悪人さ加減に、心底頭に来ていた。
以来、俺と隆は大和を避けるようになった。
俺達二人のささやかな抵抗が始まった。
帰りの時など、いつも大和と他数名が群れをなして下校していたが、俺と隆はそれに混ざらず、二人だけで帰り、大和の陰口を言い合っていた。
ある日の給食の時間。
俺と隆はいつものように二人で給食を食べていた。
しかし、その日だけはいつもと様子が違っていた。
大和は女子を除いた、俺と隆以外の男子全員で机を並べ給食を食べていたのだ。
思い出す限りでは、これが小学生という幼い時分で体験した不条理の一端である。
これがきっかけで、俺は個人的に大和に対して激しい嫌悪感を抱くようになる。
この一件は、強力な恐ろしさ持つ大和の不機嫌さと、矮小な勢力の俺たちを中心に、クラスの男共の緊迫感を際どいものにしていたが、その際どさも収まる時が訪れ、それと同時に大和からは、再び”子分”として認めてもらうことになる。
その時の嫌悪感は、高校卒業まで残り一年になった今でも、小学生の時程ではないが一応保たれていた。
隆とは行く中学が別々になり、音沙汰はない。単に連絡を取り合ってないだけだが。
ブラックジェノサイドの横暴さは、俺の通う皆平高校のある皆平市中の学生に知れ渡っていた。無論隣の市にも、またその隣の市にも。
時に大人も餌食にしてしまうくらい、奴らの逸脱した行為は、万引きやカツアゲという不良なら絶対やってる素行でもって、際立っていた。
高校生活が三年目になって俺は小六より久方に、大和と同じクラスになってしまった。
俺もそれなりに成長した。ブラックジェノサイド、そして大和に目を付けられない立ち回りもできるようになったし、幾らか肩の荷が下りたような気分だが、今度は大和以上に、進路っていう強敵が現れやがった。
約十八年振り返って、俺は一体何を頑張ったろう? 何をやり遂げたろう?
勉強も遊びも、中途半端なことばかりやってたような気がする。いや、どちらかと言えば、遊びは頑ばれていたんだろうが。
今まで勉強を頑張って来なかった分、ツケが回ってきたんだ。今までお世話になった先生たちから、ほれ見たことか! って言われてしまいそうだ。
そのツケがまた、更なる不幸を呼んでる気がする。
俺の妹の友人、学校のアイドルとして持て囃されている、倉敷円に最近男ができたって噂が舞い込んで来やがった。
こりゃもうサボった分のツケなのは間違いないな。
円はポニーテールがトレードマークだ。
妹の話によると、学級委員をやった経験もある程、周りからは慕われているらしい。性格も良いらしく、そのおかげで高校入学当初からファンクラブが出来るほどの人気ぶりでもある。俺なんかと話してくれるんだ。性格悪いわけないよな。
まさに悪人の気質を持つ大和とは陰と陽、光と影の関係だと、俺の中である世界観が出来上がっている。
一方で円の彼氏が、大和だったらどうしようと思ったこともあったが、俺とは中学からの付き合いで、クラスメイトの飯塚の話によれば、それは有り得ないらしい。
飯塚が高校二年の夏に町の祭に出かけた際、声をかけてきたナンパ野郎共を彼女が大喝。彼女の友人たちを守ったという逸話があり、それを聞いた俺は心の奥で狂喜乱舞したのを覚えている。
彼女がそういう、正義感にも似た性格をもっているのなら、大和とは相容れない。相容れないどころか、敵対するのも明らかなのだ。
これで俺の一抹の不安は拭い去られた。だが、円に男がいるという事実は変わらない。それはそれで俺にとって心の凹みにピタリとはまる凶報でしかなく、そのはまり具合は全くもって微動だにしないんだ。
だが、大和が円と交わる事がないってだけでもまだマシだ。プラス思考で生きていかなきゃな。
俺のこれまでの生き甲斐は、テレビゲーム、漫画、音楽鑑賞だが、その趣味を超越した生き甲斐とやらが、円と話ができるっていう事だった。
妹には感謝してる。
こいつがいなけりゃ、学校一の美少女と話す機会も無いくらい、俺は貧相で目立たない男だったからな。妹の友達ってだけで、家に遊びに来るっていう豪華なイベントがあるわけだ。
だが、美少女は美しいからこそ頭に美が付くのであって、そんな彼女だからこそ、色恋沙汰はあって当然なのさ。
円の彼氏になった男はどんな奴なんだろうな?
噂はあくまで噂でしかないから、本当のところ彼氏なんていないんじゃないか? と、わずかに期待してみる俺なのだが、円の美しさがその期待を逆に裏切るんだ。
そうだ、だから俺はもう諦めることにしたんだ。
大和に不幸が訪れるよう初詣での願い事も、高二の冬休みで最後と決めた。神懸かり的な物を切望するくらいの心もちだったのだ。
アイドルとしての円のファンであり続ける事も見切りを付けた。
しかし、それには相応の覚悟がいる。
お年玉とお小遣を延命させているだけの金銭感覚だから、新しいゲームソフト、漫画、CDも買うに難しく、それらには飽き飽きしているものの、仕方なく味のないスルメイカを噛むように、何周もプレイしたり、手垢がつくくらい読み直したり、耳に胼胝ができるくらい聴いたりしてごまかすようにしなければならず、美しき乙女と話すよりどう考えたって乏しくて、相当な覚悟がいる。
新しい趣味を見つけるほどの行動力もない俺なので、円に対しては妹の友人として、距離を保ちつつ見守ることにした。
そしてついには、進路も諦めようとしていた。
ニート、フリーター。
俺には前者がもっともお似合いの結末さ。
今の俺にとって時間の経過そのものが不条理だった。
こんな情けない男のために待ってくれる程、時ってのは優しくはないし、いつだって無愛想で、冷酷で、無機的なんだ。
このモチベーションで、高校生最後の一年を締めくくるのもヘヴィだが、哀愁漂うダンディな男っぽくて、意外と様になってないか?
この暗鬱な雰囲気を維持していくのも、大人の男になるための試練なのさ。ま、ダンディになったって俺には無駄なスキルだろうが。
そんな俺が、ある同好会に入ったのは、高校三年に進学してからすぐだった。
この時持っていた俺の心模様を大きく変える出来事が、そこで待ち受けていたんだ。