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王様の鷹の話  作者: 立田
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泥棒と卵の話



 僕は、卵を見ると、盗みたくなる。



 それに気がついたのは思春期真っ盛りの高校生のころで、僕は家から結構遠いレストランでウェイターをしていた。バイトの理由はバイクが買いたいとか、そんなものだったと思う。ちなみにバイトもバイクも校則でしっかりきっぱり禁止されていた。しかし僕にとって問題だったのはそんなことではなくて、そこの地下の厨房から駐車場に面した従業員出口へ続く中途半端な階段の片隅に、いつも業務用の卵のカートンが山のように積んであったことだった。

 僕は帰りがけに、いつも卵をそこから一個盗んでいたのだ。


 どうしてなのかは分からない。僕はたいして卵料理が好きというわけでもないし、金欠からなる食物不足で困っていたというわけでもない。けれど、いくら目を逸らしつつ早足で階段を上ることを心がけても、積み重ねられたカートンの頂上で縦十列×横十列と整然と並んだ白い卵の群れからは、僕が通ったあと、必ず一個分の穴が空いていた。そして僕は急いでタイムカードを押して外に飛び出すと、いつのまにかポケットに入れた生卵を壊さないかとひやひやしつつ、罪悪感のなか家に向かうのだった。

 結局、僕は自分には病的な盗癖があるのではないかと医学書やなんかを調べまくった。けれど、発作的に卵だけを盗むという強迫症は他に見当たらず、毎晩卵を内密に処理するのに、食べるということで協力してくれていた犬のタロは体重を増やし、僕はどうして自分がそんな行動をとるのか分からないまま、そのバイトを辞めた。最後の日に貰った給料から抜き取った千円札をカートンの間に挟んだのは、せめてもの償いのつもりだった。

 もちろん勤務期間の短さから言ってお金はあまり貯まらなかった。ただ一つ良い事があったとすれば、それは毎晩の生卵のせいで、タロの毛並みが今までになく艶々と美しくなったことだった。


 そんなわけで、僕はレンタルビデオ屋にバイト替えし、一浪して大学に入って卒業して運良く社会人になった。言ってみれば、僕の人生なんてこのこと以外は平々凡々なものなのだ。そして僕はそれに何の不満もない。

 それなのに、ああそれなのにそれなのに。

 あと少しで日付も変わる木曜日の夜、僕はアパートの廊下に立ち尽くして、背広のポケットに突っ込んだ右手で少しざらりとした楕円形を感じながら、深く深く溜息をついた。

 いくら一人で冷たく暗い部屋に帰りたくないからって、疲れているから酒が飲みたいからって、そして新しく駅前に出来た二十四時間営業スーパーがいくら開店セール中だからって、寄ることはなかったのだ。だっていつものように卵売り場を避けて通ることが出来ないのだから。

 気が付いたときには、目の前に『鈴木さんちのうみたて卵』という手書きのボードと、その下の籾に半ば埋もれた卵が数十個あった。

 夢遊病者のように、そのうちの一個に躊躇いもなく手を伸ばし、ポケットに入れてしまっていた。そんなことをしてから、誰も見ていなかったどうか慌ててあたりを見回して、運良く見つかっていないとわかると要りもしないトイレットペーパー12ロールをひっつかんで会計を済ませ、今に至るというわけだ。目的だった酒も買い忘れた。

 そのうち万引きで捕まるんじゃないだろうか。病院に行ったほうがいいかもしれない。

 そしてごめんなさい鈴木さん。

「ここらへんに精神科なんてあったっけか……?」

 のろのろと鍵を探し出して、溜息をまた吐き出しながらアパートのドアを開けた。靴を脱ぎ捨てて、手探りで照明のスイッチを探る。ポケットの中の卵が震えたのはそんな時だ。


 携帯じゃない。

 そんなことを思って、慌てて手の中の卵をテーブルの上に出した。そうしてから勢いで殻が割れたかと心配になって確認したが、蛍光灯の白い明かりを受けて、横向きになった卵は滑らかな影を下に落としている。それがくるりと回転したかと思うと、こちらを向いた。いや、卵に顔や目鼻がついているわけではないので、そういう風に見えた、というのが正しい。

 次の瞬間、おや、と年老いた女性の声が聞こえた。

「明日まで隠れ家がいると思ったら、こんなところでお前と会うとはねえ」

 やっぱり病院に行こう。

 僕は明日一番に近所の総合病院に行くことを決意した。

 しかし、もし卵から聞こえてくるのでさえなければ、その声はいっそ安心感を与えてくれるものだったかもしれない。遥か遠くの遺跡を吹き過ぎる風のように乾いていて、どこかしら懐かしい響きがした。

「ああお前はまったく憶えていないのだね」

 ずっと忘れたままでいるというのも酷な話かもしれないね。何もわからずに卵ばかり盗んでいるのだろう?

 呆気にとられている僕には構わず、卵はゆったりとそう言った。鈴木さんちのうみたて卵、がだ。しかも関係はないが特Lサイズだ。

 認めたくはなかったのだが、僕のアパートでは他にラジオもテレビも付いていなかったし、音声の発生源はそれだとしか思えなかった。

「夜は長い。明けるまでにまだ間がある。その時の話をしてあげよう。王子と囚われた娘の話だ」

 ……そんなメルヘンチックな話のどこに僕の出番があるというのだ。 

 とりあえず飽和状態になった頭に浮かんだのはそんな疑問だった。王ってなんだ王って。まさか僕が王様だったとかいう話だったらオカシイを通り過ぎて気味が悪い。前世がナポレオンだったとかそういう怪しい話なんだろうか。いや、卵が喋っている時点でもうオカルトなんだが。

「案じることはない」

 僕が泡を食っているのがどうしてわかったのか知らないが、声は笑いをにじませながら告げた。

「お前はただのしがない小姓であった。しかも望みのない恋をしていた」

 それって踏んだり蹴ったりじゃないか。

 そう思ったのを境に、僕の意識はくらりと揺らぎ、床に沈むように座り込んでいた。






 むかしむかし、あるところに王様がいました。

 お后様は跡継ぎの王子様をお生みになった時に命を落とされていたのですが、王様は再びご結婚もなさらず、王子様が成長なさると共にお二人で王国を治めておいででした。

 王様には六人の忠実な大臣、そして公にはされておりませんでしたけれど一人の魔女が仕えておりました。この魔女は歳を数えることも随分前に止めたような老婆でしたが、何時何処から如何して王様の下にやって来たのかも、そして如何様な術を操るのかも、誰も知るものは居りませんでした。

 王子様はとても聡明な方で幼い頃から魔法をお修めになり、その時分には教師をも超えた使い手となられていたのですが、その王子様にも、この魔女の術は今となってはほぼ廃れた古代の禁術の流れを引くものらしい、としかお分かりにならなかったのです。

 この魔女は確かに王様の命じられたことにはその力を惜しみなく使ったのですが、王子様の直々の命令には従わないことがありました。例えば王子様が十八になられた年に、軍を率いて近隣の遊牧民を征伐に向かったのですが、その時魔女は身体の不調を理由に、天候を操って戦を助けることをしませんでした。勿論、魔女の力など無くとも、王子様は勝利を収め、族長を討ち取り、族長の娘を人質に王様の待つ城に凱旋なさったのです。


 さて、戦から帰られた王子様がまずなさったのは、一人の側仕えの小姓に捕らえた娘を魔女の処に連れて行かせることでした。魔女は城の中でも最も高い塔に住んでいたのです。小姓と娘は黙ったまま螺旋階段を長い間上ってゆき、ついに扉の前で佇んでいた魔女に対面しました。

「お初にお目にかかります、世界の理を知る御方」と、娘は丁重に挨拶しました。

「凡てを知っているわけではないよ、美しい娘。ただ少し他の者よりよく見えるというだけだ」

 魔女はそう言うと、娘だけを部屋に招きいれ、小姓には日没後に再度訪ねてくるよう申しつけました。すらりとした娘は確かに美しく、髪は闇夜のようでしたし、顔はまるでそこに浮かぶ月のようでした。けれど物静かな物腰や伏せられた瞳の中にも、時折激しい焔が過ぎるのを魔女の鋭い目は見て取りました。

「どうしたものだろうね。王子は求婚を受け入れぬお前を獣に変え、罰を与えるつもりだよ。逃がしてやることも出来なくはないが」

「いいえ、逃げることは出来ません」

 娘ははっきりと答えました。

「父亡き後は私が族長です。王子は私が留まる限り、私の民に害を加えぬと誓いました。私ひとりが囚われることで民が無事に過ごせるのであれば、従わぬわけには参りません。

 それに自分の意を曲げられるよりも、外見の変わることのいかに辛かろうことでしょう」

「考えは変わらないようだね」と魔女は娘の目を覗き込んで言いました。

「それでは好きな獣を選ぶがいい。そしてこれは餞別だよ。王子がいくら頼み込んでも、お前が望まない限りは元のその姿に戻さないことにしよう」

「では鷹に」と娘は微かに笑みを浮かべて答えました。「我らが民の守り神、何者にも束縛されぬ誇り高き空の王に」


 ですから日が沈んだ後、塔の部屋にやって来た小姓が見たのは、一羽の美しい鷹でした。魔女は、この鳥が娘の変化した姿だと王子様に告げるように言うと、鷹を受け取って踵を返した小姓に向かって問いかけました。

「お前は妹のことで王子を許したのかい」

 小姓は沈黙を守ったままでしたが、一瞬足を止めました。

「そうだろうと思ったよ。復讐したいのなら、次の満月の夜此処までおいで」

 答えを聞かずに魔女は扉を音高く閉ざしました。小姓は待っていた王子様の処に真直ぐ向かい、魔女の言葉をそのまま告げたのですが、最後に言われたことについては口を噤んでいました。王子様はお顔こそ少し蒼ざめていらっしゃいましたが落ち着いたご様子で話をお聞きになり、受け取った鷹には金の足輪を付けると、特別にお誂えになった金の鳥篭で飼うことになさいました。

 あくる日から、王子様がこの鷹をご寵愛になっていることは、城では知らぬ者がありませんでした。王子様はそれまでにも一匹の猿を可愛がっていらっしゃったのですが、もうその獣には見向きもされず、政務を片付けられた後は鷹を連れて狩りに出掛けられるようになったのです。

 

 やがて月が満ちると、あの小姓は暗闇の中手探りをしながら塔を上っていきました。頂上の部屋に辿り着くと、この世のものとは思われない青味を帯びた光が漏れてくる扉の隙間から、魔女が語りかけたのです。

「お前が大切にしていたものを奪われたように、お前も王子の大切にしているものを奪ってやればいい」

 小姓は僅かに身動ぎしたようでした。

「そう、あの鷹だよ。お前以外はあれの本当の姿を知らないがね。さあ、よくお聞き。もうすぐ鷹は卵を産むだろう。お前にその卵を盗んで欲しい。そうすれば、あれは自由になれるだろう。けれど卵を盗むとき鳥篭には触れてはいけないよ。王子以外のものが触れると、直ぐに王子に伝わるよう魔法がかけてあるからね」

 魔女がそれだけ言うと、扉の隙間から漏れてくる光は一瞬にして消え、小姓は自分がまた塔の入り口に立っていることに気がつきました。小姓は聳え立つ塔を暫く見上げていましたが、自分の居室に戻ってゆきました。


 何日が過ぎて、鷹は本当に卵を一つ産みました。それからというもの王子様は、他の誰もを鷹が居る部屋に近付けようとはなさいませんでしたが、軍の指揮を執るために、ある日国境までお出掛けになったのです。小姓はその機会を逃さず、部屋に忍び込みました。鷹は考え深げな目で小姓を見つめ、小姓がその尾羽をそっと一本引き抜いたときも、羽ばたきもしなかったのです。

 小姓は尾羽を使って、上手く鳥篭の扉を開けました。手を慎重に差し入れて、卵を取り出そうとした時のことです。誰からも忘れ去られていたあの猿が後ろから忍び寄り、急に手に飛び掛って鋭い歯を立てたのです。鳥篭は音を立てて床に落ちました。次の瞬間、雷鳴の轟くような音とともに王子様が小姓の目の前に現れました。

「裏切ったな、この盗っ人め」

 王子様は叫ぶと、剣を抜いて小姓に切り掛かりました。避けきれなかった小姓は崩れ落ちるように倒れましたが、苦しい息の下から王子様に向かって言いました。

「盗みも裏切りも、貴方が私の妹に行ったことだ」

 そして小姓は自分から流れる血に身体を浸しながら、最後に鷹を見つめました。

「鷹よ、王子は誓いを破っているのだ」

 すると王子が床に落ちた鳥篭を拾い上げるよりも早く、先程よりも大きな音が響き渡ったかと思うと、魔女がやって来たのです。魔女は部屋を一瞥すると溜息をつき、その曲がった指を王子様に突きつけました。

「王との誓約とのおかげで、お前に危害を加えることは出来ないが、覚えておくがいい。お前にはその卵を孵すことはできないし、お前はいつかお前の傲慢さによってその身を滅ぼすだろう」

 そして鷹の方に向き直ると言いました。

「その哀れな小姓の言ったことは本当だよ。お前の民はこの国から追われ、今となっては帰る場所もなく彷徨っている。王子がお前に帰る処を残しておくと思ったのかい」

 それを聞いた鷹は、鳥篭をお持ちになっていた王子様の手にその鋭い嘴で突き掛かりました。王子様が思わず手を離すと、傾いた鳥篭から卵が落ち、床に当たってぐしゃりと潰れてしまいました。

「失せろ、醜い魔女」と激昂された王子様は叫び、まだ血のついたままの剣を閃かせました。ところが魔女が王子様を見つめただけで、足が床に根が生えたように張り付いてしまったのです。

「仰せのままに」と、魔女は勿体ぶって一礼し、卵の殻の破片をゆっくりと拾い集めました。そして轟音を城中に響かせたかと思うと、消え去ったのです。


 それからというもの、その魔女の姿を見た者は無かったということです。





 

「小姓の出番が少ない、と思っているようだね」

 語り終えると声はそう言った。実はその通りだった。

「けれどそれはお前の物語だからね、お前以外には語ることができないのだよ。人はそれぞれ自分の物語を持っている。そしてそれは誰にも干渉することは出来ないのだから」

 確かに不思議なのだけれど、話を聞いている間に、僕の脳裏に浮かんできては離れない映像があった。まるでデジャビュのように、どこかの夢で見たように、仄暗い中、永遠に続くように長い階段を誰かと一緒にぐるぐると上っていったことがあるような気がしていた。けれどその誰かの顔は、どんなに集中してみても思い出すことは出来ないのだった。

 でもそんなことがあるわけはない、と思う。

「お前には借りを作ってしまったね」

 僕の内心の葛藤には構わずに、卵は落ち着き払っているようだった。

「ひとつ教えてあげよう。いつかお前はあの鷹に巡り合うだろう。だが気をおつけ。鳥は自由だ。捕らえられぬものなのだよ。羽を休めると、自分からそう決めない限りはね」

 優しげな声を最後に、ぱりぱり、と何かが砕けるような音がした。同時に蛍光灯とはまた違う青い光が辺りを照らし出して、僕は思わず目をつぶった。目蓋の裏に焼きついた光の残像はすぐ消え、その代わりに何かが飛び去っていくような羽ばたきの音が聞こえた、ような気がした。


 気がついた時は、僕は床の上に倒れていた。もちろん着替えてもいないし、電気も点けっぱなしだ。思わず自分を哀れんでしまうくらいの疲れっぷりだった。いくら仕事したって残業手当もつかないというのに。

 そのあと喉が渇いて仕方がなかったので、ふらふらしながら台所まで重い身体を引きずっていった時に、テーブルの上の割れた卵の殻を捨てたのが、その後三日間も風邪で寝込む前の最後の記憶だ。熱が出ている時はおかしな夢を見たりすることがあるが、その夢は特に変だったし、やけにはっきりしていたので、かなりの間記憶に残っていた。

 不幸中の幸いは、月曜日には快復して出社できたことだろうか。



 そして、鈴木さんちの特Lサイズの卵のことをやっと忘れた頃に、ひょんなことから左薬指を失った女性と出会ったりするのだが、それはまた別の話。




 とりあえず、その夜以来、僕はもう卵を見ても盗まなくなった、ということでこの話は終わりにしようと思う。





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