王様の鷹の話
「君は左の薬指が無いんだね」
「そうなのよ。今気付いたの?」
そりゃ昨日会ったばかりで、しかも君昨夜は手袋をしていたし、その後意気投合した勢いに任せて暗い中でベッドインしちゃったからだよ、とはたとえそれが真実であっても言いづらいものがある。
朝起きた時、微かに痛む頭を抱えつつここはどこだろうと手がかりを探したら、隣で彼女がまだ眠っていた。
それはかなり嬉しいことだったし、彼女の安らかな寝顔を見たと同時に自分は誰かもここはどこかもしっかり了解したのだが、彼女の顔の隣にあった左手には指が一本欠けていたと、まあそんなわけだ。
どうやらすぱっと切れた訳では無いらしい、と彼の知識は結論づけている。
今は肉が再生して傷痕は滑らかになっているけれども、怪我した当時は、それはもうスプラッタのぐちゃぐちゃだったんだろうなぁ、とまだ覚めきっていない頭で考えていた。
きっと痛かったことだろう。
そして話は冒頭の会話にさかのぼる。
「どうしてか話してあげましょうか?」
あまりにじっと見つめられたせいで、くすぐったくなったのか、左手を引っ込めながら彼女が言った。
「あー別に話したくないならいいよ」
「聞きたいなら聞きたいって言え」
「……ごめんなさい聞きたいです」
降参すると、彼女は軽く頭を振って眠気を払い、おもむろに厳粛な口調で話しはじめた。
「むかしむかしあるところに王様がいました。」
「はい!?」
王様は文武に優れた方として大陸中に御名を響き渡らせておいででしたが、また魔法使いとしての腕も世界で一二を争うほどでおられました。
ご統治の下で王国は豊かに平和で、国民は健やかに満ち足りた生活を送っておりました。
もしも王様に、いや王国に問題があるとすれば、それはたった一つ王様が未だお妃さまを娶られていないということであったでしょう。 王様は大変見目の麗しい方でしたから、近隣諸国の王女様方の中には、王様とのご結婚を夢見て日々を過ごしておられる方も大変多かったのですが、王様はと言えば、大臣たちがご結婚の話を持ち出すたびに、ぷいとそっぽを向くと狩りへ出掛けておしまいになるのでした。
狩りといえば、王様はいつも一羽の鷹を連れておられました。
王様がまだ王子であらせられたころ、ご自身で捕らえられたその鷹は畜生の類とはいえ、大層美しい鳥でした。 あるお側仕えの小姓などは、あの鷹からは魔法の気配がする、などと、もっともらしく触れ回っていたものでございます。
それはまあ、ただの言いがかりとしましても、確かに鷹が小首を傾げて王様の命を聴いているときなどは、まるで知性を持っているようにも見えたものです。
王様は鷹を何よりも、それこそご家来の誰よりも可愛がっておいででした。
一人の小姓が――そういえばあれは例の、鷹には魔法が掛かっているうんぬんかんぬんと五月蝿かった奴だったような気が致しますが――悪ふざけに鷹の尾羽を一本抜いてしまった時など、珍しいほど激昂なさって、言い訳をする暇も与えず、ご自身自らがお手打ちになさったほどでございます。
そんなある日のことです、それまで誰も見たことがない商人が、珍しい異国の品々を駱駝に積んでお城にやってまいりました。 手の込んだ細工物に貴重な香辛料、美しい織物などを玉座の前の床に一杯に広げては、面白可笑しく品々のいわれを申し立てます。 興がのられたのか、王様は一つ一つ品物を指差しては商人に説明させておいででしたが、ある古ぼけた巻物をご覧になった時、お顔色をさっと変えられました。
王様の驚かれたご様子に気付き、我が意を得たりと効能を述べ立てる商人を手の一振りで遮ると、その巻物を商人の言い値の倍額でお買い上げになったのです。 その後、王様はご書斎にお篭りになってしまい、二日三晩の間飲食も忘れられ、寝る間も惜しまれ何かをお調べになっておられました。
三日目の朝、ようやく出てこられた王様は、朝食をお召し上がりになるとすぐに大臣たちを集められました。 大臣たちが突然のお呼びに戸惑っておりますうちに、王様は晴れやかにご結婚するご意志を固められたことをお告げになりました。
一度は喜色満面となった大臣たちですが、王様が御相手を明らかにされた時、彼らの表情は一瞬にして困惑へと変わりました。
何と、王様が、ご結婚相手としてお選びになったのは、あの鷹だったのです。
なんでも、この度お買い上げになった古文書は、古代に禁じられた呪文を書き記したもので、その中の一つに獣を人へと変身させるものがあるとおっしゃるのです。
それは世の理に反する、国の威信に関わるなどと、大臣たちは口々に反対申し上げたのですが、ご決心は固いままです。 とうとう王様は鷹を連れて、魔術を行うために塔へ入って行かれておしまいになったのです。
慣れない処に入ったからでしょうか、鷹は常日頃からは想像も付かないほど暴れて、王様の御手から逃れようといたします。 仕方なく王様はお召しになっていた金鎖にまじないをかけると、それで鷹の爪を戒め、窓格子に結び付けられると、隣室の祭壇の前にて魔法陣の準備をすることになさいました。
けれども、魔法陣が完成し、王様が戻っていらした時、鷹は何処にも見当たらなかったのです。
残されていたのは、ただ血まみれの爪が一本と、それにまだ繋がったままの鎖と、蝶番が壊れ開いた窓のみ。 血痕はぽつぽつと窓の外へと続いて、それから途切れておりました。
それから王様が彼の鷹に巡り合うことは無かったということです。
「あーコーヒー飲みたい」
「ん、ああ煎れようか」
んーお願いーと言いつつ、彼女は皺のついたシーツの上で大きく伸びをした。
そうやっていると鷹というより猫だと思う。
……本当の話か解らないけれど。 騙されているだけかもしれないけれど。
あんたとは長くお付きあいする気は無いっていう意思表示かもしれないし。
何しろ結婚指輪を嵌めるところも無いし。
目覚めた時とはまた別の意味で頭が痛い。
しかし逃げられるわけにはいかないのだ。
逃げられたら世界の果てまで追っていきそうな自分が居る。
……それもまた実にファンタジーな話だが。
彼が思考を渦巻かせながら寝室から出ようとしたところで、呼び止められた。
振り返ると笑顔で一声。
「大丈夫よ、今は貴方の側に居るから」