湿気の多い冬の日のことでした。
湿気の多い冬の日のことでした。
むしむしとした寒さが木綿のように纏わりついて、あんまりにも鳥肌が立ってしまうものですから、私はというとこの頃どこへ出かけるにしてもポケットカイロを携帯しておりました。
してその日。少しばかり野暮用で近所のお店……歩いて数分ばかりのところにある小さなコンビニエンスストアでございます……に向かうことになりまして。いつものように厚いコートに、ポケットカイロをひとつ入れて私は自宅を出たのでございます。
外に出てまず空気を吸い込みますと、どこからか妙な臭いがするのでございます。季節が季節ですから、どこかで火でも起こしているものかと、その時は気にも止めませんでした。私はお店へ足を進めます。
そうしましたらお店に近づくごとに臭いは強くなりまして。私は胸の辺りのむかむかする感じを無視しながら曲がり角を曲がったのでございます。したらば、お店の駐車場に何かがいるのでございます。
駐車場に車はなく、あるのはその何かだけでございます。私は衰え気味の眼を細めて遠くからそれを見てみましたら、それは脚を畳んで座る不良のように見えました。ただ唯一、普通の不良とは違うのが、その不良は蛍光色に光っていたのでございます。
ちかちかとサイケデリックな色味を見せるその不良が、空気に混じる妙な臭いの発生源であることは言うまでもないことでございまして。私はといえば止せばいいのに、なんだか興味が湧いてその不良に近づいたのでございます。
したのならば、私は自らの誤りに気づいたのでございます。よくよく近くで見れば、それは不良ではなく熊だったのです。背丈はおよそ五尺七寸。私がそれを不良に見間違えた理由は、その体型にありました。というのもその熊は酷く痩せ細っており、手足などは人間のようになってしまっていたのです。
蛍光色のサイケデリックな熊は、しきりに頭を振っておりました。何をしているのかとよくよく観察してみれば、駐車場にある車のタイヤを止める石……私浅学なもので名前を存じ上げないのですが……を齧っているのです。私は俄然興味が湧いてしまい、思わず熊に声を掛けてしまいました。
「やうやう、石ばかり齧つて腹は膨れるのかい」
したらば熊は私の方を向きました。その顔には驚きと苛立ちの表情が浮かんでおりましたのを覚えています。
「なんで、手前。いきなり人様にけち、つけようてかい」
私の言葉が気に入らなかったのか、熊は牙を剥いて威嚇するのでございます。
「ははあ、私を喰うつもりかい。やはり腹が減つているのだろう。しかしならばなぜお店で食い物を買わない?」
熊はだん、だんと前足で二度、地面を叩くのでございます。
「やい、手前。まさか私が腹が減つているやうに見えるのか」
「見えるからそう言つているのだろう。熊に人の言葉は難しいか」
さらに気を悪くした熊は、歯軋りをしながら低く唸ります。しかしすぐに落ち着いて、事情を話し始めるのでございます。
「私は仙人になるのだ」
「熊が仙人とは、面白うことを言う」
「仙人は霞を食すばかりで生き長らえるのだと聞く。しかし夏はともかく、冬に霞とはこれ如何に」
「氷でも喰へばいいのではないか」
「しかし氷を喰うは贅沢として仙道の書に書いてあったぞ。私は仙人になるために、霞以外は喰へぬのだ」
熊はそう言って石に齧りつくのです。
「こうしていると空腹が少しばかり収まる」
「なんだ、やはり腹が減つているのではないか。見栄を張るやつだな」
「おう、手前。さつきからなんで、喧嘩でも売ろうつてかい」
「そんなんじやないさ。しかしならばなぜ手前の体はそんなに光つているのだい? やはり霞ばかり食べているとそうなるのかい」
私はなおもサイケデリックに光る熊の体を指して言うのです。すると熊は驚いたようにして。
「おや、これはどうしたことだろう。私の体が妙な色に光つているではないか」
「それだけじやあないぞ。手前の体からはさつきから、得体の知れない臭いが出ている。これはどういうわけだ」
私がそう言うと、熊はやにわに喜ぶのでございます。両手を上げ、喜ぶのでございます。
「すごいぞ。私はとうとう仙人になつたのだ。これはその証拠なのだ」
「仙人がそんな気色の悪いものだとは知らなかつたなあ。妙な色、妙な臭い、まるで妖怪のようだ」
「なんとでも言え。私は仙人になれたのだ。万歳、万歳。やつと夢が叶つた」
熊が大口を開けて大層喜ぶものですから、私もなんだか嬉しい気持ちになって、少しばかり意地悪をしたくなってしまったのであります。
「では仙人になつた手前に贈り物をしよう」
私はポケットからカイロに取り出し、それを熊の口の中に放り込んだのです。
「おや、間違つて口の中に入れてしまつた。これはいけない。霞以外のものを食べたから、手前はもう仙人ではないな」
私がそう言いますと、みるみるうちに光は収まり、サイケデリック熊は灰色っぽい毛皮をしたただの熊になってしまったのです。辺りに立ち込めていた妙な臭いもすっと引き、冬らしい快適な空気に戻っていきます。
「いや、残念。はは、また最初から修行をやり直したらどうだ。ほら、そこに石があるぞ。さつきみたいにまた齧つてみたらどうだ。はは」
というわけで今しがた、私はその熊の腹の中にいる次第です。きっと私はもうすぐ溶けて死ぬのでしょう。
最期に私のことを喰った恐ろしい熊のことを、紙に書き残しておくのです。もしかすればこの紙が便と共に排泄されたとき、私と同じ被害に合う人を減らす要因になるかもしれないからです。被害と言いますとなんだか偉そうですが、皆さんもどうか私と同じ過ちをしないよう心がけていただきたい。
ではまた。ご機嫌よう。




