『人』
ゴールは、別れることだった。
最初から、彼女は彼との別れを決めていた。
「この人が、人としてちゃんと生きられるようになったら、私は離れよう。」
彼は、誰かの恋人になる資格なんてない男だった。
約束は守らない。
働いても長続きしない。
都合が悪くなれば逃げる。
寂しくなると女に連絡する。
だから恋人ではなく、セフレだった。
情はあった。
でも未来はなかった。
それでも彼女は思った。
「誰か一人くらい、本気で向き合う人がいてもいい。」
だから曖昧な関係を終わらせた。
「付き合おう。」
その言葉は、恋の始まりではなく、更生プログラムの開始だった。
遅刻をしたら叱った。
働けと言った。
嘘をつけば見抜いた。
逃げれば追いかけず、戻ってきたら話を聞いた。
少しずつ、人並みになってくれればいい。
そうしたら私は安心して別れられる。
そのはずだった。
けれど、彼は彼女を離さなかった。
「お前しかいない。」
「捨てないで。」
「俺は変わるから。」
その言葉に何度も足を止めた。
あと少し。
あと一年。
あと一回だけ信じよう。
その繰り返しで、気付けば結婚していた。
周りは祝福した。
彼は「やっと幸せになれた」と笑った。
彼女だけは知っていた。
これはゴールじゃない。
予定より長い寄り道だ。
気付けば五年が過ぎた。
彼は少し年を取った。
少し落ち着いた。
けれど、本質は何も変わらなかった。
困れば彼女。
面倒なら彼女。
決められなければ彼女。
責任は、いつも彼女。
彼は「嫁がいるから大丈夫」というだけの人に戻っていた。
ある日、
彼女は静かに自分の気持ちに気付く。
ああ。
私はこの人を諦める時が来た。
怒りではない。
悲しみでもない。
彼への期待が、きれいになくなっていた。
「あなたが幸せでも、不幸でも、もう私は何も気にならない。
何も期待しない。
あなたの人生の責任を背負うのは、あなた自身だから、
もう、私の言葉は聞かなくていいよ。」
その言葉は彼を責めるためではなかった。
ようやく、自分自身に許可を出した言葉だった。
彼は泣いた。
またしがみついた。
「今度こそ変わる。」
彼女は首を横に振る。
「あなたは変われなかったんじゃないでしょう。」
少し微笑んで続けた。
「自分は変わる必要があると、
あなた自身が、
本気でそう思えなかったんだよ。」
その瞬間、
彼は初めて一人になった。
彼女は振り返らなかった。
彼女が最初から目指していたゴールに、ようやく辿りついた。
彼を見捨てることではなく、
彼の人生を、彼自身へ返すこと。
それが、彼女が最初から彼に送り続けていた、最大の愛だった。




