はじめてのお迎えは、死神でした
「時間だ。迎えにきた」
「私のお迎え? 本当に? お迎えなんて初めて!」
少女のまぶたがぱっと開き、リズムよく手を叩く。
「おい、お前はもう死んでるんだぞ。勝手に動くな」
死神は目の前に横たわる奇妙な死体に、つい話かけてしまった。
「だって、嬉しいんだもん」
「俺は死神だぞ。喜ぶ奴がいるか!」
「ずっと誰かが迎えに来てくれるのを待っていたんだよ」
今度は腕を伸ばしてきた。そのたびにギ、ギーと音がした。
(機械の体か……)
七、八歳。まだあどけない表情で自分を見あげている。
困った。
(これは本当に人か?)
脳が死ぬと補助脳が起動し、人工心臓が命をつなぐ。 人と機械、そのどちらとも言えない存在だった。
よく見れば、体の奥に今にも消えそうな火が残っていた。
(なら、人だ)
「お前、なんでこんなところに一人でいるんだよ」
つい余計な事を聞いてしまった。
何もない箱のような部屋。少女はカプセルの中に寝かされていた。まるで棺桶だった。
「私は失敗作だから」
誰一人いない、もう使われなくなった研究所。少女は置いて行かれたことも知らない。
(どんな扱いだよ)
どれどれと生前をのぞき見ようとしたが、生まれてからの記憶が何も見えなかった。
そこには数字ばかりが羅列されていて、死神には何のことだかさっぱりわからない。
「親を知っているか?」
死神は最後にひとつだけ願いを聞いてやっていた。たったひとつだけなら、大抵みな肉親に会いたがる。
「親? 試験管から生まれたから、ガラス瓶が親になるのかな」
「そんな訳ないだろう。だったらお前を世話した者は?」
「毎日記録を取っていたのはマリア研究員。でも子どものお迎えがあるからって、時間になるといつも慌てて出て行くんだ」
そのマリアもある日から来なくなった。
少女の声が少し小さくなる。
「名は?」
「一号。最初にここで生まれたのが私なの」
「一号? 味気ないな。よし。俺が名を付けてやる。天国でも地獄に行くにしても名がないとな。それに番号なんて呼びづらい」
「私に名前をくれるの? それにここから出られるの?」
「この世から去るだけだ」
「ここ以外に知らないもの。どこでもいいから行ってみたい」
名を付けて願いを叶えた事にしようとしたが、どうもそれでは足らなそうだ。
「名は……いちごう……苺だ。どうだ、可愛い名だろう」
誰もいないなら、苺を見かけたらたまに思い出してやるのもいいだろう。
「……今日から私は苺。一号じゃない……」
少女の赤い唇が何度も苺と繰り返す。
「食べた事はあるのか?」
「ないよ。いつもドロドロの液体だけ。それももう出てこなくなった」
天井からぶら下がる管は、もう固くなって使い物になっていなかった。生命維持のため深く眠っていたらしい。
「食べて見たいか?」
「うん!」
願いは決まった。
後はさっさと食べさせて、いつものように見送るだけだ。
二人は明かりのない迷路のような廊下を進む。
「誰もいないね」
「今日はもう終わりなんだろう」
「そうか。みんな家に帰ったんだね」
死神の後ろで、ギーギーとモーター音が響く。
「苺はどうやって動いてるんだ?」
「予備バッテリーがあるんだ」
「ふーん。よく出来てるな」
いつまでそれが持つのかは聞かなかった。知ったところで死神にはどうしようもできない。時が来れば、止まる。
「もうすぐで地上だ」
「外はモニターでしか見たことがないよ。人が大勢いるんでしょう?」
「感染症以来、人はあまり外へ出なくなった」
原因不明の病は、人々から自由を奪った。それから人は失ったものを機械に頼るようになった。
苺はその試作品だった。
「こっちだ」
「待ってよ!」
死神は苺の腕を引く。
そうでもしなければ苺が「あれは何?」「これは?」と動かないからだ。
死神が最初に訪れたのは、小さな神社。
褪せた赤い鳥居をくぐると死神は社の戸を叩いた。
「おーい、誰かいるか」
奥から出てきたのは、痩せ細った土地神。
「死神が何用だ?」
縁起が悪いと嫌な顔をされたが、知ったことではない。神格は死神の方が上だ。
「少し賽銭を貸してくれ」
死神は苺を前に押し出す。
「最後に苺大福を食わせてやりたい」
どうせなら最後に旨いものを食べさせたい。
土地神は苺をじっと見た後に、頷いた。
「あれはわしも好きじゃ。前に食べたのはいつだったか……」
「お前の分も買ってきてやる。ここで待っていろ」
「それならば、駄賃に持って行け」
賽銭箱から小銭が数枚飛び出し、死神の手に乗る。
「死神さん、私はここで待ってるの?」
「一緒に行くんだ。この近くにまだ和菓子屋がある。どうだ?」
「行く!」
和菓子屋の前で、死神は苺の手に硬貨を乗せた。
「いいか。俺はまだこの中には入れない。苺が一人で買ってこい」
「苺大福みっつくださいって、言えばいい?」
「よくわかっているじゃないか。ここで待っている。行ってこい」
「待っててね。絶対何処にも行かないでよ」
「大丈夫だ。俺も食いたいからな」
苺が暖簾をくぐると、お婆さんがうとうとと眠っていた。
「起きてください」
揺り動かすと、ゆっくりと目覚めてくれたが、苺を見て残念そうだった。
「ああ。ごめんなさい。なんだか最近はいつも眠くてね。ついにお迎えが来たのかと思ったのよ」
「お婆さんもお迎えを待っているの?」
「もうここには誰も帰って来ないからね」
連れ合いはとうに亡くなり、息子たちも忙しいのか顔も見せに来ないとこぼす。
「私が毎日買いに来られたらいいのに」
「優しい子だね。何が欲しいんだい?」
「苺大福をみっつください」
金を全部差し出すが、ぜんぜん足りない。
「いいよ、いいよ。また来ておくれ」
お婆さんは顔中を皺だらけにして、みっつ包んでくれた。
「ありがとう」
「おや、お嬢ちゃんの手はずいぶんと冷たいね」
包みを渡された時一瞬触れた手に、苺の中の温度感知器が跳ね上がる。
「そうだ、これをあげる」
苺は桜色の爪を一枚剥がして渡した。
「何してるの! 早く救急箱を……」
「大丈夫。少しも痛くないの」
慌てるお婆さんに、ほらと、つるんとした指先を見せた。
初めてのプレゼントは自分の中で一番気に入っているものを渡したかった。
驚くお婆さんは、「貝殻のようだね」だと受け取ってくれた。
店の外で死神がすべてを見ていた。
(もうひとつくらい聞いてやっても、バチは当たらないだろう)
「早く神社へ行こう」
包みを大事に抱えた苺が駆け出す。ギーギーと軋む音はしなかった。
土地神は大福を受け取ると、それは旨そうに食べた。神通力が戻った喜ぶ。そして社の奥へ消えた。
「ありがとうって、言われた」
「良かったな。そうだお参りをしてやれ。もっと喜ぶぞ」
死神を真似て、鈴を鳴らすと苺はぺこりとお辞儀した。
「苺。まだ時間はある。どこか行きたいところはあるか」
「遊園地に行ってみたい」
モニターにはしゃぐ子どもが映し出された時、マリアが楽しいところだと教えてくれた。
「もう気にしなくていいんだよね」
脳に負担になるような感情。笑ったり、怒ったりしてはいけない。そう教えられていた。
少しでも数値が上がるとマリアではない、怖い研究員がやって来る。
「楽しいばかりじゃない。怖いお化け屋敷があるんだ。泣いても知らないぞ」
「それって、涙が出るんでしょう? 私にもできるはずだけど、使った事ないや」
「そうか。なら思い切り笑わせて、泣かせてやる。だがな……」
また賽銭箱から借りなくてはいけない。
「おーい、もう一度……」
奥から返事はなかったが、招待券が二枚ひらひらと舞い落ちてきた。
早速、御利益があった。
「これで行けるぞ」
苺は招待券を機械に通す順番すら楽しんだ。
だが園内に入ると、苺はベンチに座って家族連ればかりを見ている。
「どうした? 乗り物に乗らないのか?」
「だって……」
その時、知らない声がした。
「お嬢ちゃんは一人なの?」
苺の前に係員が立っていた。
「迷子かな?」
「えっと……」
「お名前は?」
「苺」
「苺ちゃんは誰と来たの?」
苺が隣を見るが、係員には何も見えない。
「待っててね。今、探してあげるよ」
園内に、「迷子のお知らせです……」と放送がかかる。
しばらくして、迷子センターに迎えがやって来た。
「苺、すまない」
だが苺が首を傾げる。
「俺の姿は生きてる人には見えない。これは寝ていた男の体を少し借りた」
死神が耳元で囁くと、苺はうんうんとうなずく。
「お父さんのお迎えだ!」
「すいません。目を離した隙に」
死神が頭を下げる。
「誰と来たのか、聞いても話してくれなくて。でも泣かずに良い子で待っていましたよ」
もう手を離すんじゃないよと言われセンターを後にした。
「苺、観覧車に乗らないか? 遠くまで見えるぞ」
もうしばらく体を借りる事にした。
「一緒なら乗りたい」
「そうか」
観覧車がてっぺんまで来ると、死神が姿を現した。
「どうだ。天に上ったみたいだろう」
「なんだか、気持ちがふわふわする」
「それはすごく楽しいって事だ」
「死神さんも楽しい?」
「そうだな。苺と一緒だと楽しいよ」
そうして次の日も。また次の日も少女の密かな願いは叶えられた。
夕方の公園で。
雑踏の中で。
雨宿りした軒下で。
「苺、迎えに来た」
苺が隠れ、死神が見つける。
死神に見つかるたびに、苺は嬉しそうに駆け寄る。
「お迎えありがとう」
「見つけてくれてありがとう」
二人は手を繋ぎあちこち歩き回った。
そして、とうとう時が来た。
苺のバッテリーはもう残っていない。
ちょうど四十九日を迎える日だった。
「私は天国に行くのかな。地獄かな」
「それは俺にもわからない」
「ここでお別れなんだね」
「苺、いつか生まれ変われ。俺はまたお前を迎えに行ってやる」
「うん。待ってる!」
苺の目に初めて涙が浮かび、頬を伝った。
「苺の涙は温かいんだな」
「死神さんの手もだよ」
死神の手を握ったまま、苺がまぶたを閉じると、モーター音がぴたりと止まった。
死神は苺の体を抱きあげ、あの研究所へ戻った。
苺はカプセルの中で、今にも起き出しそうだった。
「俺も人に戻りたくなったよ」
冷たい頬に触れると、一瞬、苺が笑った気がした。
「苺、またな」
死神の姿がふっと消えた。




