第7話① 宇和島鯛めし——雑魚の矜持
「鯛めし、食べたい」
寧々が言ったのは、橋を渡る前だった。
「鯛めし、こないだ作ったやつと違うん?」
「違う。宇和島のやつ」
「宇和島って愛媛の?」
「そう。こないだのは讃岐鯛めし。鯛の炊き込みご飯系。
宇和島は鯛の刺身を、タレと卵に絡めてご飯にのせる海鮮丼系。」
「……同じ名前やのに」
「同じ名前やけど別の料理」
寧々が続ける。
「ずっと食べたかった。佑も絶対気に入る。行こ」
寧々は助手席でもう前を向いていた。
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──愛媛県、宇和島。
山が近い。海も近い。両方が混ざった空気が、窓の隙間から入ってくる。空気の底に、海がある。
道の駅の駐車場に入る。車を停めると、エンジンの音が消えて、波の音が近くなった。遠くはない。でも見えない。駐車場の端から、漁船のマストが何本か覗いている。匂いと音だけが先に来る。
「じゃこ天、食べる」
自動ドアをくぐる前に、寧々が言った。
「急やな」
「看板に書いてあった」
「着いたばっかりやで」
「ほらあれ」
それだけ言って、もう歩いている。
自動ドアをくぐると、冷たい外気が切れた。みかんが積んである。箱で。袋で。橙色がそこかしこにある。野菜の棚、干物の棚、練り物の棚。土産物の甘い匂いに、魚の乾いた匂いが混ざっている。
寧々が練り物の前で止まった。
平たい。手のひらより少し小さいくらい。色は茶色だが、均一じゃない。端のほうが濃くて、中心が少し薄い。表面がざらっとしている。つるっとしたさつま揚げとは違う。皮ごとすり潰した跡が、そのまま残っている感じだ。形も揃っていない。厚いところ、薄いところ。手で伸ばして、そのまま揚げたような形。
「揚げたては、ありますか」
俺が店の人に聞く。
「奥で揚げてますよ。今日のやつ、あっちです」
奥の棚に、紙を敷いた皿。さっきのより色が濃い。端がまだ少し油を持っている。湯気は出ていない。でも、近づくと熱がある。
寧々が一枚取った。
かじる。
ざく。
思ったより、小気味いい音だった。寧々が止まる。咀嚼しながら、目が少し遠くなる。口の中で何かを確かめるみたいに、ゆっくり噛む。噛むたびに、骨のミンチが細かく弾けて、そこから魚の味が出てくる。飲み込んで、また一口。
ざく。
「……おいしい」
それだけ言って、もう一枚手を伸ばした。
俺も一枚取る。
かじった瞬間、鼻の奥に魚が来る。白身の練り物とは違う。骨の匂い。皮の匂い。魚がまるごといる感じ。ざく、と鳴るたびに、その匂いが新しく出てくる。噛んでいると、だんだん止まらなくなる。
「これ、作らんの?」
俺が聞く。
寧々は三枚目を手に取りながら、首を振る。かじる前に答える。
「作らない」
「なんで」
「ここの小魚やないと出ない味がある。別の魚ですり潰しても、同じざくざくにはならん」
少し間があって。
「それに、揚げたてを食べるのが一番や」
それだけ言って、かじる。
ざく。
三枚目は、少しゆっくり食べている。さっきより丁寧に噛む。確かめるみたいに。
俺も続きを食べる。噛むほど、魚が出てくる。脂じゃない。もっと素朴な、骨と皮の味。
「じゃこって、雑魚からきてるんよ」
寧々が言う。
「雑魚?」
「市場に出せない小魚。傷があるとか、小さすぎるとか。そういうやつを、骨ごと皮ごとすり潰す」
寧々はじゃこ天を少し持ち上げて、断面を見る。
「全部入れるから、ざくざくする。骨が残るんじゃなくて、骨がミンチになってる。そこから出てくる味が、これ」
俺はもう一口かじる。
ざく。
確かに、骨だ。でも嫌じゃない。むしろ、これが本体な気がしてくる。捨てるはずのものが、いちばん主張している。
寧々が最後の一口を噛んで、飲み込んだ。少しだけ目を細める。満足の顔だ。
紙皿を折りたたんで、ゴミ箱に入れる。手を軽く払う。
「宇和島、行こ」
振り返らずに歩き出す。
俺は残りのじゃこ天を口に放り込んで、あとを追った。
ざく。
骨の味が、まだ鳴っている。




