第6話③ 焼きトウモロコシ ― それぞれの場所
「結衣さん、頼む。火が落ちてる」
それだけ言って、台所号の裏へ回る。
「え、ちょっ——」
結衣さんの声が聞こえたが、もう俺は裏にいる。
台所号の裏。
まずガス栓を確認する。
栓は開いている。問題ない。
ホースを手でたどる。
台所号側の継手。折れなし。緩みなし。
分岐栓まで来て、手が止まる。
分岐栓から二本、ホースが出ている。
一本は台所号へ。
もう一本が、隣の方向へ伸びている。
隣のたこ焼き屋と、同じ系統から引いている。
昼の書き入れ時で向こうが火力を上げている。
それで圧が落ちている。
隣へ向かう。
たこ焼き屋の鉄板は、丸い型が並んでいる。
生地が流し込まれて、縁が焼けはじめている。
店主が返しを持って、型を一つずつ確認している。
「すみません。ガス系統が一緒みたいで、うちの火力が落ちてて」
店主が手を止める。
「こっちも書き入れ時やねんけど」
「お互い様なんで。お客さんの数、見ながら調整しませんか」
店主が鉄板を見る。
型の中のたこ焼き。焼き色、気泡の出方、返せるタイミング。
俺も見る。
型がもうすぐ返せる段階に来ている。
返した後の待ち時間がある。今なら少し落とせる。
「……ちょっとだけやで」
「ありがとうございます。こっちも戻ったら声かけます」
台所号へ向かいながら、前を見る。
結衣さんが前に出ていた。
お客さんが四人、コーンを待っている。
火が弱い。仕上がりが遅れている。
「少しだけ待ってもらえますか。今ちょっと——」
言いかけて、横を見る。
寧々が静かに焼きを続けている。
火は弱いが、止まっていない。
結衣さんの声が切り替わる。
「今焼いてます。もうちょっとだけ待ってください、絶対うまいんで」
お客さんが笑う。
「そんなに言うなら待つわ」
もう一人が「どのくらい?」と聞く。
結衣さんが寧々を横目で見る。
寧々が指を一本立てる。
結衣さんが「あと一分くらいです」と返す。
待っている間、結衣さんが続ける。
「皮ごと焼いてるから蒸されて、中の甘さが逃げないんですよ。それに醤油が焦げた匂い、もう来てますよね」
お客さんが鼻を動かす。
「ほんまや。さっきから気になってた」
「でしょ。もうちょっとだけ」
寧々が台所号の中から、その声を聞いている。
手は止まらない。
コーンを中心に集めて、皮を一枚多く残して、醤油のタイミングを遅らせて回している。
火が弱い。仕上がりは遅い。
でも止まらない。
焼けていないコーンが横に並んでいる。
皮がまだ青い。
色が変わりかけているものもある。端が薄い茶になって、そこで止まっている。
蒸気が細い。皮の隙間から少しだけ漏れているが、さっきより量が少ない。
粒の色が動かない。黄色になりきれないまま、止まっている。
醤油の焦げ匂いがしない。
甘い蒸気だけが薄く上がっている。
匂いの半分が、消えている。
寧々の口元が少しだけ動く。
「隣と同じ系統だった。今は少し分けてもらってる。でも根本的には系統を分けないと安定しない」
結衣さんがすぐ返す。
「運営に言う。予備ホース、あるはずやから」
「頼めますか」
「それが仕事やから」
走る前に、一瞬だけ寧々を見る。
寧々は鉄板から目を離さない。
でも、それでいいと分かっている顔だ。
結衣さんがそれを読んで、走る。
台所号の前に立って、俺は見る。
寧々は鉄板の前で焼きを回している。
コーンを中心に集めて、皮を一枚多く残して、醤油のタイミングを遅らせながら。
火が弱い中で、一本ずつ確認して、焼けたものから渡している。
仕上がりは遅い。でも止まらない。
遠くで結衣さんの声が聞こえる。
会場の設営担当を捕まえて、早口で何かを説明している。担当が走り出す。結衣さんがついていく。
隣のたこ焼き屋のおっちゃんが、こっちに顔を向ける。
「どうや」
「三分だけ落としてもらえますか。その後うちが三分落としますんで」
おっちゃんが鉄板を見る。
たこ焼きの焼き色、型の埋まり具合、待ち列の長さ。
「ええよ」
おっちゃんが火力を少し落とす。
鉄板の音が少し太くなる。
完全には戻らない。でも、さっきよりはいい。
寧々が手の動きを変える。
コーンを少し外へ広げる。火が戻ってきているのを感じている。
三分後、俺は隣に声をかける。
「戻します」
「おう」
おっちゃんが火力を上げる。
俺は寧々に小声で言う。
「三分、少し落とす」
寧々が頷かない。でも手の動きが変わる。
コーンを中心に寄せ直す。
三人がそれぞれの場所で動いている。
誰も誰かを助けているわけじゃない。
自分の場所で、自分のやり方で動いている。
「系統分けた。予備ホース繋いでもらった」
結衣さんが戻ってくる。
息が少し上がっている。
鉄板の音が変わる。
「ぼ」が「ぼう」に戻る。
寧々の手が一瞬止まる。
鉄板の端の炎を確認する。
また動き出す。今度は速い。




