表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

16/17

第5話⑤ 鰆の幽庵焼き ― 満ちて、まだ

――鰆の幽庵焼き定食


黒板には、太い字で書いてある。


下に、小さく。

――本日分なくなり次第終了


チョークの粉がまだ新しい。


その前に、もう列ができている。


匂いで並んでいる。


じゅ。


鉄板の音が、黒板より先に客を呼ぶ。


皮を下に置く。

押さえない。

動かさない。


脂が勝手ににじむ。

鉄板の上で、じわ、と広がる。


刷毛を置く。


ひと塗り。


じゅわ。


醤油の甘い匂いが立つ。

すだちが、あとから抜ける。


「幽庵定食、一つ」


「はい」


俺は白飯をよそう。


今日は最初から多めだ。


容器の縁まで、ぎりぎり盛り切る。

隅に、たくあんを二切れ。


湯気が立つ。

粒が立っている。


主菜がのる。


ぱりっ。


皮が鳴った瞬間、

目の前の男の箸が止まる。


フタを少しずらす。

湯気を吸う。


先に米。


白い容器の端から、ひと口。

すぐ、鰆。

また米。


噛む音が早い。


「……これ、米いくな」


言いながら、もう一口いっている。


その背中に、影が三つ。


誰も急かさない。

でも足は前に出ている。


列の後ろで、黒板を読み直す人がいる。


「幽庵って何?」


俺は米をよそいながら答える。


「醤油とみりんに、すだちの皮と汁をちょっとだけ合わせてます。焼く前に薄く塗るやつです」


「味つけるってこと?」


「味は濃くせんです。鰆って脂がええんで、醤油の香ばしさ乗せて、最後にすだちで後味を切ります。そしたら——」


俺は容器のフタを少しずらして、湯気を逃がす。


「ごはん、止まらんようになります」


相手が笑う。


「そんなに?」


「なります。今日それで売れてます」


寧々が皮を返す。


じゅ。


刷毛を引く。


じゅわ。


客が鼻で一回吸って、もう頷いてる。


「じゃあ一つ」


「はい」


焼く。

塗る。

盛る。

渡す。


受け取った客がその場でフタをずらす。


ぱりっ。


「あ、ほんまや」


短く言って、もう一口頬張る。


容器の底が見える速度が早い。


「皮、ええな」


「これ、夕方まである?」


「ごめんなさい、なくなり次第終わりです」


列が少し詰まる。


米のジャーが軽くなる。


「米、まだいける?」


俺が小声で聞く。


「いける」


短い返事。


焼く。

塗る。

盛る。

渡す。


焼く。

塗る。

盛る。

渡す。


列の後ろに、長靴の朝の港で見た姿が映る。

俺だけが一度、視線をやって、やめる。


順番が回る。


「お待たせしました。ご注文どうぞ」


「同じの」


「はい、幽庵定食一つ」


俺は米をよそう。

寧々は皮を返す。


じゅ。

刷毛を引く。


香りが立つ。


主菜をのせる。


渡す。


漁師はその場でフタをずらす。


湯気が上がる。


ぱりっ。


皮が鳴る。


一口。


米へ。


また主菜へ。


箸が止まらない。


顔は変わらない。


でも、速い。


底が見える。


容器を軽く持ち上げる。


「……焼けとるな」


それだけ。


背中で言う。


「鱧の時期きたら、またきぃ」


振り向かない。


足音が、通りの向こうへ消える。


寧々が鉄板を拭きながら言う。


「骨切り、練習しとかな。」


「……やる気やな」


寧々は答えない。


鉄板の熱が、ゆっくり引いていく。


───────────────

【PHOTO】鰆の幽庵焼き定食


皮から立てた脂に、幽庵をひと刷毛。

すだちで後味を切ると、白飯が止まらん。


本日、完売。


#旅する台所号 #今日の一皿 #瀬戸内の鰆

───────────────

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ