開けてはならぬ箱~平安もののけ奇譚~
近衛少将の父、東三条の右大臣。都の実力者だ。
その政敵と言えるのは、粟田の左大臣。
その粟田の左大臣の邸、奥の部屋に「開けてはならぬ箱」があった。
奥の部屋のさらに奥、天竺渡来の螺鈿の文箱が、暗がりで淡く光っていた。
「開けてはならぬ」
理由は言われていない。
先ごろ主である左大臣がどこからか手に入れた、開けてはならぬ美しい文箱。家人は、言いつけを守って開けずにいればそれでよい。
下働きの男が部屋の点検を終え、ふとその螺鈿の光に目を奪われた。
貝が放つ淡い輝きに、視線が吸い寄せられる。
灯の皿が揺れた。
光が走る。箱の蓋の縁が、一瞬だけ浮き上がって見えた。
「開けてはならぬ」
その言葉が脳裏をよぎる。
だが、指が動いた。
何が入っているのか。
自分でも止められない。今まで、言われたことを破ったことはない。確かめるため――そう自分に言い聞かせる。
蓋に、指先がかかった。
「少しだけ……」
開けた。
中には何もない。
美しい内張が貼ってあるだけ。
男が首をかしげる。
「……なにもない」
失望と安堵が混ざって声が漏れる。
また灯が揺れた。
男ははっと振り返る。
何もなかった。
ほっとする。
同時に、誰かが来る前に蓋を閉めなければと思い返す。
文箱に向き直る。
男の背に、灯りが揺れている。
次の瞬間――動きが止まった。
男の喉が鳴る。
男は、その場に崩れ落ちた。
膝から。音もなく。
倒れるというより、糸を切られた人形のように力が抜けた。
蓋が、床に落ちる。
男は床に伏したまま、眼を開けている。
焦点がない。
文箱は、何もなかったようにそこにある。
螺鈿の光だけが、静かに残った。
箱の蓋は、いつのまにか閉まっていた。
⸻
同じ夜、少し刻が進んだころ。
倒れた男は発見され、奥へ運ばれた。
気を失ったまま目を覚まさない。何が起きたかは、わからない。
家司のひとりが倒れた部屋を調べたが、何も見つからず眉を寄せる。
「病いだったか」
下働きの者に部屋の浄めを命じ、その場を離れる。
命じられた下働きが、香の準備をしていて、ふと螺鈿の文箱に目を奪われた。
開けてはならぬ箱。もしやこれが何か……。
男は吸い寄せられるように近づく。
「開けねば、分からぬ」
己に言い聞かせるように言い切った。
指を伸ばす。
蓋が浮いた。
男は中を覗いた。
――何も見えない。
「なんだ……空か」
息を吐いた。
だが、吐いた息が白く見える気がして、男は眉を寄せた。
夏の終わりだ。白くなるはずがない。
そこへ先ほどの家司が戻ってきた。
香の指示を出し忘れていたことに気づき、急ぎ足でやってくる。
男は慌てて蓋を閉めようとした。
――手が、止まった。
目が、箱に釘付けになる。
喉が震えた。
声にならない。
「――ひ」
部屋に入った家司も見た。
男の恐怖に歪んだ顔。
螺鈿の文箱から立ちのぼる、黒く長い髪と白い背中。
首だけが長く伸び、下働きの男に近寄っていく。
次の瞬間、男は倒れた。
肩が床を打つ。
箱からせり上がる背中は、人の形をしている。
けれど、足がない。
衣の裾もない。
首だけが、長い。
ほどけた紐のように伸びている。
家司の喉から、叫びが漏れた。
「――っ!」
音が出たのか出ていないのか分からない。
家司は腰を抜かした。
立てない。
必死に畳を掻いて向きを変えた。袖が擦れ、膝が痛む。
這って逃げた。
振り向けない。
ただ這い続ける。
やがて声が出た。
「だ、誰か……誰か――!」
人が集まる。
家司の様子に、ただ事ではないと誰もが感じる。
部屋には倒れた男がいる。
汗が冷たい。眼が開いたまま動かない。
家司が震えながら言う。
「箱……開けてはならぬ箱……」
螺鈿の文箱の蓋は、開いたままだった。
下人が呼ばれて、蓋を閉じた。
開かないよう飾り紐が結われ、さらに布で包まれた。
⸻
翌日。
粟田の左大臣の部屋。
ゆうべの家司が、まだ震える声で語り始める。口の端が乾いている。
「……例の『開けてはならぬ』螺鈿の箱にて。夜、人が倒れました」
家司は続ける。
「ひとりは意識が戻らず。ひとりは……生死が判じませぬ」
左大臣は扇を開いたまま、動かさない。
扇の骨の影だけが、ゆっくり揺れる。
「誰が見た」
左大臣が問う。声は淡い。
「私が……。ただし、顔は見ておりませぬ。後ろ姿だけ」
家司は思い出したくないが、なんとかそのときの様子を語った。
すべて聞いた左大臣は、扇の陰で口元だけを動かした。
「……面白い」
家司の背筋が粟立つ。
左大臣は思い浮かべた。
螺鈿の光。開けるなという言葉。倒れた者。
そして――都の構図。
東三条の右大臣。
あの男は、いつも正しい顔をしている。正しい顔をして、都の中央にいる。
娘は帝に入内している。いつ御子を生すかわからぬ。
息子、近衛少将――若いくせに、御前で余計なことをする。余計なことをして、褒められる。
左大臣の扇が、ぱた、と閉じた。
「六条の宮様へ参る」
左大臣が言う。
六条の宮は皇太弟、帝の弟君だ。左大臣の娘が入内している。
「箱の話をする。――ただし」
左大臣は家司を見た。
「昨夜のことは、我が邸のことではない」
家司は息を呑んだ。
理解した。理解してしまった。
「……宮様の邸で、起きたことに」
家司が言いかける。
「そうだ」
左大臣は淡々と言った。
「六条の宮様の邸で、人が倒れた。開けてはならぬ箱のせいで、な」
左大臣の扇が、かすかに揺れる。
「箱は宮様から預かったものだ。――我が邸では、何も起きておらぬ。宮様が帝へ献上なさるおつもりだったが、危ういと聞き及んだ。ならば東三条の右大臣に見せるがよい、と進言する」
家司の顔が青ざめる。
左大臣は続けた。
「箱は、開けてはならぬ。だが、だからこそ、帝は"見たい"と仰る。――都はそういうものだ」
⸻
午後の遅い時刻。
六条の宮の屋敷は、笑い声が多い。
笑う者が多いというより、笑って見せる者が多い。笑いが武器になる場所だ。
東三条の右大臣は呼び出され、座に着いた。
向かいに皇太弟六条の宮がいる。粟田の左大臣は少し後ろに控えている。
控えている顔をしているが、この場を作ったのは粟田殿だろうと右大臣は考える。
六条の宮の前に、布で包まれた箱が置かれていた。
螺鈿の光が、布越しにも淡く滲む。
「右大臣」
六条の宮が言った。
声には甘さがある。甘さは刃だ。
「天竺より渡った逸品だ。たいそう美しい。――だが開けてはならぬとだけ言われておる」
右大臣の眉が、ほんのわずか動く。
驚きではない。嫌な匂いを嗅いだ動きだ。
「開けてはならぬものを、なぜこちらへ」
右大臣が問う。
声音は平らだ。平らにしなければならぬ場所だ。
六条の宮は笑った。
「主上がな」
宮は軽く言った。
「中が見たいと仰る。――ああ、これは命令ではないぞ。主上の"興味"だ」
右大臣の目が、僅かに細くなる。
興味は命令だ。興味は人を殺す。
六条の宮は続けた。
「この箱、どうも怪しげでな。高僧にも陰陽師にも見せたが、皆、開けるなと言うばかりだ」
宮は扇を弄びながら、さらりと言った。
「だが、そなたの家には、先日御前で活躍した近衛少将がおるではないか。勇の心のある若者だ。――そなたの縁戚に、腕の立つ陰陽師もいたな。嵯峨野に籠っているとか」
右大臣は左大臣を見なかった。
ここで視線をやれば「疑っている」「争っている」と都が噂にする。
「……仰せのままに」
右大臣は言った。
それが返事になることを、六条の宮は知っている。
「明朝だ」
宮は薄く笑った。
「御前へ。そなたが持て。――そなたの名で持てば、主上も安心なさる」
安心などない。
右大臣の心には、もう一つの言葉が刺さっている。
「開けるな」と言われたものでも、御前に出れば話が変わる。
主上の「見たい」は、断れない。
右大臣は考える。
箱を開けたら、おそらく何かが起こるのであろう。
開けて御前で何ごとかが起きれば、それは右大臣の責任となる。
開けなければ、帝の思し召しに背くことになる。
粟田の左大臣の策略に違いない。
右大臣は座を辞し、屋敷へ戻るとすぐに使いを走らせた。
――少将を呼べ。
⸻
夜。
近衛少将は、父の邸へ呼ばれて来た。
東三条。
右大臣と呼ばれる家の重さが、そのまま庭にある。
父は座にいた。
目は疲れていない。疲れを見せぬ目だ。
「実弥」
父が、少将の諱を呼んだ。
いつもは呼ばない。呼ぶときは、深刻な話と決まっている。
少将は背筋を伸ばした。
「はい」
父は箱を示した。
布に包まれた箱だ。文箱のようだ。
「螺鈿の文箱だ。六条の宮様から預かった。――"開けてはならぬ箱"だそうだ」
父は続ける。
「明朝、御前へ持つ。時間がない」
父の声が低くなる。
「六条の宮様の無茶だ。――断れぬ」
少将は布越しの光を見て、息を置いた。
これは、厄介だ。
そう思うのに、手は伸びそうになる。
「開けてはならぬと」
少将が言う。
「主上は、開けずともよい、とは仰る。だが"見たい"と」
父は淡く言った。
「お前が、御前で為したこと。あれは立派なことであった。――だがそれが、次を呼ぶ」
少将は唇を噛んだ。
父の言い方は責めではない。都の仕組みを教える言い方だ。
だからこそ、背が冷える。
父はこれまでに調べたことも含め、少将に語って聞かせた。
聞き終わって、少将は頷く。
「嵯峨野へ行きます」
少将は言った。言い切った。
「嵯峨殿に見てもらう」
父の目が少将を捉えた。
「粟田殿は、嵯峨殿も巻き込もうとしている」
父が言う。
少将は、短く頷いた。
「はい」
父は頷かない。
だが、許したと分かる目だった。
「口の堅い者を付けろ」
父が言った。
「そして……踏み込みすぎるな」
少将は息を吐いた。
父の言葉が、嵯峨殿の言葉とどこか似ている。
「……はい」
⸻
満月だった。
牛車は都の音を背にして走った。
車輪が砂利を噛む。夜の匂いが濃い。
少将は布に包んだ箱を膝に置き、指先で結び目を確かめた。
ほどけない。
竹丸が向かいにいる。
顔が青い。
「少将様……その箱は」
竹丸が言いかけて、言葉を飲み込む。
「言うな」
少将は短く言った。
「口に出すな。――口に出すと、都が拾う」
竹丸が頷いた。
少年の頷きは素直だ。素直なほど、折れにくい。
嵯峨野の山影が近づく。
山荘の門は閉じていた。
名を告げる前に、内側で戸が擦れた。
家人が無言で開け、脇へ退く。
座に通される。
沈香の匂いと墨の匂い。いつもの匂いだ。
それだけで、少将の胸の奥が少し緩むのが分かった。
嵯峨殿は座にいた。
長い黒髪を後ろで束ねただけの痩身。切れ長の目。姿勢が崩れない。
「よく来た」
嵯峨殿はそれだけ言った。
少将は布包みを座の端に置いた。
「嵯峨殿。知恵を貸してくれ」
「話せ」
嵯峨殿は短く言う。
少将は説明した。
六条の宮の無茶。明朝の御前。開けてはならぬと言われる箱。左大臣の影。
そして――昨夜、左大臣邸で倒れた者が出たらしいこと。目撃者が這って逃げたこと。
嵯峨殿は途中で眉ひとつ動かさない。
話し終えたあと、布包みへ視線を落とした。
「開けるなと言われたのか」
「ああ」
少将は頷いた。
「だが御前だ。開けずに済むと思うか」
嵯峨殿は頷かない。
ただ、淡い声で言った。
「その箱は大丈夫だ」
少将は息を止めた。
止めた息が、やっと落ちる。
「……なぜ分かる」
「気配が薄い」
嵯峨殿は言った。
「薄すぎる。――空だ」
「空、とは」
嵯峨殿は少将を見た。
今度は肩の奥ではない。顔を、真正面から。
「抜けた後の、空だ」
嵯峨殿は言った。
「……では、御前で開けても」
「問題ない」
嵯峨殿は言い切った。
少将は唇を噛んだ。
ここで安心してしまう自分が怖い。
嵯峨殿は、少将の袖口へ手を伸ばした。
乱れた結び目を一度だけ直す。いつもと同じだ。動作は短い。指先が冷たい。
「安心はするな」
嵯峨殿が言った。
「大丈夫でも、安心はするな」
少将は眉を寄せた。
「矛盾だ」
「矛盾ではない」
嵯峨殿は淡い声で返した。
「開けるなと言われた箱ほど、開けさせたがる」
少将は笑えなかった。
止めるほど、人は触りたくなる。
少将は息を吐いた。
「……嵯峨殿。ありがとう」
嵯峨殿は黙って頷いた。
少将は、ふと思い出した。
「六条の宮が、お前の名も出したそうだ」
嵯峨殿の目が、わずかに動く。
「……そうか」
「粟田殿は、お前も巻き込もうとしている」
少将が言うと、嵯峨殿は淡く答えた。
「私は、粟田殿に嫌われているからな」
少将は眉を寄せた。
「なんでもないように言うな」
嵯峨殿が少将を見る。
「なんでもない」
「なんでもなくはない」
少将の声が、珍しく強くなる。
「自分自身のことになると、お前は雑だ」
嵯峨殿は目を細めた。
否定しない。否定しないことが、肯定だ。
「……お前が心配するな」
「心配する」
少将は言い切った。
「心配するに決まっている」
嵯峨殿は何も言わなかった。
ただ、視線を硯に落とした。
少将は、それ以上は言わなかった。
言っても、嵯峨殿は聞かない。聞かないふりをする。
だが、嵯峨殿のきついまなじりが、ほんの少しだけ緩んだのを、少将は見た。
⸻
明朝。
御前へ向かう廊は、人が多い。
けれど声は低い。声を低くすることで、場の格を作る。
東三条の右大臣と少将は、その中を進んだ。
布に包んだ螺鈿の箱は、少将が自ら抱えている。
父は横を歩く。歩幅が揃う。
清涼殿。
御簾の向こうに帝がいる。姿は見えぬ。声だけが場を支配している。
「例の箱か」
帝の声が落ちた。
「はい」
右大臣が答える。
「天竺の螺鈿の文箱にございます」
少将は布を解いた。
螺鈿の光が、御前の灯を拾う。
貝の光は夜の月と違う。昼の光に混じり、薄く笑っているように見える。
帝は一拍置いた。
「見事だ。開けてはならぬものと聞いた。開けずともよい」
帝が言う。
その言葉で場が息を吐く。
だが、続けて帝は言った。
「――だが、見てはみたい」
言い方が柔らかい。
柔らかいほど、命令だ。
少将の指先が冷える。
嵯峨殿の「大丈夫」が、胸の奥で音になる。
右大臣が少将へ視線を落とした。
少将は頷いた。頷くしかない。
少将は蓋に手をかけた。
――開ける。
自分の手が、自分のものでないように感じる。
それでも、嵯峨殿の言葉が、背を押す。
蓋が開いた。
場が止まる。
扇が止まる。衣擦れが止まる。
そして――何も起きない。
中には、美しい布が張られていた。
暈繝錦の色の移ろい。
香はない。血もない。息もない。
「近くに」
少将はお付きの者に文箱を渡す。
御簾の向こうで、帝が文箱を見ているらしい。
「よい」
帝が、おおらかに笑った。
その一語で、場が戻る。
「六条に、礼を申せ」
人は現実の手順へ戻る。褒め言葉が交わされる。
右大臣は面目を保つ。少将は息を吐ける。
父の声が低く落ちた。
「よく収めた」
少将は「はい」と答えた。
安堵と、でもまだどこかに冷えが残っていた。
⸻
夜。
粟田の左大臣は、自邸に戻っていた。
薄い顔で濃いことを考える。
右大臣は、箱を開けて無事だったという。
帝はたいそうお喜びだったと。
――ならば、箱は"ただの箱"だったのか。
左大臣は扇を閉じた。
苛立ちは表に出さない。苛立ちを表に出す者は二流だ。
左大臣は廊を歩き、奥の部屋へ入った。
そこには幾つか箱が置かれている。折にふれ、集めた品々だ。
文箱、小箱、香の箱――いずれも雅だ。いずれも、開けてよい箱だ。
左大臣は、そのうちのひとつへ手を伸ばした。
派手ではない。
けれど、手がかかっている箱だ。漆の艶が深い。蒔絵の金が、灯の中で沈む。
左大臣は、蓋に指をかけた。
一瞬ためらった。
(なぜ開けたくなったのだ。だが、開けるなと言われた箱ではない)
指先に軽く力を入れた。
蓋が、すっと上がった。
左大臣は覗いた。
何もない。
そう見えた。
布が敷かれているだけだ。綺麗な内張。
手入れの行き届いた――香り。
香ではない。
湿り気の匂いだ。
左大臣は眉を寄せた。
鼻の奥がひくりとした。
そして――箱の中で、何かが動いた。
布ではない。
影だ。
影が、影の形を変える。
箱の底から、頭が現れた。
首が伸びてくる。
蛇のようにうごめいて伸びる。
肌は白い。
髪は黒く長い。
目がない。
鼻もない。
頬の起伏もない。
ただ――口だけがあった。
唇は薄い。
笑っていないのに、笑っている形に見える。
口が、開いた。
中が暗い。
暗いのに、湿っているのが分かる。
舌が、ゆっくり動く。
左大臣の喉が鳴った。
声にならない音が、口の奥で砕ける。
扇を振ろうとした。
振れない。
腕が動かない。
身の力が抜ける。
のっぺらの頭が、寄ってくる。
首が伸びる。
止まらない。
距離が縮まる。
逸らせない。
口が、左大臣の頬に触れた。
息がかかる。
湿った息。生温い。
そして――
ぺろり。
何かが頬に触れた。
舌だ。
舌の感触が、皮膚に残る。
ぬるり、と線が引かれる。
左大臣の目が見開かれた。
叫びたかった。
叫べない。
声が出ない。
声が出ないのに、口の中だけが動く。
助けを呼ぶ形を作る。
音がない。
左大臣の膝が折れた。
貴族らしい折れ方ではない。
力が抜けて落ちた。
箱の蓋が――
ぱちり。
閉まった。
閉まる音は小さい。
小さいのに、邸の空気がそこで切れた。
⸻
翌日から、粟田の左大臣は人前に出なくなった。




