第一話 未知の邂逅
プロットの時点では十話前後で終わる短めの話になる予定です
初日のみ一話と二話の二話分投稿しますが三話以降は不定期投稿となります
ヘルトゥルタンと呼ばれる雪国を取り囲む寒山。そこにはルミニュイ族という女性しか存在しない一族が暮らしていた。彼女達は新雪のようにまっさらな白い髪に白縹の瞳を持った美しい容姿をしており氷結の魔術を扱う事に長けていた事から雪乙女とも呼ばれていた。
「ヴィティ。気をつけてね」
「うん」
「お土産買ってきてねヴィティお姉さま」
「分かったわ。あなたが好きそうなお土産を買ってきてあげる」
そのルミニュイ族の一員である乙女、ヴィティは一族のしきたりのため一人山から降りようとしていた。彼女は見送りに来た母と妹分の若い娘に手を振るとそれから振り返ることなく淡々と山を降りていく。
ヴィティは山から離れ外に出るのは初めてだった。表情には出ていないものの彼女の足取りは心なしか軽やかだ。
「ここがヘルトゥルタン……」
山慣れした成人男性でも過酷な雪山の下山をアッサリと終えて初めて降り立った異国の地。そこでヴィティは一人呟く。彼女の目の前には見渡す限りの未知の世界が広がっていた。
彼女が知る景色は一面の銀世界に少しの緑の木々と岩、そして治癒効果のある水が湧く小さな湖がある程度であったがヘルトゥルタンはそんなヴィティの知る世界とは全く違っていた。
山を降りた先にあるため雪が多いのは変わらないがその雪もどこか柔らかでサラサラとしている。
また白い髪に白い肌、白縹の瞳という同じ色しか持たないルミニュイ族とは異なる多種多様な色を持った人間達で賑わっており家や建物も雪や氷で作ったものではなく木やレンガで作られている。ヴィティは視界に入ってくる色の情報量に透明感のある瞳をしきりに瞬かせた。
「『外』の事は話には聞いていたけど……こんなにも違うのね」
その声は抑揚がなく平坦なものではあったが不安を滲ませていた。
(ちゃんと使命を果たせるかしら……)
何もかも新鮮な世界にヴィティは寒さではなく不安と緊張から僅かに身を震わせる。
ヴィティの使命。それは男から子種を貰うことだ。ルミニュイ族は女しか生まれない種族であり繁殖方法は人と変わりはない。
しかしルミニュイ族は人では住むことが出来ないような過酷な寒さの雪山で暮らしているため彼女達の住まう雪山に遭難した男から種を貰うかヴィティのように子を孕めるようになった若い娘が下山し外の男に交渉した上で種を貰っていた。そうした活動を続けて細々とその数を増やしてきた一族なのだ。
(方法は一通り覚えたけれど……)
母や年上のルミニュイ族の女性に必要最低限の人里の常識や子を授かるための方法は学んだがあくまでそれはマニュアルや体験談だ。ヴィティが直接体験したものではない。
──私達ルミニュイ族は人にとって好ましい容姿をしているそうよ。それにヘルトゥルタンの人々は私達の『活動』に理解があるわ。ちゃんと合意を得られれば何も問題はないから。
そう話していた母の言葉を思い出しながら入国手続きを済ませ大通りを歩く。持たされた地図を開きながら淀みなく歩を進めていくと一際立派な建物がそびえ立っていた。ひと目見ただけで歴史を感じさせる厳かな建物の入口近くには第百回武道大会と書かれた看板がある。
ヘルトゥルタンでは年に一度世界中の強豪達が集い試合をする大会が開かれていた。今回が記念すべき百回目という事もあって皆ぞろぞろと観戦しようとたむろっていた。
「ここが……世界一の人間を決める場所……」
ヴィティは今日武道大会があることを知っていた。むしろ今日に合わせるために下山する日程を組んだほどだった。それはなぜか。
(子を産むのなら優れた子を産みたい。世界一の男の遺伝子ならきっと……)
見た目だけなら儚げで雪の妖精のようだと道行く人々を見惚れさせるヴィティだがその中身は割りと俗物で即物的だ。華奢な体つきな者が多いルミニュイ族とは真逆の屈強で筋肉質の男を好ましいとも思っていた。本や写真ではない生ムキ男を見られるチャンスに表情には出ていないものの内心るんるん気分で入館の手続きをして中に入る。
中は多くの人々がごった返しており熱気があった。そこら中から、
「うおっ、あれが各国の武道大会を総ナメにしてる優勝候補か……」
「へー、たしかにガタイはいいが意外と優男な見た目というか……イケメンだな。なんか腹立つ。毛もあるし」
「まあっ、髪サラサラで綺麗! 羨ましいわ」
「まるで丸太のような腕と足……圧し折られたい……」
と優勝候補の出場選手に対する様々な話題が聞こえてくる。自分の目で確かめたいからと出場選手の情報は集めていなかったヴィティはどんな人なのだろうと人々が話す選手のいる方へと視線を向ける。
すると……。
「……っ……」
ドクン、と心臓が大きく跳ねた。ヴィティの白縹の瞳が大きく見開かれる。その選手は他の出場者と比べても一際目立っていた。
まず目に引くのは烏の濡羽のように光沢のある美しい黒髪だった。長く伸ばしている髪を項辺りで括りまるで馬の尾のようにゆらゆらと揺れている。その選手の体躯は周りの屈強な男達に見劣りしないくらいに逞しく丸太のような腕と脚と評した言葉は大袈裟な比喩でない。
背は2メートル近くあり浅緋と薄墨の道着に身を包んだ彼から漂う静謐な佇まいに出場選手も観客も、そしてヴィティも釘付けにしていた。
切れ長な緋色の瞳は誰を捉えるでもなくただ前を向いている。世界最強の男という名誉を掛けた戦いの前だというのに緊張した様子もなく立っているだけで畏怖から身じろぐ選手すらいた。
(立ち振舞いも肉体も素敵。それに……)
ヴィティは小柄な自身の体を乗り出してその男の顔を注意深く見つめる。男は顔のパーツ全てが整っていて顔面偏差値が高い。顔立ちだけならば優男だが太めの眉が凛々しさと男らしさと大人の色気を醸し出している。
『男』というものをほとんど知らないヴィティでもこの人は美形であると判断できるほどに優れた容姿をしていた。
(淡い宍色の肌……確か東の国の人があの色の肌であることが多いと聞いたような。遠くからやってきたのかしら)
艶めく長い黒髪と宍色の肌は会場内でも珍しくどこか浮世離れしたその容姿はまるで芸術品のような美しさがあった。
思わず見惚れているとヴィティの視線に気がついたのか、それとも単なる偶然なのか。男の視線は彼女の方を向き、ヴィティの白縹の瞳と男の緋色の瞳が合う。
「……っ」
それは一瞬だけの邂逅だった。その一秒にも満たない刹那の出来事にヴィティは呼吸をするのを忘れてしまう。既に視線は合っていなかったがヴィティ自身は男から目を逸らせなかった。
その凛々しい横顔を見つめているだけで心臓が高鳴る。今まで感じたことのない、熱を帯びた感覚にヴィティは思わず自身の胸を押さえた。
(なに、これ……)
初めての感覚にヴィティは戸惑いを隠せなかった。体温が上がり顔が熱くなるのを感じ、心臓がばくばくと早鐘を打つように激しく脈打ち、頭がボーッとする。まるで熱に浮かされているようだった。
同世代の娘と比べて感情の揺れ動きが少ない彼女にとってそれは未知の感情であり熱であった。
(この感覚が何かよく分からないけれど……彼がいい。彼との子どもが欲しい)
その衝動が、想いが何であるか分からぬままヴィティは優勝候補である男、ロンシャオという名の青年を標的に定めたのだった。