第3話:冒険者の取材をしていたら、魔物に原稿を食べられました。
カミのボロい部屋は、相変わらずインクと羊皮紙の匂いで充満していた。机の上には、『竜王の叙事詩 第3巻』の原稿――といっても、ほとんど白紙に近い紙束が積まれている。締め切りまであと数時間。編集者の「今夜までに50ページ」という無茶な要求が、俺の頭に重くのしかかる。
転生してまだ一日も経っていないのに、俺はすでに地獄を見ていた。生前、紙 凌平として1000万部を売り上げた超有名小説家だった俺が、17歳の小説家カミとして、借金まみれで地下牢行きの危機に瀕しているなんて、誰が想像しただろうか。
しかも、頼みの綱だった魔法は大失敗。『スクリプト・オートマタ』という自動筆記の呪文は、俺の潜在意識らしいカレーへの執着を反映し、竜王がピンクのウサギになったりカレー屋を開業したりするトンデモ原稿を量産。挙句、使っていた羽根ペンが「呪いの自動筆記ペン」だと判明し、解除不可のクソ仕様で俺をさらに追い詰めた。
そんな中、唯一の希望は、目の前でニヤニヤしてる赤毛の少女、リナだ。
「カミ、そろそろ本気出す時間だろ? 私の冒険譚、聞く準備はできてる?」
リナは腰に手を当て、自信満々に笑う。彼女はCランクの冒険者で、『竜王の叙事詩』の熱狂的なファンらしい。さっき、「リアルな戦闘シーンや冒険のネタを提供する」と申し出てきた。確かに、このファンタジー世界の素材を活かせば、原稿のクオリティは上がるかもしれない。
「リナ、悪いけど、話聞くだけじゃ足りねえ。実地取材させてくれ」
俺は羊皮紙を手に立ち上がった。
「実地取材?」
リナが目を丸くする。
「この世界の戦闘や魔物を、俺の目で確かめたい。『竜王の叙事詩』は壮大なファンタジーだろ? 机の上で空想してるだけじゃ、読者を納得させる話は書けねえ」
生前の俺は、ネットや本でリサーチして想像力を補った。だが、ここは本物のドラゴンや魔物がいる世界。リアルな体験を物語に落とし込めば、締め切りを乗り越えられる――はずだ。
リナは一瞬考え込み、やがてパッと笑顔になった。
「いいね。さすが私の推し作家!よし、じゃあ私の冒険に同行だ!王都の外に、ちょうどいい魔物が出る森がある。そこなら、戦闘シーンもバッチリ取材できるぞ」
「マジか。じゃ、早速――」
俺が言いかけるや否や、部屋のドアがバン!と開いた。
「おい、カミ!原稿はどうなった!?」
またあの編集者だ。眼光鋭い中年男で、背後には相変わらず借金取りらしき屈強な男が二人。
「まだ数時間あるだろ!?ちょっと出かけてくるだけだ!」
「出かける!?ふざけるな!締め切りは今夜だぞ!」
編集者が怒鳴るが、俺はリナと目を合わせ、窓に向かってダッシュした。
「リナ、行くぞ!」
「了解!」
俺たちは窓から飛び出し、ボロ屋の裏路地に着地。編集者の「カミィ!戻れェ!」という叫び声を背に、王都の外を目指した。
王都の門を抜け、森にたどり着いたのは、夕暮れ時だった。空はオレンジに染まり、木々の間から鳥の鳴き声が聞こえる。リナは慣れた手つきで短剣を構え、俺に小声で説明した。
「この森は『牙狼の森』って呼ばれてる。ゴブリンやオオカミみたいな弱い魔物が多いけど、たまに厄介なヤツも出る。取材にはちょうどいいよ」
「ゴブリンか……『竜王の叙事詩』にも出てくるな。どんな感じだ?」
俺は羊皮紙と普通の呪いなしの羽根ペンを手に、メモの準備をした。
「小柄で、緑の肌。動きは素早いけど、単体なら私でも楽勝。問題は群れで来るときだね。ほら、あそこ!」
リナが指差す先で、ガサガサと茂みが揺れた。現れたのは、棍棒を持ったゴブリン三匹。赤い目がギラギラ光り、キーキーと甲高い声を上げている。
「カミ、よく見てろ。これが冒険者の戦いだ!」
リナは短剣を手に、軽やかなステップでゴブリンに飛びかかった。彼女の動きはまるで舞踏のようだ。ゴブリンの棍棒をスウェイでかわし、短剣を一閃。首を刈られたゴブリンが地面に崩れ落ちる。
「すげえ……!」
俺はペンを走らせた。
「冒険者の剣技は、風を切るように鋭く、しかし優雅。ゴブリンの粗野な攻撃を軽くあしらい、瞬時に急所を突く……」
リナは残りの二匹も瞬く間に倒し、ドヤ顔で振り返った。
「どう? 私の戦闘シーン、原稿にバッチリ活かせそう?」
「最高だ! これなら、竜王の戦闘シーンにもリアリティが出る!」
俺は興奮で拳を握った。だが、そのとき、背後から低いうなり声が聞こえた。
「リナ、何だこれ!?」
振り向くと、そこには巨大なオオカミ――いや、魔物らしい。体長は2メートル以上、牙は短剣のようだ。毛は黒く、目は血のように赤い。
「牙狼だ! この森のボス級魔物!カミ、下がって!」
リナが叫び、短剣を構えた。だが、牙狼は一瞬でリナに飛びかかり、彼女を地面に押し倒した。
「リナ!」
俺は咄嗟に叫んだ。生前の俺なら、ここで思考停止だっただろう。だが、カミの体には、微かだが魔法の知識がある。
「くそ、やってやる!」
俺は記憶を漁り、さっきの『初級魔法大全』を思い出した。『光の玉』の呪文なら、敵の目をくらませられるかもしれない。
「ルミナス・オーブ、輝け!」
俺の手から小さな光の玉が飛び出し、牙狼の顔の前でパッと爆ぜた。牙狼が目を眩ませ、動きが止まる。
「今だ、リナ!」
「ナイス、カミ!」
リナは体を起こし、短剣を牙狼の脇腹に突き刺した。魔物は悲鳴を上げ、地面に倒れ込んだ。
「ふう、危なかった……カミ、グッジョブ!」
リナが笑顔で親指を立てる。俺も安堵の息を吐いた。
「これ、めっちゃいい取材になったな。牙狼の迫力、絶対原稿に活かすよ」
俺は羊皮紙に書きなぐった。牙狼の咆哮、鋭い牙、リナの剣技――すべてが『竜王の叙事詩』の戦闘シーンにピッタリだ。
だが、喜びは長く続かなかった。
「カミ、あそこ!」
リナが指差す先で、ゴブリンの群れが現れた。さっきの牙狼の騒ぎに引き寄せられたらしい。数は10匹以上。
「マジかよ!リナ、戦えるか?」
「ちょっとキツいけど、やるしかない!カミ、魔法で援護して!」
俺は再び『光の玉』を放ち、ゴブリンの目をくらませた。リナは短剣を振るい、次々と敵を倒していく。だが、ゴブリンの一匹が俺に突進してきた。
「うわっ!」
咄嗟に避けた拍子に、俺の手から羊皮紙の束が落ちた。ゴブリンはそれを咥え、森の奥に走り去る。
「待て!それ、俺の取材メモだぞ!」
俺は慌てて追いかけた。リナが「カミ、危ねえ!」と叫ぶが、止まるわけにはいかない。あのメモがなきゃ、原稿のアイデアがパーだ。
ゴブリンを追って茂みを抜けると、小さな洞窟にたどり着いた。ゴブリンは羊皮紙を咥えたまま、洞窟の奥に逃げ込む。
「くそ、返せよ!」
俺は洞窟に入り、ゴブリンを見つけた。だが、その瞬間、羊皮紙がゴブリンの口の中でボロボロに。
「食った!? お前、メモ食った!?」
ゴブリンは満足げにゲップをし、俺を嘲笑うようにキーキー笑う。
「てめえ……俺の原稿を……!」
怒りに任せて、俺は『光の玉』を連発。ゴブリンは目を眩ませ、洞窟の壁に頭をぶつけて気絶した。
だが、羊皮紙はもう原型をとどめていない。唾液でぐちゃぐちゃだ。
「マジかよ……これ、どうすんだ……」
俺は膝をついた。締め切りまで時間がないのに、取材の成果がゼロに戻った。
そこに、リナが息を切らして追いかけてきた。
「カミ、大丈夫!?無茶すんなよ!」
「リナ、メモがゴブリンに食われた……」
俺はグチャグチャの羊皮紙を見せ、肩を落とした。
「うわまじかよ。でもさ、カミ、メモがなくてもお前の頭には残ってるだろ?私の戦闘シーン、牙狼の迫力、全部見たんだから!」
リナの言葉に、俺はハッとした。確かに、俺の脳内には、さっきの戦闘の映像が鮮明に焼き付いている。生前の俺は、締め切り直前にアイデアを即興で紡ぎ出したこともあった。メモがなくても、書けるはずだ。
「そうだな……リナ、ありがとな。ちょっと希望が見えてきた」
「でしょ!さ、早く王都に戻ろう。編集者、めっちゃ怒ってると思うよ!」
リナが笑う。俺も苦笑しつつ、洞窟を出た。
王都に戻ったのは、夜も更けた頃。カミのボロ屋に着くと、案の定、編集者が待ち構えていた。
「カミ!どこほっつき歩いてた!?原稿は!?」
「す、すみませんでした! 今から書きます!」
俺は机に飛びつき、普通の羽根ペンを手に取った。呪いのペンは封印済みだ。リナが隣で「頑張れ!」と応援してくれる。
「リナ、戦闘のディテール、話してくれ。俺、書きながら聞くから」
「オッケー! じゃ、牙狼の牙がキラッと光ったとこから――」
リナの話を聞きながら、俺はペンを走らせた。
「竜王は炎の剣を振り上げ、闇の魔獣を一閃。咆哮が戦場に響き、敵の軍勢は恐怖に震えた……」
リナの戦闘を参考に、物語はどんどん膨らんでいく。ゴブリンの素早い動き、牙狼の迫力――すべてが原稿に命を吹き込む。
だが、編集者は腕を組んで睨んでいる。
「カミ、50ページだぞ。間に合わなきゃ、借金取りに引き渡すからな」
「分かってます!絶対書きます!」
俺は気合を入れ直し、ペンを握り続けた。
夜が明ける頃、俺はようやく40ページを書き上げていた。リナは机に突っ伏して寝ている。彼女の話は、原稿にリアルな戦闘シーンを加えるのに大いに役立った。
「あと10ページ……いける!」
だが、そこで問題が。インクが切れた。
「マジか!?こんな時に!?」
予備のインク瓶を探すが、ボロ屋には何もない。リナを起こし、相談する。
「リナ、インクどこで買える!?」
「ん……? インクなら、ギルドの売店で売ってるけど……今からじゃ遠いよ……」
リナが眠そうに答える。だが、俺は諦められない。
「リナ、頼む! ギルドまで走ってくれ! 俺、ここで書き続けるから!」
「うー、しゃーねーな! 私の推し作家のためだ、行ってくる!」
リナは短剣を手に、夜の王都に飛び出した。
俺は残りのインクをかき集め、ペンを動かし続けた。締め切りまであと1時間。編集者の足音が、まるで死神のようだ。