7話「二人だけの秘密」
旧校舎の視聴覚準備室。
普段は俺と華だけが知っている秘密基地のような場所。しかし今日は俺と華と、そしてリリィの姿があった。ちらっと腕時計を見るともう一時間目の授業が始まっている時間だ。
俺の知っている華は凄く真面目な奴で、授業をサボったりしたことなんて一度もない。
勿論、この学校に通っている生徒の大半はそうなのだが。でも今目の前には華がいる。既に授業は始まっているはずなのに、だ。
「えっと、華?」
「なに?」
「授業、始まってるけど……」
「そう」
「いや、そうってお前な」
「大丈夫だよ、友達に頼んで早退させてもらうことにしたから。虎鉄“たち”みたいに」
「う……」
廊下では目立つからとこの場所を選んだが、それは選択ミスだったのかもしれない。
静まり返った部屋に華の冷たい声が響く。これは相当怒っている、今までの俺の経験でも類を見ないくらいの怒りを華から感じる。
確かに彼女の怒りも当然で、俺は昨日の約束を全てすっぽかしてしまったのだ。しかも二日連続で。怒らない理由を探す方が難しかった。ここはとにかく素直に謝るしかない。親しき中にも礼儀あり、という言葉もある。
「……華。ごめん俺」
「で、その子は誰?」
しかし俺の言葉を遮った華の関心は、何故か部屋の隅っこで大人しくしていたリリィに向けられていた。
「え?」
「貴女、名前は?虎鉄とはどういう関係?一緒に暮らしてるってどういうこと?」
「お、おい華――」
「虎鉄は黙っていてくれるかな?」
有無を言わさない華の圧に、思わず俺は押し黙ってしまう。
まるでリリィを尋問するかのような矢継ぎ早な質問の嵐。リリィは戸惑いながらも答えるのが礼儀だと思ったのだろう、昨日打ち合わせしたとおりに話し始める。
「わ、私はリリィ・アルフォートと申します。明日から虎鉄と同じクラスに転校してくる者です。よろしくお願いします、えっと……」
「……黒咲華、虎鉄の幼馴染。で、リリィさん?貴女は虎鉄とどういったご関係で?」
まるでブラック企業の圧迫面接のようだ。普段とは違う雰囲気の華に、俺も下手に口出しできない。
「えっと……虎鉄のお父さんと私の父が友達で、今回日本に留学することになった私の面倒を虎鉄が見てくれることになったんです。私、異国の育ちでこの国に他の知り合いもいないので」
それは昨日の夜、急遽考えた言い訳だ。
急にウチのクラスにリリィみたいな奴が来れば、当然質問攻めに遭うだろう。なので状況に合わせて予め幾つか答えを考えておいた。これで華が納得してくれると良いのだが。
「そんなの、初耳なんだけど私」
「俺も全然知らなかったっつーの。大体ウチの両親が破天荒なのは、華だって知ってるだろ?」
「それは……そうだけど。でも一緒に住むっていうのはどういう事?」
「親父がリリィの父親と約束したらしいんだよ。娘のことは任せてくれってさ。だからとりあえず日本にいる間はウチで暮らすことになったんだ。な、リリィ?」
「は、はい!」
「……ふーん」
華は納得しているのかしていないのか、微妙な表情だった。
それでも今の俺たちにはこれが精一杯だ。それに本当のことを話したところで、誰が信じてくれるだろうか。現に体験した俺自身でさえ、まだ何かの冗談なんじゃないかと思うくらいなのだから。幼馴染を騙すのは忍びないが仕方ない。
「……とりあえず、事情は分かったわ。虎鉄」
「なんだよ」
「何ですぐに私にも相談してくれなかったのよ!普通こういう事は私にも言うでしょ!」
「い、いやだって急だったしさ。それに華に迷惑かけるわけにも」
「むしろこうやって知らないことの方が迷惑なんですけど?」
「う……」
ムスッとしながらも華の口調は先程とは違い、柔らかかった。どうやら俺たちの説明で納得してくれたらしい。
「昔から虎鉄はいつもそう。大事なことは私に黙って勝手に決めるんだもの。そういうところ、直してって言ったよね?」
「そんなこと言われても簡単には直らないっつーの!大体華にいちいち話す義理はないだろうが」
「へぇ、そういう事言うんだぁ。私は虎鉄のお父さんたちから貴方の事よろしくって言われてるんだけど?それに毎日虎鉄のためにお弁当も作ってきてる、こんな甲斐甲斐しい幼馴染にそんなこと言うんだ?」
「あのなぁ……」
才色兼備で優等生で通っている華だが、本当の姿はこんな感じだ。もう何度目か、数えるのも無意味なくらい繰り返される口喧嘩。
「ふふっ」
リリィはそんな俺たちを見て、くすっと笑った。
「あ、ごめんなさい。本当に二人は仲がいいんだなって。見ていて微笑ましかったのでつい」
「な、仲がいいってそんな……!」
「ただの幼馴染だからな。昔からの腐れ縁っていうかさ。本当に喧嘩してるわけじゃないから心配――いったぁ!?」
華が思い切り俺の足を踏んづける。
「華、お前なぁ……!?」
「どうせ私は腐れ縁の幼馴染ですよーだ。ね、リリィさん。明日からこの学校に通うんでしょ?」
「は、はい」
「なら私が校内を案内してあげるよ。授業中だから行けるところは限られるけど。どうかな?」
「えっと……あの」
リリィは少し困ったような顔をして、こちらを伺う。
リリィにとってこれからしばらくはこの世界で生きていく上で、知り合いは多い方が良い。学校っていうのは良くも悪くも閉鎖的な場所だ。それに華はこの学校じゃ顔も広いし、信頼出来る。
俺はゆっくりと首を縦に振った。
「……はい、よろしくお願いします」
「よし、決まりね。じゃあ虎鉄、私たちちょっと校内探索に出掛けてくるから」
「はいはい、ここで待ってればいいんだろ?」
「流石!なるべく早く戻ってくるからね。それじゃあ行きましょう、リリィさん!」
「は、はい!あ、虎鉄」
「ん?」
「いってきます!」
「いってらっしゃい……ってなんだそれ」
そう言って二人は仲良く飛び出して行ってしまった。
華のあの感じだと、こりゃあ一日リリィの世話を焼いてくれそうだ。俺からすれば渡り船というか、正直俺一人ではリリィのサポートにも限界があると思っていた。
そもそも俺自身が学校に馴染めていないのに、どうやってリリィを支えられるというのか。その点、華は校内でも人気が高いし友達も多い。
それに女同士でしか分からないこともあるだろう。だからこうして華に見つかったことはかえって良かったのかもしれない。
『華のことは、絶対に俺が守るからな!』
『うんっ!』
中学くらいから、華は本当に別人のようになった。
昔は虐められてばっかりでずっと俺の後ろに隠れていたのに。今じゃこうやって誰かに手を差し伸べられるくらい、頼もしくて強い。
「……幼馴染、か」
それは、俺と華を今でも繋ぐ唯一の絆。それがなければ華はこんな俺の側なんかにいない。
だからどれだけ卑怯と言われようが、俺は“幼馴染”って言葉を繰り返す。決して彼女が俺の元から離れていかないように。
◇◇◇
華とリリィは旧校舎の廊下を歩く。
普段は文科系の部活棟として一部が使われている為か、授業中に誰かが訪れることは滅多にない。華もそれは承知しているようで、特に気にすることなく話し続ける。
「――それでね、結局虎鉄は何も言ってくれなかったんだよ?本当に失礼な話だと思わない?」
「ふふっ」
「あれ、そんなに面白かった?」
リリィは一度首を横に振った後にじっと華を見つめる。
華自身、昨年学校のミスコンに選ばれているということもあって自分の容姿には多少なりとも自信はあった。
それでも目の前にいるリリィを見ると、そんなことを考えていた自分が恥ずかしくなってしまう。吸い込まれそうな緑色の瞳に、どこか人間離れした神秘的な魅力。こんな魅力的な女の子が、突然幼馴染の横に現れた。
華にとっては衝撃以外の何物でもなかったのだ。
「いえ、華さんは本当に虎鉄のことが好きなんだなって」
「す、好きっ!?な、なに言ってるのかなリリィさんは!?」
華は顔を真っ赤にして必死に否定する。
その分かり易い態度が、余計にリリィの予想が当たっていることを裏付けた。まるで“ルイ”みたいな反応をするな、とリリィは思ってまた笑ってしまう。
「お似合いだと思います、虎鉄と華さん」
「お、お似合いっ!?もう本当にからかわないでよね!あ、あはは……!」
「それに華さん、凄く奇麗ですから」
「……リリィさん、良い人だね!」
がっちり握手をしてくる華に、またリリィは笑う。
虎鉄を想う華の気持ちは本当に分かり易くて、それだけに虎鉄の鈍感さが信じられない。きっとこんな感じで幼馴染を続けて来たのだろうとリリィにはすぐに分かった。
「私のことはリリィと呼んでください。今までも呼び捨てが多かったので」
「分かった、リリィ。じゃあ私も華で大丈夫だから。あ、それとねリリィ」
「はい?」
「今のことはその……虎鉄には内緒にしててね。二人だけの、秘密だよ?」
そう言った華の表情は少し悲しそうだった。
「……はい、勿論です。私は何も知りませんから」
「ありがとう、リリィ」
けれどリリィは何も聞かない。
自分が踏み込んではいけない、そんな気がしたから。
二人だけの秘密。その言葉の本当の意味も、今のリリィには分かるはずもないのだから。