6話「異文化交流を始めよう」
リリィから連絡を受けた俺は、居ても立っても居られなくなり杠先生に無理を言って学校を早退した。
最初は渋い顔をしていた杠先生だったが、それがリリィ絡みだと知るや否や急に早退を承諾してくれた。ニヤニヤしながら俺に「頑張れよー!」と言った先生は、絶対に何かを勘違いしているとは思ったが訂正する時間も惜しい。
俺はそのまま全速力で家に帰り倉庫の奥、鏡の前でへたり込んでいるリリィを見つけた。
「リリィ、大丈夫か!?」
「虎鉄……ごめんなさい。でも私、どうしたらいいのか分からなくて……」
「とりあえずリビングに行こう。話はそこで聞くからさ」
「は、はい……」
ふらふらと歩くリリィの肩を支えようと手をやると、彼女の身体は震えていた。
今は俺が目の前にいるせいで我慢しているのかもしれないが、内心は不安で仕方ないはずだ。電話越しで聞いた声がそれを物語っている。去り際に鏡を見るが様子は今までと全く変わらず、光を浴びて鈍く光るのみだった。
リビングにリリィを座らせて、とりあえず落ち着かせることにする。力なく倒れこむ彼女の様子から、早退したのは正解だと確信した。今彼女は“異世界”にたった一人きりなのだ。だから俺が彼女を支えてやらないといけない。
そう、アストリアに来たばかりの貴虎を支えてくれたリリィのように。
しばらくリリィは何も話さず、ただじっと俺が置いた紅茶を眺めていた。俺も催促することはせず、ただ彼女の向かいに座る。
正直、どうしてリリィがアストリアに帰れなかったのかは見当もつかない。彼女は自分の意志でこの世界に来たはずだ。だから帰るときも自分の意志で帰れると思っていた。
おそらくそれは目の前の彼女も同じ意見だったはず。だからこそこんなにもショックを受けているのだから。
「…………ありがとうございます、虎鉄」
「別に気にすることじゃない」
「虎鉄は、優しいんですね」
「優しいっていうか、あんな電話受けたら誰だって心配になるさ」
「いざという時のための連絡手段、教えて貰って正解でした」
リリィは冷蔵庫に貼ってあるメモ紙を指差す。そこには俺のスマホの番号が書いてあった。俺がいないときに万が一の事があった場合の緊急手段。
すぐに帰るリリィには必要ないと思っていたが、念のために教えておいて本当に良かった。もしこれがなかったらと思うと、生きた心地がしない。
「一応ってことで教えておいて正解だったよ。で、アストリアにはその……帰れなかったんだな」
「…………はい、駄目でした。何度やってもあの鏡が反応してくれなくて。こちらの世界に来るのと全く同じやり方でやったのですが、全く効果がないみたいです」
「一体何がどうなってるんだ?」
「分かりません。もしかしたら、ですが」
「もしかしたら、なんだよ?」
「魔力が、足りていないのかもしれません。この世界のマナはアストリアに比べてかなり薄いですから。前にもお話したかもしれませんが、私たちエルフ族の魔力の根源はマナなんです」
「じゃあそのマナが足りないから、リリィはアストリアに帰れないってことか」
「これはあくまでも仮定の話です。原因は別にある可能性もありますから。あくまでも可能性の一つということです。でも、今のところ原因はそれくらいしか思い浮かばないですし……」
リリィは難しい顔をして考え込んだ。先程と比べて少しは落ち着いたようだ。やはり一人で悩むより誰かと話した方が安心できるに違いない。その相手が役立たずの俺だとしても、だ。
「そのマナっていうのはどうすれば回復、っていうか増加?するんだ」
「本来は魔力を放つものがあればそこから吸収できますけど、この世界にはありません。だから自然に回復するのを待つしかないですね」
それは至極当然の答えだった。ということは、リリィはまだこの世界にいなければならない。つまり俺の非日常はまだ続くということだ。
「まあ、安心してくれよ。この家は自由に使ってもらって構わないし、俺もリリィの魔力が回復するまで出来るだけのことはするからさ」
「でも虎鉄にそんな迷惑を掛けるわけには」
「何言ってんだよ、じいちゃんだって今の何倍もリリィたちに世話になったんだろ?」
自分でも珍しくテンションが上がっているなと思った。
リリィは目の前でこんなに困っているのに俺はそれを喜んでいるような気がする。もう終わってしまったと思っていた日々がまだ続く。
それが何故だがとても嬉しいと、そう感じてしまう。
「それはそうかもしれませんが……」
「だったらお互い様だって」
「……ふふっ」
「どうした?」
「いえ、本当に虎鉄は貴虎そっくりだなと思ったんです。言い出したら聞かないところも、心配性なところも。それにとっても優しいところも、ね?」
それは俺に向けられた笑顔だったけれど、今の俺にそれを受ける資格はないと思った。本当の俺の姿を知ったらリリィは幻滅するのだろうか。それまで喜びで一杯だったはずの心に、少しだけ影が差す。
「……俺は、そんなにじいちゃんに似てないと思うよ」
「そんなことはありません!ずっと貴虎と一緒にいた私が言うんですから。あ、でも」
「でも?」
「料理の腕前は虎鉄の方がずっと上ですけどね?」
「はは、なんだそりゃ」
くすくすと笑いあう俺たち。こんなに誰かと会話をしたのは華以外では本当に久しぶりのことだった。リリィの魔力が戻るのはいつになるのか、それは分からない。
でも今はこうして笑い合っているだけで幸せな――
「あ、そういえばその荷物はどうしたんですか?行くときには持っていなかったと思いますけど」
「…………あ」
――幸せ、だけじゃ解決しないこともある。俺はまだ目の前に解決しなければならない大きな問題があることに、今更ながらに気が付いた。
翌日の朝。
俺たちはいつもよりもかなり早い時間に学校に着いていた。今までこんなに早く学校に来たことが無かった為、静まり返る校舎にどこか新鮮さすら感じる。
もう少しすれば朝練が始まって、学生たちの賑やかな声が聞こえてくるだろう。つまり今のこの静けさは早起きしたものにしか味わえない、特別なものなのだ。
「わぁ、これがこの世界の学校なんですね」
と、まあ現実逃避はこのくらいにしておこう。
電車の中でも通学路でも、ちらちらとこちらを、正確には横ではしゃいでいるリリィを見る人の多さにいい加減うんざりしてきたところだ。確かにこんな制服姿の金髪美少女が歩いていれば、目を奪われるのも仕方ないとは思うが。
「おいリリィ、勝手にどこか行くなよ」
「分かってますって。子ども扱いしないでください!こう見えても向こうでは優秀な成績で学校を卒業してますから」
リリィから聞いた話だが、じいちゃんの時もこんなことがあったらしい。
急に異世界に来た来訪者を受け入れるように、周囲の認識が少しズレる。まるで最初から来訪者がいたかのように事実が改変される。
それがリリィにも表れた、ということらしい。
「……正直、まだ俺はこの状況を受け入れられていないけどな」
「分かります。私も貴虎が自然とヒュームとしてアストリアに馴染んでいった時は驚きましたから。でもこれは世界の調和の為に、起こる必然のようなんです」
「まあ確かにウチの両親もまるで当然みたいに“親戚みたいなものなんだから仲良くしてやれよ!”とか言ってたしな……」
にわかには信じられないが現実そうなっているのだから仕方ない。
昨日の夜、慌てて親父に確認した答えはそれだった。どうやらリリィは親父たちが冒険している時の冒険仲間の一人娘、ということになっているらしい。
そして身寄りが居なくなってしまったリリィを親父たちが一時的に引き取った、と。何とも強引な辻褄合わせではあるが。
「実際こうやって編入の手続きが出来ちゃったんだから、受け入れるしかないよな」
「ふふっ、これからよろしくお願いしますね虎鉄」
くるっと回るリリィはまるで妖精のようだ。ひらりと浮かぶスカートも良く似合っている。
『遠い親戚かなんだか知らないけどな、行くときはしっかり行けよ。君は奥手だから私は心配なんだよ、ふふっ』
職員室から出るときに言われた、杠先生の言葉が頭から離れない。くそ、あの悪徳教師め。
わざと俺たちを同じクラスにしやがったな。親戚とか、同じ家に住んでることは秘密にしてくれるそうだがそれもその方が面白いからだろう。
こないだは良い先生と言ったが、前言撤回。あの人はただ面白がっているだけに違いない。
「虎鉄、どうしました?難しい顔して」
「いや、別に。さてどうしようか。正式な編入は明日からだし、今日はもう帰ってもいいって言われてるんだよな」
「えっと、それって私だけですか」
心配そうな表情で俺を見つめるリリィ。これを天然でやっているとしたら相当なジゴロだろう。流されそうになるところをグッと腹に力を込めて我慢する。
こんな美少女と毎日一緒に暮らすとか、俺のメンタルは果たしてもつのだろうか。
「心配するなって。ちゃんと俺も休みにして貰えたからさ。今日は一緒に帰って明日の準備とか色々やろうな」
「はい、ありがとうございます!」
実際は仮病を使うわけだが仕方ない。
事実、リリィには教えなければいけないことが山ほどあるのだから。というか彼女は果たしてこの学校の勉強についてこれるのだろうか。
アストリアとこっちじゃそもそも勉強とかも全く違うだろうし。今更ながら心配になってきたぞ。
「とりあえず急いで帰るか。本当に教えなきゃいけないことがたくさん――」
「虎鉄」
「ん?…………あ」
面倒ごとっていうのは重なるもので。
振り返った先には声の主が、どうやらかなりご機嫌斜めな様子で立っている。そういえば俺、昨日も結局スマホを確認してなかったような。
「おはよう、虎鉄?」
「お、おはよう」
そして昼休みにそのまま早退したからいつもの約束をすっぽかしてしまったような。
ついでにこないだのお詫びで確か昨日の放課後にパフェを奢る約束をしていたような。
「色々聞きたいことはあるけどね」
「は、はい」
「とりあえず…………その子、誰?」
厳しい口調でリリィを睨みつける華の表情から、俺は早くもこれからの学校生活が大変なことになるような予感を覚えるのだった。