4話「70年ぶりの再会と、再会」
じいちゃんの墓を訪ねるのはかなり久しぶりのことだった。
小さい頃はよく両親と一緒に墓参りをしていたはずなのに、いつの頃からだろうか。段々じいちゃんのところに行くのが後ろめたいような恥ずかしいような。そんな気持ちを持ち始めてからはなるべくじいちゃんの墓参りには行かないようにしていた。
「お、合ってたな」
電車を三本ほど乗り継いで約1時間、県の外れの方にこっそりとじいちゃんの墓はあった。
おぼろげな記憶ではあったがいざ目的地が近くなれば間違いないと確信できる。どうやら俺の記憶力もまだまだ捨てたもんじゃない。
「この先がじいちゃんの……えっと貴虎の墓だよ」
「……はい」
リリィ・アルフォートは俺の数歩後を恐る恐るついてくる。その表情は昨日見たよりも少し不安げだった。それでもついてくるあたり、彼女もはっきりさせたいのだと思う。
「アストリアには墓参りっていうのはないんだっけ」
「ええ、私たちの世界では生き物は死ねば消えて、空気中にあるマナの一部になります。だから肉体が残ることもありませんし、それを埋めるという習慣もありません」
「確かそのマナってやつを使ってリリィさんたちエルフ族は魔法を使うんだろ」
「よくご存じですね。その通りです、どうやらこの世界では極端にマナが少ないせいか私も上手く風魔法を使えませんが。マナは私たち生きとし生けるものの源であり、生と死を繋ぐものなのです」
そう言ってリリィ・アルフォートは胸の前で小さく祈りのポーズを取った。
彼女の言っていることはじいちゃんの本で読んだ知識でしか知らないから、正直言われてもピンとこない。
「じいちゃんの本に、書いてあったから」
「貴虎の本に……」
「ああ」
「そう、ですか。確かに、書いてありましたね」
それでも俺がこうして彼女と会話できるのはじいちゃんのおかげだ。
じいちゃんがアストリアのことを伝えてくれていたから。物語を書いてくれたからこそ、こうして俺たちは辛うじて意思疎通ができる。
「この世界では死んだ者は皆、こうして土に埋められているのですか」
「どうだろう。さっきも話したけど本当に身体が埋まってるわけじゃないんだ。火葬っていってさ」
自分でも拙いと思う知識を、それでも精一杯リリィ・アルフォートに説明する。彼女もそんな俺の下手な説明を一生懸命聞いてくれるのだった。
「……そうですか。たとえ一部だとしても、その人の証が残るというのは私たちからすれば異質ではありますが、素敵なことだと思います。大地と共に暮らす貴方たちヒュームの文化には、度々感銘を受けることが多いです」
「俺も詳しいことは分からないけど……あ、ここだな」
少し奥まった方にじいちゃんの墓はあった。
一年に一度は両親が手入れしてくれているおかげで、小奇麗な墓石に“天草貴虎”と刻まれている。
「これが、貴虎の……」
「まずは手入れをするんだ。亡くなった人を想ってさ。それから花を……本当にそれで良かったのか」
「はい?」
俺はリリィ・アルフォートが持っている色とりどりの花束に目をやる。
「さっきも言ったけど、この世界では白い菊が一般的な献花なんだけどな」
「それは聞きました。虎鉄さんの言う通り、本当なら風習に従いあの花を選ぶべきだったのかもしれません。でも……」
「でも?」
「貴虎が好きな色だったんです。色んな種類の花が咲き乱れる、私の故郷を彼は“奇麗だ”と言ってくれた。だから、せめて彼の好きだった花を添えたくて。駄目、ですかね」
「……いいんじゃないか。きっとじいちゃんも喜ぶと思うよ」
確かに本来ならば彼女の選んだ花束はこの場には相応しくないのだろう。それでもこうして隣に立てば嫌でも分かるじいちゃんへの強い気持ちに、駄目なんて言えるはずもなかった。
「ありがとう、虎鉄さん」
「虎鉄、でいいよ」
「え?」
「呼び捨てでいい。じいちゃんが世話になったみたいだし、さん付けはなんか調子でないからさ」
俺がぶっきらぼうに言うと、リリィ・アルフォートは一瞬驚いたような顔をした後クスクスと笑った。
「ふふっ。それじゃあ私のこともリリィと、そう呼んでください」
「分かったよ、リリィ。それじゃあ始めようか」
「はい」
それから俺とリリィは短くない時間を掛けて、じいちゃんの墓を奇麗にした。
キラキラと輝く金髪をなびかせながら一生懸命掃除するリリィはこの場にミスマッチなはずなのに、何故か絵になった。きっと彼女は色々な想いを巡らせながら掃除をしているに違いない。
時折リリィが見せる寂しそうな表情を見る度に、それを痛感する。しばらくして作業が終わってから、俺はリリィに声を掛けた。
「じゃあ、俺はちょっと離れてるよ」
「え、でも一緒に会いに来たんじゃ」
「二人きりで“話したい”こと、沢山あるだろ?終わったら声掛けてくれよ。その辺にいるからさ」
「……うん、ありがとう虎鉄」
カラフルな花束を大事そうに抱えながら、リリィは深々とお辞儀をした。
「じゃあごゆっくり」
一体どんな気持ちなのだろう。幾多の苦労を乗り越えた戦友が自分の知らない間に死んでしまっている、そんなリリィの気持ち。
不慣れな異世界で唯一の友を亡くしてしまった彼女の気持ちは、きっと彼女にしか分からない。だから俺に出来ることは遠くから見ていることだけ。あくまでもこの話は俺のじいちゃんとリリィの物語なのだから。
俺はただの案内役でしかない。
空が茜色に染まるころ、ようやくリリィは俺のところへ戻ってきた。
リリィは長すぎたとかなり畏まっていたけれど、俺は気にしないで欲しいと言った。むしろ70年ぶりの再会なのだから、数時間程度では到底時間は足りないはずだ。
「だからもう気にする必要ないって。それにさ、じいちゃんもリリィに会えて嬉しかったと思うよ」
「……貴虎は、ある日突然消えてしまったんです。アストリアが平和になってすぐのことでした。私も仲間も大陸中を駆けずり回りましたが、結局見つけることは出来ませんでした」
「そうだったんだ」
それはアストリア大陸記には書いていなかった、その先の物語だった。夕日に染まる坂道を、俺はリリィの歩幅に合わせてゆっくりと歩いていく。
「アストリアでは死ぬと身体は消えてしまうんです。だから探した者の中には貴虎は死んだのではという者もいました。だけど私は、信じていました。貴虎は絶対に死んでなんかいないんだって」
「きっとさ、じいちゃんは突然元の世界に戻って来たんだよ。アストリアに行ったときと逆みたいにさ。だから皆に別れを言う暇もなかったんだと思う」
「そうですね。それが分かっただけでも、この世界に来た意味はありました。貴虎が冒険の間ずっと話していた、この世界。私もきっと貴虎は元の世界に戻ったんじゃないかって、そう思っていたんです。彼と別れてからの3年間、どうにかしてこの世界に来れないかと……そればかり考えていましたから」
そう話すリリィの横顔はとても寂しそうで、辛そうだった。
きっとあの鏡はこの世界と異世界を繋ぐ役割をしていたのかもしれない。リリィは何とかしてこの世界に来れないか試行錯誤して、とうとう来ることに成功したんだろう。
「俺は、リリィに会えて良かったよ」
「私に?」
「心の何処かでさ、もしかしたらじいちゃんの話は本当なんじゃないかってずっと思ってたから。だから嬉しい、かな」
「……こうして話していると、分かります」
「何が?」
リリィは立ち止まって、振り返る。燃えるような夕日に照らされて彼女の金髪が輝いている。吸い込まれそうな緑色の瞳は、真っ直ぐ俺を見つめていた。
「貴方は、虎鉄は確かに貴虎の家族です。その優しさで、きっと多くの人を救ってきたんでしょうね。私には、分かります」
「俺は…………」
リリィの言葉が胸に刺さるようで何も言えなかった。俺は彼女が思うような高尚な人間じゃない。じいちゃんみたいな勇敢さも優しさもない。きっと本当の俺を見ればリリィもたちまち幻滅するだろう。
『この嘘つき野郎!』
『媚ばっか売ってんじゃねえよ、偽善者が!』
脳裏に蘇る罵声は決して消えることなんてない。
俺は、俺は最低な屑人間なんだ。正義から、正しいことを貫くことから逃げ出してしまったんだ。でもそれを今リリィに告白したところで、彼女を困らせてしまうだけだろう。
「虎鉄?」
「……帰ろうか、リリィ。すぐにアストリアに戻るのか?」
「あ、いえ。今日は休んで、明日来た時と同じ儀式をしてあの鏡から戻ろうと思います」
「じゃあ今日もウチに止まっていきなよ。またじいちゃんの話を聞きたいな。報酬は……俺の不器用な手料理ってことで」
「ふふ、いいですよ。よく考えれば昨日から何も食べてないですし、この世界の料理も気になりますから」
一瞬流れた気まずい空気を誤魔化すように、俺は作り笑いを浮かべる。
きっとこれは夢だと思うから。現実に生きるのに疲れた俺が見ている、ただの幻想。明日になればリリィは異世界に帰っていく。そうすればもういつもの日常に元戻りなのだ。
リリィが異世界に帰ったら、あの鏡は割ってしまおう。もうこんな楽しくて幸せで、現実に戻るのが辛い夢を見ないように。