Tips「莉々亜のイチオシトレンド!第36回」
アストリア大陸記。
知る人ぞ知る、戦後間のない頃に発行された異世界転生系小説だ。今では大流行している異世界転生というジャンルも当時はまだ物珍しく、あまり話題になることはなかった。
内容としては戦後間もない混沌の中を生きる少年、天草貴虎がある日突然事故に巻き込まれ、異世界であるアストリア大陸に転生しそこで仲間と共に大冒険を繰り広げるという、オーソドックスなものだ。
アストリア大陸という空に浮かぶ大地には四つの種族、ヒューム、エルフ、ドワーフ、マーマンが住んでおりそれぞれの領土で生活している。突然異世界に現れた貴虎はエルフ族の少女、リリィ・アルフォートと偶然出会い、そこから彼らの冒険が始まる。
今ではどこかで聞いたことがあるようなこの冒頭も、当時は物珍しかったようだが万人受けはせずそこまで話題になることはなかった。
それがこの空前の異世界転生系小説のブームで、どこかのマニアがこの“アストリア大陸記”を発見しネットで密かなブームを巻き起こしているらしい。
随分前に発行された本、そして発行会社も今は倒産してしまっており、現在入手するのはかなりの困難を極めるという状況もマニアのコレクター精神をくすぐり余計に入手困難になっている。
気軽にオークションサイトで検索しようものなら数万から状態が良いものであれば数十万という値段に、そっとブラウザバックするに違いない。
それならば再出版をすれば良いのだろうが、生憎既に作者は亡くなっており関係者とも連絡が取れないらしく今ではマニアの中ではちょっとした伝説になっているのだった。
「――で、そこにある……莉々亜ちゃんが持っているのがその“アストリア大陸記”ってこと?」
少し髪の薄い司会者は興奮した面持ちでつい一秒前まで熱く説明していた少女、神崎莉々亜に問い掛けた。
神崎莉々亜、最近テレビや雑誌に引っ張りだこの現役女子高生タレントだ。淡い桜色のグラデーションカラーの髪の毛が印象的で、中高生の女子にかなりの支持を受けている。歌やモデル、演技やバラエティまで卒なくこなすバイタリティは大人顔負けものだった。
そして今や彼女は平日の情報番組に自分のコーナーまで持つほどの影響力を持っている。このコーナー、“莉々亜のイチオシトレンド!”はそんな彼女が今ハマっているものをジャンル関係なく、毎週紹介していくというものだった。
「そうなんですよ!これ、実は偶然ウチの倉庫にずっと眠ってたんです!私もこないだ帰った時に偶然見つけて!たまたまネットで名前くらいは聞いてたから、本当にビックリしましたよー!」
莉々亜もまた、興奮気味に自分が持つ本の希少さをアピールする。
ほうほうと、それまで全く興味がなさそうだった他のゲストたちも莉々亜の持つ本に興味津々だった。気が付けばスタジオ全体が莉々亜の話に耳を傾けている。
これが彼女の持つ不思議なオーラの為せる技だった。カリスマ性、という言葉が一番しっくりくるのだろう。僅か高校生でここまでの人気を勝ち得る彼女はやはり只者ではないと、周囲の誰もが再認識する。
「特にこの本のヒロインなんですけど、それはもうめっちゃ可愛くて!しかも名前がリリィって言うんですよ!」
「リリィって、なんか莉々亜ちゃんに似ているね!」
「あ、やっぱりそう思います!?私もそれでこの子に親近感?みたいのが湧いちゃって!それからはもうリリィちゃん推しで一気に読んじゃいましたぁ!」
弾ける笑顔を振りまきながら、今日も莉々亜はお茶の間に、世間に自分という存在をアピールしていく。小さい頃から芸能界で鎬を削ってきた彼女にとっては当たり前の日常だった。
世間は急に出てきたバラドル、くらいにしか思っていないのかもしれない。しかし神崎莉々亜にとってはこの場所こそが自分の生きる場所なのだ。
「そうなんだ!でもその本、中々手に入れられないんじゃないの、今は」
「そうなんです。本当はもっとたくさんの人に読んでもらいたいんですけど、さっき説明した事情もあってすぐには再販出来ないみたいなんですよね……」
「えー!?それじゃあ今日紹介しても、僕たち読めないじゃないの、その本!」
「……あー、そうですよね!すいません!」
会場がドッと湧いて、莉々亜も同じように笑う。モニター越しに頷くプロデューサーの様子を見る限り、概ね満足のようだった。
むしろ会場の誰もがこの若さでよくここまで毎週、場を盛り上げられるなと感心しているくらいだ。
「はは、まあそのアス……なんだっけ莉々亜ちゃん?」
「アストリア大陸記、です!」
「ああ、そうそう。アストリア大陸記が早く僕たちも読めるようになると良いね!で、そんな莉々亜ちゃんは来週からまたドラマかな?」
「はい、そうなんです!このアストリア大陸記ではファンタジーの世界を駆け巡る主人公たちの冒険譚を楽しめるんですが、私が今度出させてもらうのは180度違って――」
司会者のあからさまな振りに応えるように、莉々亜は番宣をすらすらと話していく。何度も練習しただけあって淀みなく、そして早口でもない。聞く方がちょうど良いように計算された、完璧な喋りだった。
勿論これは天性のもの……な訳はない。けれどそんな血の滲むような努力を全く感じさせない、自然な雰囲気を莉々亜は作り出していた。
「――はい、それじゃあ今日のコーナーはここまで!今日もありがとうね、莉々亜ちゃん!」
「こちらこそ、ありがとうございました!それじゃあまた、第37回でお会いしましょう!神崎莉々亜でしたー!」
◇◇◇
「……これってそんなに珍しい物だったのか」
早朝のリビングで、俺はぼーっとテレビを見ていた。
結局リリィ・アルフォートの一件で殆ど眠りにつくことが出来なかった俺は、何度目か分からないアストリア大陸記を読み返していた。
所々新しめのしわが出来ているのはきっとボロボロだから、だけではない。昨日泣きながらこの本を読んでいたリリィ・アルフォートの気持ちは俺には分からない。
ただこの本がここにあって本当に良かったと、そう思うのだ。もし今テレビでやっていたことが本当ならば、アストリア大陸記を手に入れるのは相当難しいということだ。これがなければもしかしたらリリィ・アルフォートを納得させるのは難しかったかもしれない。
それを考えると、俺がこの本を大事に持っていたことにも意味があったのかもしれない。
「神崎莉々亜……」
ふと、テレビに映る芸能人に目が行く。桜色の髪に整った顔立ち、今流行りの人気タレントだ。雑誌やCM、電車広告などでよく見る。だからだろう。
「……なんか、どこかで会ったような気がするんだよな。いや、あり得ないけど」
そんなことあるはずがないと、一度大きく首を横に振る。
おそらく寝不足で思考回路が鈍っているのだろう。俺は一度顔をしっかりと洗ってから、今日の準備を始めるのだった。