Tips「追想」
長い紺色の髪をかき上げて、ルイ・シノノメは最後のひと吹きを終えた。
目の前にある墓石は夏の日差しに照らされて、眩しいくらいに輝いている。虎鉄に教わった通り、墓前に献花をして両手を合わせる。
周囲には誰もいない、ただ蝉がうるさく鳴く声だけが広がっていた。ルイはゆっくりと目を閉じて、もうここにはいない“弟子”へ語りかける。本当は直接話したかった、でももう叶うことが無い願いと共に。
◇◇◇
「腕を上げたな、貴虎」
「上げたって……それでもまだルイには遠く及ばないかぁ」
「当たり前だ。私を誰だと思っている?」
「はは、やっぱりルイに稽古つけてもらって正解だったな……でもちょっと休憩」
ボロボロになりながら、貴虎はもう勘弁といった表情をしながらその場に倒れこんだ。
ルイはいつものように貴虎を注意しようとして、思い止まった。特訓を始めてからもう何日たったのだろう、少なくとも常人にはついてくることすらままならない鍛錬を、それでも貴虎はこなして見せたのだ。
それは今まで歴代のヒュームの中でも最強と言われ、異種族からは化け物扱いすらされていたルイにとってとても新鮮なものだった。
「……まあ、少し休憩するか。あまり続け過ぎても効果は薄くなるというしな」
「あれ、珍しいな。ルイが自分から言い出すなんて。いつもはすぐに“この、未熟者”とか言って怒るのに」
「お望みならばそうしようか?」
「すいません、もう限界なんで休ませてください」
「最初からそう言えばいいんだ、全く」
「悪い悪い。でも、見てみろよ。奇麗な星空だ」
「星空、か」
貴虎は仰向けになりながら空を眺めている。そんな貴虎の横に座り込みながら、ルイも夜空を見上げた。そこには満天の星空が広がっていた。
アストリア大陸に生きるものならば皆が眺めたことがある、その景色。
ルイにとっては当たり前の光景も、貴虎は奇麗だという。異世界から来たという彼にとっては、この世界の目に映るもの全てが新鮮に見えるのだろう。
そしてルイにとっても、貴虎との出会いは彼女の人生を一変させるものだった。
「ありがとな、ルイ」
「ん?」
「わざわざ付き合ってくれて。これで俺も皆を……リリィを守れるから」
貴虎の目には確かな決意とも思える光があった。貴虎がここまで過酷な訓練についてくるのはリリィのため。そんな分かり切ったことを改めて感じたルイは、どうしても考えてしまう。
もしリリィの立場が、自分だとしたら。それでも貴虎は今と同じように自分の為にここまでやってくれていたのか、と。
もしもの、可能性の話なんて考えてしまってはキリがないはずなのに、貴虎の横顔を見る度にルイの頭にはそんな考えが浮かんでしまうのだ。
「……なあ、貴虎」
「ん、どうした?」
「……いや、なんでもない」
「なんだよ、それ」
聞こうとして、やはり聞くのはやめた。
今そんなことを聞いて貴虎のやる気を削いでしまっては元も子もないからだ。訝しける貴虎に、ルイはなるべくいつも通りの表情を作る。
「この戦いが終わるまでに、貴虎が私を越えることはあるのかなと思ってな」
「あー、それはどうだろうな。意外といけるかも。だって俺、上達早いしな」
「それは自分で言う事じゃないだろう?」
「でも事実、だろ?」
今までこんな風に対等に誰かと話すことなんでなかった。だから貴虎の態度は新鮮で心地よくて、でもなぜか時々胸が痛くなる。
「じゃあ、改めて勝負するか。この戦いが終わったら」
「お、いいね。じゃあその時は勝った方が負けた方に何か一つお願いできる、っていうのはどうだ?」
「ふん、別に私は構わないぞ?どうせ貴虎が負けることになるんだからな」
「あ、言ったな!今の台詞、覚えておけよ!」
満天の星空の下で、ルイは約束をした。
そしてもし、自分が勝ったならば誰も話したことが無いこの心の内を、貴虎に話してもいいと思った。
けれど、結局その約束が実現することはなかった。
なぜなら貴虎はある日突然、アストリア大陸から姿を消してしまったのだから。
◇◇◇
「……この嘘つきが」
ルイは墓前で誰にも聞こえないように呟く。
ゆっくりと目を開けるとそこには確かに“天草貴虎”と書かれた墓石があった。それは紛れもなく現実のことで、もうこの世に貴虎は居ない。
「受け入れたつもりで、いたんだけどな」
あの日、この世界に来てリリィから大体のことは聞いた。その過程で、涙ながらにリリィは貴虎の死を教えてくれた。リリィが泣いているのを見て、不思議と落ち着いて話を聞くことが出来た。
なんだかんだ言って、やはり自分は冷たい奴なんだと思っていた。
しかし――
「……この、馬鹿弟子が。先に、逝くなんて……」
頬が熱くなるのを感じた。ぽろぽろと瞳から涙が流れるのを、止められない。
一人になって、貴虎の墓標を見て、ようやくルイは彼の死を、もうこの世にはいないことを思い知るのだった。
日が傾くまでルイはその場を離れなかった。
寺の住職に声を掛けられて、ようやくルイは立ち上がる。住職に軽く礼を言ってから、ルイは改めて貴虎の墓前に向き合った。
「……虎鉄は、本当にお前にそっくりだよ。生意気なところも、不器用なところも。それに何事も熱いところもな」
虎鉄を見た時、やっと貴虎に会えたと思った。
その割には剣の腕がさっぱりだったので何かがおかしいとは思ったが、まさか子孫だったとは。
「あいつは、きっと強くなる。この世界の強さがどんなものなのか、私には分からないが虎鉄ならきっと大丈夫だろう」
墓石は夕日で真っ赤に染まっていて、相変わらず蝉の鳴き声だけがうるさく響いている。
「だから……安心して眠っていてくれ。じゃあな、貴虎……楽しかったよ、本当に」
それだけ言ってルイは、静かにその場を立ち去った。
残された貴虎の墓前には、ルイが供えた真っ白な花が静かに揺れていた。




