22話「幻の一撃」
俺はもう一度先程と同じ構えを取る。俺を睨みつけていた高野も構えを見て、慌てて距離を取った。
周囲も俺の一本を見てから不思議なくらいに静まり返っている。他の試合会場での応援の声がこちらに聞こえてくるほどの静けさだった。
『上手く一本が取れれば、後はこちらの流れだ。格下に見ていた者からの予想外の一撃。間違いなく相手は動揺しているだろう。その見下しが強ければ強いほど、相手はガタガタになる。そのまま不用意に近付いてきたところを、もう一太刀』
「く、くそがっ……!!」
傍から見ても高野は明らかに動揺していた。
近づこうにも先程の一撃が頭をよぎるのだろう、さっきまでもキレはどこへやら。その一打一打には全く力が入っていないようだった。元々剣舞で使う竹刀は通常の剣道で使う物の、半分くらいの長さしかない。
だからこそこの状況で高野が俺から一本取るには、面が届く位置まで踏み込んでくるしかないのだ。しかしそれは先程と全く同じ状況になるということ。
今の高野にはそれが、出来ない。
『浴びせてやればいい。この一週間、お前が磨いてきた“断風”を』
「はぁはぁ……」
「なんで、お前なんかに……!」
この体勢を維持するのは正直かなりの集中力がいる。
けれど高野の様子からしてもう数十秒もすれば痺れを切らして飛び込んで来そうだった。それくらいならば何とか維持できる。じりじりと高野は間合いを詰めてくるが、先程までの覇気は全く感じられない。
そして我慢できなくなったのだろう、一歩を踏み出そうとして――
「しっかりしなさいよっ!!!!!」
体育館中に響き渡る声によって、その無謀な一歩は阻止された。
甲高い女子の声、思わず俺も高野も、会場中の皆が声のする方を見る。そこには右腕にギプスを嵌めながらも精一杯声を出したであろう女子の姿があった。
「り、凛子……」
「凛子?」
高野から漏れたその名前に、聞き覚えがある。
確かハンドボール部の部長で、今回青春同好会に代行をお願いした張本人、青山凛子。萌子からの情報が間違っていなければ青山は俺たちの見方で、高野の敵のはず。なんなら今回の代行の原因はこの二人の喧嘩だって、萌子は言っていた。
しかし当の本人である青山は小さく震えながら顔を真っ赤にしている。それはまるで負けてほしくないような、必死に応援しているような。そんな表情だった。
「一本取られたくらいで何ひよってんのよ!!あんたはそんな繊細じゃないでしょうが!?」
「は、はぁ!?こっちの気も知らないで勝手なこと言ってんじゃねえぞ!お前に俺の何が分かるって言うんだよ!!」
売り言葉に買い言葉、周囲の視線そっちのけで二人は大声で喧嘩を始める。
「分かるよ!!だって、だって……私はあんたの幼馴染なんだからっ!!昔からずっと見て来たんだから、あんたのこと!!だから、だからそんな情けない姿見せてんじゃないわよ!!」
「……青子」
「いつもみたいに、いつもみたいに無神経で能天気で……格好いいあんたでいてよっ!!」
それは心からの叫びだった。気が付けば他の会場も全て試合を止めて、二人のやり取りを見守っている。
まるで青春ドラマみたいに、高野と青山の周囲に謎のキラキラしたものが舞い散っているような気がしたのは俺だけだろうか。
「……本当にうるせえな、このブス!」
「は、はぁ!?私が折角――」
「ちゃんと勝つからさ、見てろよ」
高野はさっき俺が奴にしたように、青山に竹刀を向けて勝利宣言をした。
「……うん!」
「よし、やるかっ!」
まるで憑き物が落ちたかのように、面越しでも分かる高野の表情。もう先程までの不安はどこにもないようだった。
そして――
「こ、これは凄い!まるで青春漫画の1ページのようですっ!!これぞまさに青春ですっ!!」
「あー、これ見たことあるな。そうだ、こないだやってた恋愛アニメの――」
「いいぞ雄介―!!しっかり勝ってさっさと青山さんに告白しろぉぉぉぉお!!」
「リア充爆発しろぉぉぉぉぉお!!!」
「高野君、後一本だよ!!絶対勝ってー!!」
会場のボルテージが一気に爆発した。まるで青春漫画の主人公かの如く爆誕した高野を誰しもが応援している。まさに今、会場の意志が一つになっていた。
(な、なんでいつの間にか悪役になってんだよっ!?)
勿論、俺を除いてだ。
俺は何も悪いことなんてしていないはずなのに、いつの間にか悪役ポジションになっていた。しかも依頼主であるはずの青山に裏切られて。ずっと構えを解かずに惚気話を最前線で聞いていた俺の気持ちにもなってほしい。
しかし現実は非常なもので、高野は息を吹き返したように俺に向かってきた。
「いくぜっ!」
「おいおい……」
大声援の中、高野は冷静に間合いを詰めてくる。先程とは違い、じっくりと俺の一太刀を見切って反撃を入れるつもりだろう。きっと本来ならばここで負けた方が良いに違いない。
なぜならもう高野と青山のわだかまりは無くなっているようだからだ。俺は十分やった。一本を取り返したしその結果、青春ドラマみたいなものが始まって二人が仲直りしたのだから。
だから本当ならば素直に一本取られた方が良いのだろう。……が。
「絶対負けねえ……!」
この一週間、地獄のような特訓の結末がこんな青春ドラマの出汁に使われるだけなんて、あんまりじゃないか。俺は勝つ、勝って現実は甘くないということをこの会場中にいる青春馬鹿野郎たちに思い知らせなければならない。
「……来い」
一度深呼吸をして、もう一度高野を見つめる。大歓声の中、高野はゆっくり息を吸って――
「うおぉぉぉぉお!!」
一気に間合いを詰めてきた。さっきと変わらない上段を、俺は見逃さない。
スローになる時の中で俺はもう一打、全身全霊を込めて“断風”を高野の胴目掛けて打つ。しかしそれを高野は直前で竹刀を盾に流した。
「なっ!?」
化け物レベルの反射神経。あえて俺に胴打ちを誘って竹刀を差し込む。そして思い切り竹刀を上に弾いた。俺たちはお互い仰け反りながら、天を仰ぐように体勢を大きく崩す。お互いに胴はがら空き、先に体勢を立て直した方が勝利を手繰り寄せる。
そして本来ならばそれは運動神経、反射神経や体幹などが優れている高野が圧倒的に有利だったに違いない。
ただし――
『“断風”は必殺技だ。則ち、必ず殺す技。だからこそ横の胴薙ぎが防がれることを想定している。そのまま崩れた体勢から今度は大きく右足を踏み込みながら相手の水月、言うなれば鳩尾部分を突く。これが“一閃”。相手を殺すまで決して手を止めない、これが必ず殺す技“断風一閃”。私が誇る東雲流剣術の初歩だ。とりあえずここまで覚えておくといい。万が一、ということもあるからな』
俺は心の中でルイに最大限の感謝をしながら、そのまま思い切り右足を前に踏み込む。
「あ、まくさ……!!」
「うおぉぉぉぉお!!」
そして一閃を高野に叩き込んだ……はずだった。タイミングも姿勢もほぼ完璧。血の滲むような特訓の成果だった。
ただ一つ読み切れなかったとすればそれは……竹刀の耐久度だった。
「な、に……」
俺の一撃は、高野には届かない。
届くはずの剣先はぽっきりと折れていて、ギリギリ胴には当たっていなかった。おそらく先程のぶつかり合いで折れてしまったに違いない。
そして数秒間の静寂の後、高野の胴打ちが小気味よい音と共に俺の胴を捉えた。
「赤、一本!!勝者、サッカー部!!」
「き、決まりました!!最後はサッカー部、高野選手の鮮やかな胴打ちです!」
「まあ天草も惜しかったが、やっぱり青春には勝てないよ」
大歓声の中、俺の戦いは終わった。僅か数分の出来事が、俺には何時間にも感じられた。俺は、負けた。結局あの一打は幻の一撃になってしまった。
「お互い、礼」
「……あ、あのさ――」
「おめでとう、雄介っ!!」
高野は何かを言い掛けていたが、駆け寄ってくる仲間にかき消された。どうせ嫌味の一つでも言おうとしたのだろう。
「……っ!」
手首の痛みを覚えた俺はそのまま逃げるように保健室へ向かった。結局俺は主人公にはなれなかった。でも不思議と悔しくはない。何かを全力でやったのがあまりにも久しぶりだったから。
だから今はこの達成感を一人でゆっくりと噛み締めたかった。




