19話「臆病者の決断」
その日の放課後、俺は旧校舎の一室を訪れていた。
最近は一人で帰ることが多かったのだが、今日はリリィから一緒に帰ろうと誘われていた。なんでもどこか寄りたい所があるらしい。あの目の輝きからしておそらくスーパーだろう。確か昨日テレビを見ている時に新しいカレーのトッピングを発見したなんて騒いでいたからな。
そんなわけで気が進まないが、俺は青春同好会の部屋にいる。扉にでかでかと“青春同好会”のプレートが下げられた部屋の中には、その同好会部長である杠葉萌子がいた。
「リリィ先輩なら居ませんよー。今は料理部の手伝いに行ってもらってますから」
俺の気配を察したのか、作業をしながら答える萌子は忙しそうだった。どうやらそれなりに青春同好会の活動は順調なようだ。
「なんか忙しそうだな」
「まあそうですね。結構宣伝したっていうのもありますけど、あたしって自分で思ってた以上に有名人だったみたいで。最近は宣伝なんかしなくても勝手に依頼が増えて来てるんですよねぇ」
夕陽に染まって真っ赤なツインテールを揺らしながらぼやく萌子は、しかしまんざらでもなさそうだった。
「頼まれた厄介ごとは全部、引き受けてるのか?」
「最初の数日はそうしてたんですけど、ここ最近はつまらなそうなのは断ってますね」
「つまらなそうって……。完全に萌子の主観だな、それ」
「そもそもウチは青春同好会なんで。バレないようにカンニングしたいとか、ムカつく奴の弱みを握りたいとか……そういうのは全部パスしてますよ」
うんざりした様子の萌子の態度からして、そんな“つまらない”依頼が多数あったことが窺えた。
「確かに頼まれたことを全部やっていたら、キリが無いもんな」
「そうですよ。まあ、誰かさんがウチに入ってくれれば、あたしもリリィ先輩も少しは楽になると思うんですけどねぇ」
萌子はわざとらしそうに言って、ジト目で俺を見てくる。どうやらやぶへびだったようだ。
「悪いけど、俺はパス」
「あらら、また振られちゃいました。こう見えてもあたし、結構可愛いと思うんですけど」
「下らない冗談はやめとけ」
わざとらしく身体を密着させようとしてくる萌子の頭を、俺はぐっと掴んで押し返してやった。
「いたぁ!ちょっと力強いですよ、先輩!」
「悪ふざけしてくる後輩を諌めるのも、先輩の役目だからな。これに懲りたらもうそういう事はするなよ」
「……はーい。本当に真面目ですよね、虎鉄先輩って」
俺は部活や同好会に入っているわけじゃないので、普段後輩と触れ合うことは殆どない。
だから萌子とのやり取りはなんだか新鮮味があった。後はこいつがもう少し癖のない奴なら良かったのだろうが、それは望みすぎというものだ。
「で、リリィは?」
「えー……聞いてなかったんですか。さっき言いましたよね、今は料理部の手伝いに行ってますって」
「料理部?」
「依頼ですよ、依頼。本当は受けるつもりなかったんですけど、なんかリリィ先輩が妙にやる気だったんで任せちゃいました」
萌子はやれやれといった様子で軽くため息をついた。
一体どんな内容なのか、気にならないわけじゃないが質問して、同好会に興味があると思われても癪なので黙っておくことにする。
後でリリィに聞けば良いし、リリィがやる気なことなんて大体想像できる。
「でもリリィ先輩にも困ったものです。今週末の武道祭に向けてただでさえ忙しいっていうのに、もう……」
「武道祭、か」
「なんか聞いた話ではここ数年は“武道”とはかけ離れた、レクリエーションみたいな競技ばっかりやってたみたいですけどね」
俺も去年は見ていたから覚えているが、男装・女装コンテストとかいう武道祭とは全く違う内容だった。
昔はちゃんと武道祭の名に恥じないような競技をやっていたようだが、今はもう名前だけで中身は全くの別物になっている。
「まあ今時殴り合いとかしたら、教育委員会から文句言われるからじゃないか。時代の流れってやつだろ?」
「あたしとしては、もっとバチバチの見応えのあるやつが良いんですけどねぇ」
「で、忙しいって事は青春同好会も武道祭に出るのか」
武道祭への出場資格は各部活、同好会の代表者一名だ。この同好会も出来たばかりとは言え、顧問もいる正式な同好会のため出場資格はある。
「あたし達が出るというか、これも依頼なんですよ。他の部活からの」
「他の部活から?わざわざ部活が依頼して来たのか。自分たちでも出場出来るのに?」
それは意味不明な話だった。
部活であれば出場資格は持っているはず。それなのにわざわざ同好会に代理をお願いする理由がわからない。そもそも武道祭はただのお祭り事であって、無理矢理参加する必要もないはずだ。
「あれ?もしかして気になります?一応プライバシーの観点から部外者にはお話しできないので良ければウチの同好会に――」
「誰が入るか。隙あらば勧誘してくるのはやめろ」
不満そうな顔をする萌子を俺は先輩としてしっかり指導する。気を抜いたら勧誘されてしまいそうになるのが萌子の恐ろしいところだった。
「つまんないですねー。まあ今年の競技は原点回帰ってことで、久しぶりに武道なんであたし的には嬉しいんですけどね」
「そうなのか。今年は何をやるんだ?」
「今年はですね、なんと“剣舞”です!しかも桜が丘伝統ルールの二本先取方式ですから、盛り上がると思いますよ」
剣舞。
確か体育の授業で何度かやったことがある。一般的に知られている剣を持った舞ではなく、ウチの学校では剣道の防具をつけて竹刀で打ち合いをする。
どちらかと言うと剣道とフェンシングの合いの子のような競技だ。獲物は竹刀と同じ素材でできていて、少し短い二刀流用くらいの長さの刀を使って試合を行う。
かつての桜が丘高校の生徒たちはこの“剣舞”をもってしてお互いの優劣を決めていたらしい。
「ああ、体育でやったことあるな。面が息苦しくてやりたくなかった記憶はある。剣道部の奴らは大喜びだろうな。どう考えたって有利に決まってる」
「そんなことないみたいですよ。剣道とはやり方も違うみたいですし。あたしなんかこないだやってほぼ勝ちましたよ!だからこそ、残念なんですけど……」
「残念?」
「ほら、これですよ」
萌子の左手には包帯がぐるぐる巻にされていた。先程まで全く気が付かなかったが、少し動かすのも厳しそうだ。
「その怪我、どうしたんだ?」
「こないだテニス部での助っ人でちょっと怪我しちゃいまして。だからあたしは出られないんですよ、武道祭」
「……おい、それじゃあまさか武道祭に出る助っ人は――」
「あたしは断ろうとしたんですよ。学校行事とは言っても剣舞は激しいんで、怪我とかしますから。でもリリィ先輩が話を聞いていて、どうしてもやりたいと聞かなくて」
萌子はリリィの身を案じているのか、どこか心配そうだった。
確かに一度剣舞をやったことがある者ならば、怪我する可能性がある事くらいすぐに分かる。平たく言えば防具をつけた本気のチャンバラなわけで。
当たれば痛いし、打ちどころが悪ければ怪我もする。それに武道祭と言う事は相手が男子だと言うことも十分に考えられる。どう考えてもリリィのような華奢なタイプが出るべきではない。
「その依頼、今からでも断れないのか」
「あたしがそうしたくても、リリィ先輩が認めないですよ。それに特訓しているらしくて、大丈夫だと言われてしまうんです」
特訓、その言葉を聞いた瞬間に俺の頭にはルイの姿が思い浮かんだ。
確かに最近、俺の鍛錬にリリィも参加することが多い気がする。それにこっそり二人で何かをしている様子もあった。
つまりリリィは本気でその依頼のために剣舞に出ようとしているのだ。
「……あのさ、萌子」
「はい?」
「俺さ、その――」
「――終わりましたよ萌子ー!あ、虎鉄すいません!待たせてしまいましたよね、今支度しますから!」
振り絞ろうとした俺の言葉はパタパタと部室に戻ってきたリリィによって遮られた。俺を待たせていると思ったのか、リリィは慌てながら急いで帰り支度をしている。
「あ、リリィ先輩お疲れ様でした!……虎鉄さん、どうかしましたか。今何か言い掛けていたような」
「……いや、なんでもない」
俺は今、何を言い掛けたのだろうか。もう二度と後悔しないと決めた信念を、曲げようとしているのだろうか。
結局帰り道でも、俺はリリィに武道祭のことを聞かなかった。いや、正確に言えば聞けなかったのだ。
きっとリリィは俺の気持ちを分かっている。青春同好会に入りたくない俺に剣舞のことを、自分が出場することを話せばどうなるのか。彼女には、きっとそれが分かっているのだ。
だからといって俺はこのまま指をくわえて見ているのか。もし男子に当たってしまえば高い確率でリリィは怪我をするだろう。
本当はやめさせたいが、萌子の話から察するにリリィの意志は固い。じゃあ俺に出来る事は、もう一つしかない。
「……なぁ、ルイ」
「来たな虎鉄。じゃあ今日も始めるか!」
「その前に、頼みがある――」
その日の夜、俺は鍛錬を始めようとするルイに頭を下げた。
そして一週間があっという間に過ぎて、武道祭の当日を迎えるのだった。




