18話「武道祭」
俺には朝のホームルーム前の日課がある。早めにその日の授業の準備や忘れ物などの確認をした後、読書をすることだ。
昔から小説(主にアストリア大陸記だったが)を読むのが好きということもあって、今は文庫本の他にもネットで色んな人が投稿している作品をつまんで読んだりしている。
最近の異世界転生系小説の流れには若干胃もたれもするが、読んだら読んだでやはり面白いわけで。自分の好みがファンタジー系に寄っているのも、アストリア大陸記の影響が大きいのだろう。
だからいつもは文庫本かスマホで小説を読むのを、この朝の時間の日課にしていた。
「天草、おはよう……って凄い顔してるな」
「……飯塚か、おはよう」
相変わらず爽やかな笑顔を向けてくる飯塚に、ぶっきらぼうに挨拶を返す。朝から机に突っ伏している俺の様子が気になったのだろう。
「どうした?いつもは本とか読んでるのに、今日は相当お疲れみたいだな」
「まあな」
「あれ、天草って部活とかやってないよな。もしかして自主トレ?」
あからさまに会話をする気がないオーラを出す俺を、さくっと無視して飯塚は話し続ける。
流石陽キャというべきか、間合いへの踏み込み方に躊躇がない。何より飯塚の言っていることが図星で、俺も会話を続けざるを得ない。
「なんで分かるだ、自主トレしてるって」
「だってここ数日ずっとそんな調子だろ?俺も大会近くなると朝練きつくて毎回そんな感じになるし。だから見てすぐにピンと来たわ」
確かに飯塚の言う通りだった。ルイがウチに、この世界に来てから約一週間。
俺の生活、特に私生活は一変した。全てはルイのせいで。
笑顔で毎日鍛錬と称して朝は10キロのランニングと素振り100本。
帰ってくれば夕飯までに筋トレと素振り100本。そして寝る前の座禅30分。
これをもう一週間ほど続けている。
「どうしたんだ、急に自主トレなんか始めて。天草ってそういうタイプだったか?」
「いや、俺も本当はやりたいわけじゃないんだけど」
「けど?」
思い返すのも恐ろしい。ルイは決して強制はしない……言葉では。
俺にも「嫌だったらいつでもやめていいからな」と毎日言ってくる。
が、あの笑顔に脅迫以上の圧力を感じるのは俺だけなのだろうか。少なくともリリィはそれを感じているのか、俺と一緒に鍛錬したりしている。
『ルイがああなると、しばらくは終わりません。前に貴虎を弟子にとっていた時なんかはこの比ではありませんでした。文句を言う気力もないほどに絞られた貴虎は、真っ白に燃え尽きてましたから。ルイからすればこのメニューは“かなり”優しい方だと思います。だからあまりその……機嫌を損ねない方が良いと思います』
俺にこっそり教えてくれたリリィの笑顔は、なぜが引きつっていた。だから今は大人しく従うしかないのだ。ルイもその内飽きるに違いない、それならば少しの間は我慢するのみ。
「……やむにやまれぬ事情、ってやつだ」
「ふーん、それってさ――」
「晴人、おはよー!」
何かを言い掛けた飯塚を遮って、高野が挨拶してきた。勿論飯塚だけに。
そして俺を睨みつけるように一瞥して元の席へと戻っていく。あのヤンキー騒動があってから、俺への嫌がらせは殆どなくなった。
しかし何故か高野からは以前に増して敵意を感じる。別に俺があいつに何か迷惑を掛けたわけでもないと思うのだが、全く意味不明なのでとりあえず無視している。
「ったく雄介のやつ……。ごめんな、天草。あいつ、悪いやつじゃなんだけどさ」
「別にいいよ。前から嫌われてるみたいだしな」
朝から人にガンつける奴が悪いやつじゃない、というのは全く説得力がなかったがそこまで気にしているわけでもない。
それにどこにでも“合わない”相手ってのはいるものだ。人類皆お友達なんて妄想はとっくに捨てているからな。
「嫌われてるっていうか、対抗心ってやつかな多分」
「対抗心?」
しかし飯塚は俺とは全く異なる意見だったようだ。
「前も言ったけど根本たちの……あのヤンキーたちのカツアゲ、雄介も受けてたからさ。本音は天草に感謝してると思うんだ。だけどそれを終わらせたのが天草っていうので、あいつの中で葛藤があるんじゃないかな」
「なんだそれ」
「まあつまりさ、雄介は天草のことライバル視してるってこと」
「……全く意味が分からない」
「はは、俺も言ってて正直よく分からないわ。けどそんな気がするだけだよ」
いつも通りの爽やかな笑顔で、飯塚はそう言いのけた。自分の言葉にはしっかり責任を持てよと言ってやりたいが、爽やかスマイルの前に言葉は出なかった。
これだから顔面偏差値が高いやつは嫌いなんだ。最終的には笑えばいいと思ってるんじゃないだろうか。
「まあ気にしないことにする」
「そうだな、っていうかそうじゃなくてさ」
「ん?」
どうやら飯塚はまだ会話を終わらせてくれる気はないらしい。
周りからの“飯塚を独り占めするな”的な視線が痛いので、そろそろ終わりにしてくれると非常にありがたいのだが。
「鍛えてる理由。今度の武道祭の為だったりして?」
「ああ、武道祭。そんなのあったな」
そういえば今月末には体育祭があって、それと同時に武道祭も開かれる。
確かにこの時期に急に鍛え出したなんて言えば、この学校の生徒なら武道祭のことが思い浮かぶのかもしれない。しかしそれは俺のような帰宅部には無縁の話だ。
「でも生憎俺は帰宅部だから、出たくても武道祭には出られない」
「ああ、そうか。なんだ、てっきり天草も武道祭に出るのかと思ったのにな」
武道祭、正式名称桜が丘体育武道祭とは毎年開催される体育祭に付属して各部活の代表者一名で競われる催しだ。
何で競うかは毎年体育祭実行委員が取るアンケート結果で決まる。昔は毎年何かしらの武道を行っていたらしいが、時代の移り変わりと共に武道祭という名前だけが残り最近は女装コンテストや腕相撲など、その年によって全く趣向が異なった競技が行われている。
あくまでも部活対抗ということで優勝したからといって何かあるわけではない。しかし部活数が同好会も入れてかなりの数になる桜が丘ではグラウンドの使用権や、部室の交換、練習時間の優劣などをこの武道祭の結果で内々に決めようとする生徒たちが多数いる。
そういう意味から、この武道祭は全校生徒の中で体育祭以上に有名なものだった。
「“も”ってことは飯塚は出るのか」
飯塚はサッカー部のエースだと聞く。
各部の代表者一名で競う武道祭に、サッカー部代表として祭り上げられる飯塚の姿は容易に想像できた。しかし飯塚は残念そうに首を横に振る。
「まあ俺も興味はあったんだけどね。今年の種目は面白そうだし。でもウチは色々あって、雄介が出るよ」
「……あいつか」
確かに高野は単細胞で何も考えてなさそうな分、身体を動かすことには向いていそうだった。
「なんか失礼なこと考えてないか、天草」
「別に」
「そっか。でも天草が出てくれて雄介と当たってくれたりしたら、面白いと思うんだけどなぁ」
「そんな誰も得しなさそうなイベントに何の意味があるんだよ」
「いや、もしかしたら仲良くなったりするかなって。ほら、こういうぶつかり合いって青春ドラマとかじゃ鉄板だしさ!夕陽を見ながらお互いに“お前、意外とやるな”なんて言い合うやつ」
「……勘弁してくれよ」
突拍子もないことを言う飯塚に呆れ果てている内に、ホームルームの時間になってしまった。
俺と高野が仲良くなるなんて、さっきの光景を見て良く言えるものだ。やはり陽キャの思考回路は俺には生涯理解できないと思った。




