2話「手紙と鏡と妖精と」
翌日、俺は古臭い倉庫の前にいた。新品のマスクに軍手、そして汚れてもいいようにしっかりと履きなれたジャージを装備済みだ。
「じゃあよろしくお願いしますね。一段落したら声掛けてください、要らないものは全部トラックで持って行っちゃうんで!」
「分かりました。忙しいのにすいません、なるべく早くするんで」
業者のお兄さんは丁寧にお辞儀をして倉庫から出ていった。
改めてじっくりと見るが、やはりここは今にも倒壊してしまいそうだ。一刻も早く作業を終わらせてこの倉庫から出なければならない。
「さて、やりますか」
ウチの庭にぽつんと立っている古びた倉庫。親父の時代には既にあったものらしく、中にはいつからあったのかも定かではない骨董品やガラクタが溢れている。
冒険家である両親が集めたものは勿論だが、話ではじいちゃんの私物も結構あるらしい。そんなガラクタ置き場みたいな倉庫だが、この度耐久性の問題から取り壊すことになった。
本来ならその手続きを進めた家主である親父が立ち会うべきなのだが。
『ああ、すっかり忘れてたなぁ。悪いけど今遺跡の調査中だから、虎鉄頼む!』
今朝急に訪ねてきた業者に驚いて電話した答えは、あっけらかんとしたものだった。
果たしてこんな無責任な親がこの世にいるのだろうか。そんなわけで俺は折角の休日を、こんな埃っぽい倉庫で過ごしているわけだ。
「ったくあのボンクラども。貴重品も全部捨てるか売るかしてやるからな……!」
小さい頃はたまに幼馴染の華とここに来ては、お宝探索とかいって両親の真似事をしていたっけ。それも昔の話で最近は近寄ることすらしていなかった。
それでも久しぶりに入った倉庫は昔の記憶と全く変わってない。価値すら分からないような物が無造作にそこら中に置かれている。
「ごほっ……これとか絶対要らないだろ」
木彫りの熊、すっかり錆び付いた刀、どこの集落の物とも分からない民族衣装。掘り返せば掘り返すだけ溜息が出てくる。
面倒くさいのでとりあえず全部一階の使っていない部屋にでも放り込んでおくことにした。
「…………ん?」
もう何度目か分からない運び出しをしていた俺の、動きがふと止まる。
今まで行ったこともなかった倉庫の奥の方。古びた布が掛けられた物体の隣に、それは置かれていた。
一見してただの古ぼけた封筒でしかないが、表面に書かれたその文字から目が離せない。
「なんだ、これ?」
そこに書かれていたのは“天草虎鉄へ”という文字だった。
おそらく筆で書かれたのだろう、達筆な文字はどこかで見たことがあるような気がする。けれど間違いなく両親の物ではない。親父はこんなに達筆ではないし、勿論俺の物でもない。
じゃあ一体誰が書いたのだろうか、いやそもそもこの封筒は一体何なのだろう。
「随分古いよな、これ」
恐る恐る封筒を手にしてみる。
埃を被ったそれはもう置かれてからかなりの時間が経っていることを俺に教えてくれた。片付けのことなんて頭から吹っ飛んでしまい、俺はただその封筒を見つめることしか出来ない。
一応裏面も確認したが差出人の名前などは一切書かれていなかった。ただ表面に俺宛であることが書いてあるのみだ。
「……中身、見てみるか」
表面に書いてあることが確かならば、これは俺に宛てられた物になる。中身はおそらく手紙だろう。一体何が書いてあるのか、そう思ったときには既に封を開けていた。
不思議と恐怖はなかった。こんな得体の知れない物をすぐに開けてしまうなんて、不用心だと言われるかもしれない。
でもここは天草家しか、しかも最近は誰も使っていない倉庫だ。そんな不審なものがあるとは思えない。それにこの封筒を見つけた瞬間から、震えが止まらなかった。それは恐怖なんかとは違う、言い知れぬ高揚感みたいなもの。
散々親父のことを変人扱いしていたけれど、結局俺も人のことは言えない。未知との遭遇、不思議な出来事にワクワクしてしまっているのだから。
「ふぅ……それっ」
一度大きく深呼吸をしてから封筒の中身を掴み、一気に引き抜く。
それはやはり想像通り、手紙だった。かなり昔に書かれたものだろう、色あせたその状態が物語っている。俺はもう一度深呼吸をしてから、書かれている文字に目をやった。
『――拝啓、70年後の君へ』
「……っ」
その一文を見た瞬間、一気に心臓が跳ね上がる。こんなに心動かされるのはいつぶりだろうか。震える手を抑えながら俺はゆっくりと続きを読むことにした。
そこには宛名と同じような達筆な字でこう書かれていた。
『元気にしているだろうか。君がこれを読んでいるということは、間違いなく今は70年後の日本なのだろう。
これを書いている現在、昭和の時代で生きていた俺からすれば荒唐無稽な話でしかないが、事実であることに間違いない。君、天草虎鉄はきっとこの手紙を読んで大層驚いているに違いない。
本当は多くのことを説明しなければならないのだろうが、生憎そういうわけにもいかないようだ。
理由はきっと君が一番よく知っているのだろう。だからこの手紙では端的に用件だけを伝えよう』
確かに目で文字を追っているはずだけれども、全く頭には入ってこない。全身が痺れたような味わったことがない感覚が、全身を支配していく。
ただ続きを早く読まなければ、そんな強迫観念を覚えて俺は目を文字へと戻す。
『君がこの手紙を発見した丁度隣に、布で包まれた大きな姿鏡があるはずだ』
ちらっと前を見ると確かにそこには布が掛かった何かがある。そっと布を引くと埃と共に大きな姿鏡が現れた。木枠で作られた、質素なその鏡は倉庫に射す木漏れ日を浴びて不思議な光を放っている。
『君にはその鏡の前に立って、そして待っていてほしい。何を待つべきなのか、それはすぐに分かるはずだ。こんなことを書かれて、急に信じろと言っても恐らく君は信じてくれないだろう。
だから証拠というわけではないが、今の君のことを少しだけここに記す』
まるで俺の気持ちを見抜いているかのように、淡々と文章は続いていく。
そんなはずない、こんな何十年も前に書かれた手紙がこんなにも俺を揺さぶるなんて。そう頭で否定しようとしても、目は手紙から離れなかった。
『こんな毎日を変えたいと、誰かに変えてほしいと思っているのだろう。情けない自分を変えたいと。だけれども前に進むのが怖くて、何も出来ないでいる。違うかい?』
「っ!?」
あまりにも図星過ぎて、何も言い返すことが出来ない。勿論、こんな手紙に言い返したって意味のないことくらい分かっている。けれどその内容があまりにも的中していて、俺は口ごもるしかない。
『もし気を悪くしたのならば謝ろう。しかしもし、今書いたことが事実ならば俺を信じてほしい。
決して後悔はさせない。その鏡の前に立って、自分を変えたいという強い気持ちを持っていてほしい。俺に言えるのはここまでだ。後は君の選択に任せる。それではまた会える日まで。敬具』
手紙はそこで終わっていた。しんと静まり返る倉庫の中で自分の心音だけがやけに煩く聞こえる。
結局手紙の主は名乗らず仕舞い、誰からの手紙なのかは分からなかった。
分かったのはこれがやはり俺宛であったこと、そして今の俺の状況を憎らしくも言い当てているということだった。
「こんなもん、信じてたまるかよ」
そう言いながら、俺は何故かその場から動くことが出来ない。こんな意味不明な手紙、笑い飛ばしてさっさと作業を再開しなければ。
そう思っているのに身体は言うことを聞いてくれない。それどころか鏡の前に立ってしまう。
「もう、期待するのは……夢を見るのは止めたんだ」
口から出てくる言葉は自分の物とは思えないほどか細くて情けないものだった。
とっくに捨てたと思っていたもの、今を変えたいと、生まれ変わりたいという気持ち。心のどこかでくすぶっていた残りカスに火がついてしまったのだろうか。
「くそっ」
俺はゆっくりと鏡の前の自分を見る。なよなよした、情けない姿の自分を。
小さい頃夢見ていた、困った人を助けるアストリアの英雄、天草貴虎とは似ても似つかないその姿を。
もしこの手紙の内容が本当ならば、叶えてくれよ。もう一度俺にチャンスをくれ。今度こそ胸を張って生きられる自分になるから。華の幼馴染として恥ずかしくないような、あいつの横に立っても恥ずかしくないような奴になるから。だから――
「…………え」
眩しいほどの光が倉庫を包んでいく。その真っ白な光は目の前にある鏡が発しているものだった。突然鏡が光りだすという怪奇現象に、俺はただ立ち尽くしかない。
「あ、え、な、なんだこれっ!?」
なんとか掛けてあった布で光を抑えようとするが何の効果もない。段々と光はその強さを増していく。もう目も開けていられないくらいの眩しさになって、たまらず目を閉じてしまう。
「くっ!なんなんだよ、これ」
「きゃあ!?」
「うおっ!?」
途端に何かに思い切り押し倒されて、大きな衝撃が倉庫中に響く。倒された衝撃で思い切り頭を打ったようで痛みで思わず悶える。一体突然何があったというのだろうか。
「いってぇ……」
「いてて……」
とりあえず起き上がろうとして違和感を覚える。自分の身体に何か温かいものが乗っているのだ。それに俺以外の、明らかに女性と思わしき声。
恐る恐る目を開くと既に光は収まっているようだった。そして俺の胸に飛び込むような形で、誰かが重なっている。
「あ、あの?」
「ん……あ、すいません!私ったらつい――」
目が合う。
目の前には艶やかな金髪に、奇麗な緑色の瞳をした女性がへたり込んでいた。間違いなく日本人ではないその風体に、思わず口をつむいでしまう。
君は誰なのかとか、何でこんなところにいるんだとか、聞かなければならないことはたくさんあった。けれどまるで妖精のような彼女に見入ってしまう。
そしてそんな彼女も驚いた様子で俺をじっと見つめていた。
「……あ、えっと」
「…………生きていたんですね」
「は?」
「生きていたんですね貴虎っ。私、あれからずっと貴方を探していて……!ああ、良かった!本当に良かった……!」
「お、おいっ!?」
急に涙を流しながら抱き着いてくる彼女に、俺は慌てふためくばかり。それでも僅かに働く脳みそで気になる単語を思い返す。この女性は俺のことを“貴虎”と呼んだ。輝く金髪に宝石のような緑色の瞳。そして俺のことを貴虎と呼ぶこの女性。
やっと落ち着いたはずの心臓がまた跳ね上がる。まさか、まさかそんなことあるはずがない。それでも俺は聞かずにはいられなかった。
「まさか…………リリィ?」
「はい、そうですよ。貴方の相棒、リリィ・アルフォートです。たった3年しか経っていないのに、もう忘れてしまったんですか?もうっ」
そうやって頬を膨らませる彼女は、間違いなく俺が散々読んだあの本に出てくるリリィそのものだった。
――こうして俺はリリィ・アルフォートと出会った。一通の手紙が、そして彼女との出会いが、俺の運命を大きく変えていくことを俺はまだ知らない。