13話「同好会からの刺客」
「はい、今日の分のお弁当」
「いつも悪いな、華」
ヤンキー騒動から一週間ほどが経った。
始めのうちは俺の姿を見る度にひそひそと噂話をする奴らに嫌気が差した。けれど人の噂も七十五日とはよく言ったもので実際には僅か7日ほどで、生徒たちの関心は別のことに向き始めている。
やっといつもの日常が戻ってきたと安心しつつ、俺は視聴覚準備室で華と昼飯を食う。そして華の手には可愛らしい袋に包まれた弁当箱が“二つ”あった。
「リリィって何が苦手とか分からないから、とりあえず虎鉄と同じにしちゃったけど……」
「大丈夫です。大抵のものは美味しく頂けますから。自慢じゃないんですが、生まれてこの方苦手な食べ物はありません!」
リリィはえへんと胸を張りながら、本当にしょうもない自慢をしていた。
そう、今まで俺と華だけの空間だったこの準備室に初めての来客が来たのだ。しかも初日から華に弁当を作らせるという図々しさ付きで。
「悪いな、華。大変だっただろ二人分だなんて」
「ううん、気にしないで。大して手間は変わらないから。それに」
「それに?」
キラキラとした眼差しで弁当を覗き込んでいるリリィを見ながら、華は優しく微笑んだ。
その横顔はやっぱり校内一の美少女と噂されるだけのものはあるなと、俺は改めて自分がかなり恵まれた立場にいることを自覚する。
「虎鉄の料理だけが日本の料理って認識されるわけには、いかないもんね?」
「……おい、それはどういう意味だ」
「だって毎日カレーじゃリリィも飽きるでしょ?」
「そ、それは……」
前言撤回、意地悪そうな笑みを浮かべる華はやっぱり俺が昔から知っている幼馴染だった。確かに俺のレパートリーはカレーしかないから、正直何の反論も出来ない。
「いいえ。私は虎鉄の作るカレー、大好きですよ?しかも同じじゃなくて毎回微妙に具が違うんです!華も今夜、是非どうですか。私の予想では今夜の具はですね――」
「っだぁ!分かった分かった!カレー以外も作れるように努力すればいいんだろうが!?」
この数週間はリリィに昼飯代を渡して、友人たちと学食に通って貰っていたがいつまでもそうしている訳にもいかないだろう。
だからこうして華に弁当を作ってもらうのはかなり助かる。が、いつまでも頼りっきりなのは良くないのも、まだ事実。この際、ちゃんと俺が料理を作れるようになるしかないのだろう。
「あはは、別に私は全然気にしないから大丈夫だって!それにリリィに変な物食べさせるわけにもいかないでしょ?……ほら」
華は俺の側に寄ってリリィの方に目線を移す。
ふわっと香って来る甘い香りが、幼馴染の成長を嫌にでも意識させるが必死に念仏を唱えて邪念を払う。くそ、この天然無自覚美少女め。華の目線を追うように目の前のリリィを見ると――
「お、美味しいっ!!虎鉄の作るカレーの数倍は美味し……あ」
あからさまに口を滑らせたリリィと目が合った。
「おいおいリリィさん?自分が数秒前に言ったこと、もうお忘れですか!?」
「えへへ、やっぱり嘘はつけないっていうか。ごめんなさい、虎鉄!」
「ね?だからお弁当はこれからも私に任せてよ。それに暇なときには私も夕飯とか作りに行くし」
「いやいや、流石にそこまでさせるわけにはいかねぇよ。ただでさえ負担掛けてるんだから」
それは明らかに頼り過ぎだった。華が俺のために弁当を作り始めてからもう一年は経つ。
それだけでも十分すぎるほど感謝しているのに、これ以上世話になるわけにはいかない。しかし華は優しく微笑みながら、首を横に振った。
「私がしたいの。私はずっと虎鉄に助けられてきた。だから私が出来ることは、全部やりたいの。駄目?」
上目遣いで聞いてきた華は反則急に可愛い。
助けられているのは俺の方なのに、華は小さい頃のことをずっと気にしている。本当はそんな昔の事、もう恩義に感じる必要なんてないはずなのに。
俺が華の幼馴染なんかじゃなければ、きっと華はもっと自分のために時間を使えた。俺の存在が華を縛っている。
それはとても悲しくて、でも少しだけ嬉しかった。それは俺の中で華の存在が大きいように、彼女の中でも俺の存在が小さくはないことの証だから。
「……無理はしなくていいからな。本当に暇な時だけでいいから」
「うん、ありがとう虎鉄」
華は少し照れながら満面の笑みでそう言った。そしてそのままリリィの方へすすっと近づいていく。
「どうかなリリィ、私のお弁当は」
「はい!どれもこれも絶品です!特にこの黄色い物体なんて甘さの中にしょっぱさがあって!」
「あはは、それは卵焼きっていうんだよ。私の自信作!虎鉄も好きで良く褒めてくれるんだ。ね、虎鉄?」
「ああ、華の作る卵焼きは本当に絶品なんだ。俺のカレーと同じくらいに、な!」
「虎鉄、やっぱりまだ怒ってます……?ごめんなさい、虎鉄のカレーも本当に美味しいですから!特にほら、あの何でしたっけ?」
「いや、全然覚えてないじゃんか……」
必死に取り繕うリリィを見て、思わず俺も華も噴き出してしまった。
それが余計にリリィを慌てさせてしまい、もう昼飯どころではない。そんなリリィを見ながら俺は、今まで当たり前だった日常が少しずつ変わり始めていることを感じていた。
放課後、俺は旧校舎に来ていた。
旧校舎は主に文科系の部活棟として使われているが、空き部屋が多く生徒の姿は殆どない。それに文科系の部活も大概は新校舎の方に部室をあてがわれているため、今旧校舎で活動しているのは部活に満たない“同好会”ばかりだ。
同好会とは部員が10人未満の部活のことで、顧問がいることを条件に活動が認められている集まりだ。勿論、入学してからどこにも入部していない帰宅部の俺にとっては全く関係ない話だった。
少なくとも昨日まで、は。
「……はぁ」
「どうしたんですか虎鉄、溜息ばかりついて」
隣で歩くリリィは不思議そうな顔をして俺を覗き込む。真っ赤な夕陽に照らされて輝く彼女の金髪はとても美しくて、もうこのまま帰っても良いんじゃないかなと俺を現実逃避させる。
が、もしそんなことをしたら杠先生から何をされるか分かったもんじゃない。
『頼み、と言っているがこれはほぼ命令と言っていい。君だってリリィさんとの同棲をバラされたくはないだろう?鎮火しつつあるとはいえ、今校内で話題のお二人さんが実は同じ屋根の下で暮らしていた……なんて噂が流れれば君はどうなってしまうんだろうね。それはそれで非常に興味はあるが』
そう言い放った杠先生の目は、決して笑っていなかったのを俺はちゃんと見た。あれで先生をやれているんだから、世の中って本当に間違っているよな。
「いや、リリィが心配するようなことじゃないよ」
「そうですか?」
異世界から来たリリィが知らなくて良いことも、この世界にはある。
彼女には卵焼きの美味しさを知ってもらえば十分だろう。そんなどうでも良いことを考えている内に、目的の部屋まで辿り着いた。
『旧校舎の二階、東の角部屋に部屋がある。実はそこで同好会をやっていてな、私はそこの顧問なんだ。良かったら君たちにも是非その同好会に入って欲しくてね。なあに、まずは今日顔を出してくれればそれでいいんだ。幸い、君もリリィさんも今は帰宅部だ。担任を助けると思って一つ頼むよ』
半ば強制である杠先生の“お願い”を聞いて、今俺たちはここにいる。出来ればリリィは巻き込みたくなかったが先生のご氏名とあらば仕方がない。
「ここにその……“ドーコーカイ”っていうのがあるんですか」
「ああ、杠先生の話だとそうだな。何の同好会なのか聞いても知らぬ存ぜぬの一点張りだし……全く本当に適当だなあの人は。あれで顧問だっていうんだからさ……」
「この世界の部活、というのはアストリアにおけるギルドのようなものだと聞きましたが……この“ドーコーカイ”というのも同じなんですか?」
「まあ大体は同じかな。同好会の方が規模は小さいけど、同じ目的のために人が集まっているってのは変わらないからさ。問題は、一体何の目的かってことだけど」
あの杠先生が顧問の同好会。どう考えても怪しさ満点だったが、今更悩んでも仕方がない。俺は一度深呼吸してから、建付けの悪い扉を一気に開け放った。
「……ん?ああ!来た来た!待ってましたよ二人ともー!」
夕陽に染まる教室には、それと同じくらい赤く染まったツインテールが特徴的な少女がいた。俺たちの姿を見るや否や、興奮した様子で近付いてきて手を差し出してきた。
「あたしは杠萌子、よろしくです!」
「お、おう。よろしく。俺は……杠?」
その勢いに呑まれそうになりながらもとりあえず握手をするが、あまりにも特徴的な彼女の名字に思わず聞き返してしまう。彼女にとっては想定していた反応だったのだろう、笑顔のまま頷いた。
「そう!先輩たちのクラスの担任の、杠先生の妹ですよ。びっくりしたでしょ?」
「やっぱりそうか。中々ある名字じゃないからな……って言うか俺たちの名前」
「勿論、知っていますとも!だってこないだの二人の活躍を校内に流したの、あたしなんですから」
「……え」
ツインテールを自慢気に揺らしながら語る彼女の様子から、どうやらそれは嘘ではないようだった。ということは実際に彼女は俺たちが襲われていたところを見ていた……?
「あはは、そんなに驚くことないのに。あれだけ騒いでたんだから誰かに見られてて当然でしょ?」
「まあ、確かに」
「とりあえず立ち話もあれだから、二人とも中へどうぞ。って言っても今日からだから大したおもてなしは出来ないんですけどねー」
少女に手招きされて、俺たちは教室に入る。
教室と言っても長机とその周りに椅子がいくつかあるだけの、殺風景なものだった。彼女の言う通り、同好会の活動自体はこれから始まるのだろう。とりあえず促されたまま、空いている椅子に座った俺たちを彼女は笑顔で迎える。
「改めまして、二人を歓迎しますね!あたしは杠萌子、この“青春同好会”の会長をやってます。これからよろしくです!」
「……い、今なんて言った?」
ドヤ顔で語る少女が、当たり前のように言ったその名前は全く理解できなかった。いや、正確に言えば言葉自体は聞こえていたし意味も分かる。
しかしそれが何を指すのか、どんな活動をするのか全く見当がつかない。思わずまた聞き返した俺に、彼女はしたり顔でもう一度その意味不明な同好会の名前を叫ぶのだった。
「“青春同好会”ですよ、虎鉄さん!はは、その顔も予想通りですね!」
青春同好会……そう、この同好会が俺の日常が大きく変わる入り口になるなんて、誰が予想出来ただろう。
俺のそしてリリィと“あいつ”を巻き込んでいく大きな事件の歯車が、今動き始めようとしていた。




