Tips「元気になる魔法」
「ただいまー」
ガサガサとビニール袋を抱えながら、リビングに荷物を置きに行く。今朝出掛けた時と全く変わっていないリビングの様子から、どうやらリリィは何も口にしていないようだ。
「えっと、確か華から教わったレシピが……」
ゴソゴソとポケットを探すと、クシャクシャになったメモ用紙が出てきた。メモ用紙には綺麗な字で誰でも簡単に出来るおじやの作り方が書いてある。
『風邪引いてるんだから、カレーなんて食べさせちゃ駄目だからね。え、本人が食べたがってる?病人の言うこと間に受けてどうするのよ、もう!良いからこれの通りに作ってね。後は――』
「俺には勿体ないくらいの、出来た幼馴染だよ」
ここにはいない華に一度感謝してから、料理に取り掛かる。
昨日のヤンキー騒動から一日、リリィは体調を崩してしまった。学校には病欠と言うことにしてあるが、本当は違う。昨日の最後、ヤンキーに反撃された時に使った魔法の反動らしい。
リリィにとってはただでさえ魔力の素であるマナが枯渇しているこの世界で体内に残る僅かな魔力をかき集めた、文字通り最後の一撃だったようだ。その反動が今日に来ているらしかった。
果たして病人食で魔力が元に戻るのか甚だ疑問ではあるが、体調が悪いのは事実なわけで。そういう意味ではおじやは最も適しているとは思う。
「これで良いんだよな……?」
勿論それはちゃんとレシピ通りに作れていれば、の話だ。だからこそ誰にでも作れるおじやをお願いしたのだが。
「あっつ……!」
誰かの為に何かをするなんて、本当に久しぶりのことだった。それがこの数週間、リリィが異世界から現れてから俺の日常は変わった。
今まで全くやったことのなかった自炊を……まあ殆どカレー尽くしではあるが、始めたり。別に自炊に限った話ではない。もう二度とあんな風に熱くなるのはやめようと、そう誓ったはずなのに。気が付けばリリィの前に飛び出している自分がいた。
「どうしちゃったんだろうな、俺は」
リリィといると昔の自分に戻ってしまうような、不思議な感覚に陥ってしまう。
それはきっとリリィが、昔の華に少し似ているからなのかもしれない。今にも消えてしまいそうな儚さと、どこまでも真っ直ぐなあの目が、昔の俺を呼び覚まそうとしているのだろうか。
愚かで、全てを救えると思い込んでいたあの頃の俺に。
「……やばっ!噴き出してる!?」
グツグツと煮立っている鍋の火を急いで止めて、溶いた卵を流していく。流石は華と言ったところか、料理下手の俺でも見た目はかなり美味しそうなおじやが姿を現すのだった。
「うん、我ながら中々の出来だと思うな」
こぼさないように慎重に鍋をお盆に移して、準備完了。後は適当に買ってきたゼリーなどをビニール袋にまとめて持っていくだけだ。
「あ……」
流石に買い過ぎたため、何を持っていこうか選別しているとチョコレートの箱を見つけた。病人にチョコなんて、本来はあまり良くないのかもしれない。
でもそのチョコの“名前”にどうしても何かを感じて、つい買い物かごに入れてしまった。リリィと全く同じ名前のそのチョコを、俺はしばらく見つめた後そっとビニール袋に入れた。
「まあ、リリィは甘い物好きだしな」
こないだ華と三人で行ったお店でもしっかりとあの滅茶苦茶大きなパフェを平らげていた。多分、いや間違いなくリリィは甘党だと思う。
だからチョコ自体は嫌いではないだろうし、この名前を見て少しでも笑ってくれたらなと――
「……本当に、どうかしてるよ俺は」
頭を雑に掻いて、乙女みたいな妄想をかき消す。やっぱり俺は変なのかもしれない。でも今だけはもう少し、こんな自分でも良いかなと思うのだった。
慎重にお盆を持ちながら、一階の奥にあるリリィの部屋へ向かう。元々は空き部屋だったこの部屋も、数瞬間前からリリィの部屋になっていた。普段は一人のことが多いのでこんな広い家なんて必要ないと思っていたが、今だけは両親に少しだけ感謝している。
いくら異世界から来たとは言え、リリィはかなりの美少女だ。同じ部屋になんて死んでも住めるわけない。
「おーい、リリィ。起きてるか?」
「……虎鉄、ですか。帰ってきてたんですね、全然気が付かなくてすいません」
扉越しに聞こえるリリィの声はいつもより弱弱しくて、やはり彼女の体調があまり良くないことを感じさせる。
「いや全然気にしないでくれ。それよりさ、今日何も食べてないんだろ?簡単だけどさ、食べられる物作ったから良かったら食べないか?少しでも何か食べないと、体調も良くならないと思うし」
「あ、はい。ありがとうございます。ちょっと待ってくださいね」
足音と共に扉が開いて、パジャマ姿のリリィが出てきた。少し赤い頬に潤んだ瞳。そして無防備に胸元が空いているその姿に、俺は思わず目をそらしてしまう。
いくら家だからって無防備すぎるだろ、それは。
「あー、入っていいか?」
「勿論です。あ、凄く良い匂いですね。カレーじゃないのが少し、残念ですけど」
「いやいや、体調が悪い人に刺激物なんて食べさせられないから」
リリィはベットに腰掛けながらくすくすと笑った。どうやら冗談を言う余裕くらいはあるようだ。
「食べやすいやつ作ったからさ、良かったらどうぞ」
「とっても美味しそうです。これ、本当に虎鉄が作ったんですか?」
「おいおい、失礼だな。俺だってカレー以外も作れるんだぞ……まあ、確かに作り方は華から聞いたけど」
「ふふっ、やっぱり」
「でも作ったのは俺だからな!それに華のレシピ通りに作ったんだから、味だって間違いない」
「それは間違いなさそうですね。ね、虎鉄」
「ん?」
「ありがとう」
リリィはとても優しい笑顔で、そう言った。俺は照れくさくて、思わず顔をそらしてしまう。こんなに面と向かって感謝されることに慣れていないからだろうか。
なんだかむずがゆい、でも嫌な気持ちではなかった。
「……どうして、私を助けてくれたんですか」
リリィの目は真剣なものだった。いつもみたいにはぐらかすことは出来ない、そんな雰囲気を感じた。
「どうしてって、そんなの当たり前だろ。リリィは俺の……」
そこまで言い掛けて、俺はついこの前彼女に言った暴言を思い出す。“俺はお前の仲間なんかじゃない”、俺は確かにそう言った。だからこそリリィは聞いているのだ。
何故仲間じゃない奴をわざわざ助けたのか、と。
「虎鉄?」
「……ごめん、リリィ。俺、こないだリリィに酷いこと言ったよな。仲間じゃない、なんてさ。本当にごめん」
今の俺にはそれ以外の言葉は見つからなかった。けれどリリィは怒ることもなく、相変わらず優しく俺を見つめている。
「私は、嬉しかったですよ」
「え?」
「勿論言われたときはショックでしたし、怒りもしました。風魔法でバラバラにしてやろうとも思いましたとも、ええ」
「あの、すいません……」
にっこり笑いながら言うリリィには、怒る以上の凄味があった。もし彼女の魔力が回復してたなら今頃無事では済まなかったかもしれない。
「まあ、半分は冗談ですけどね」
「半分なんだ……」
じゃあ残り半分は、というのは聞かないことにする。聞いたって良いことなんてあるわけがないからだ。リリィは一度咳払いをしてから話を続けた。
「あの時、やっと虎鉄の心の叫びを聞けた気がしたんです」
「心の叫び?俺の」
「はい。ずっと心配でした。いつも私に気を遣って、学校ではまるで自分の存在を消そうとしている虎鉄のことが。だからあの時、初めて貴方が感情をぶつけてくれたとき……やっと話してくれた。そう思ったんです」
「でも俺、リリィに酷いことを言った」
「だけど貴方は来てくれた。私のピンチに身体を張って助けに来てくれた。だから、もう良いんです」
今でもどうしてあんなことをしようと思ったのか、よく分からない。もう感情に任せて行動するのはやめようと決めたのに。でもリリィを見ていると勝手に身体が動いてしまうのだ。
理由なんて、理屈なんて吹っ飛んでしまう。
「……虎鉄にも私を頼って欲しい。私たちはもう仲間だから……貴方が私を助けたいように、私だって貴方の力になりたい。だからいつか貴方から手を伸ばしてくれるまで、私は待つよ。貴女は一人じゃないから」
いつもとは違う口調でリリィはそう言いながら、俺の手を握った。温かくて、そして優しい感触だった。しばらく部屋を静寂が包んだ後に、リリィはゆっくり俺から手を離した。
その表情は既にいつもの彼女に戻っていた。
「さ、折角虎鉄が作ってくれたんだから冷めないうちに頂きますね!」
「……ああ、多分不味くはないはずだから。遠慮せず食べてくれよな」
「はい!……あれ、これは?」
リリィの手には、ビニール袋からはみ出していた“あの”チョコ菓子があった。マジマジと商品名を見つめるリリィの興味津々な表情は、見ていて飽きない。
「ああ、それな。チョコって言ってこないだ食べたデザートみたいな甘いやつなんだけど。ほら、名前が同じだろ?だから買ってきたんだよ」
「一つ、食べてみても良いですか!?」
「勿論。そのために買って来たんだから」
リリィはチョコを一個つまんで口に入れる。まあリリィは甘党だろうし、チョコ菓子は大体外れとかないから大丈夫だとは思うが。口に入れてすぐ、リリィは満面の笑みを浮かべる。
「はは、美味しいか?」
「はい!食べた瞬間、魔力が回復するみたいな感じですっ!なんですかこれ、本当に美味しい。これは間違いなく幸せの魔法ですね……!」
「いやそれは大げさだろ……」
リリィは俺の目の前にチョコを一個差し出してくる。別に俺は普段も食べているから気を遣わなくてもいいのだが。
「はい、幸せのおすそ分けです!」
「……うん、ありがとなリリィ」
それでも俺はリリィからチョコを貰う。彼女は言った、いつか彼女が俺の力になりたいと。でももう十分に、リリィは俺の中で決して小さくない存在になっている。
俺はリリィからもらったアルフォート、“幸せの魔法”をゆっくりと嚙み締めるのだった。




