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『拝啓、70年後の君へ』  作者: シロクロイルカ
『白百合の冒険』
16/35

12話「さざ波のような、でも嵐のような」




「成程な。じゃああの騒ぎは“単なる喧嘩”だったと、君はそう言うんだな?」

「はい、そうです」

「はぁ……」

杠先生はやれやれと頭を振る。俺としては連日朝一で職員室に呼ばれるのは遠慮したかったのだが、そうは問屋が卸さないようだ。

どこからか昨日の騒ぎが広まったらしく、こうして俺は杠先生に呼び出されている。

「大体鉄パイプでしたっけ?そんなので殴られたら俺もリリィも無傷じゃ……少なくともこんなかすり傷じゃ済んでないですよ」

「それは……まあ確かにそうだな」

珍しく歯切れの悪い杠先生だが、それも当然だろう。

校内に広まった“噂”ではリリィが上級生の不良グループたちを一対多数にも関わらず返り討ちにしたとか、俺が鉄パイプでボコボコにされたとかそんな内容なのだ。

しかし当の本人ある俺は軽いかすり傷程度でピンピンしている。

「大体そんな真偽も分からないような噂に振り回されるなんて、先生らしくないですよ」

「うーん、確かにそうなんだがな……」

相変わらず考え込む先生を後目に自分の右腕を見る。

実際、あのヤンキーに思いっきり鉄パイプで右腕を殴られたはずだ。ボコボコ……というのはかなり脚色されているとは思うが、少なくともあの激痛は間違いなくただじゃ済まないものだった。

しかし結論から言うと俺の右腕は折れてはいなかった。念のためレントゲンも取って貰ったが、ひびすら入っていない。

当事者の俺が一番驚いていた。一体何がどうなっているのだろう。

「……とにかく、お前たちをリンチしようとした根本たちは今謹慎中だ」

「根本……?」

「お前をボコボコにした不良グループの頭だよ、金髪の」

「……ああ、あいつ根本っていうんですか」

その名前に全く心当たりはなかった。むしろ向こうは誰一人として名乗っていないのだから、当然といえば当然なのかもしれないが。

しかし杠先生としてはそんな俺の反応が信じられないようで、また大きな溜息をついていた。

「普通自分をリンチしようとする奴の名前くらい、知っていそうなものだがな。前から思っていたが、本当に君は他人に興味がなさすぎるよ」

「はぁ」

「でもな、だからこそ私は嬉しい」

「嬉しい、ですか」

杠先生は真面目な顔して俺を見据える。

普段の飄々とした表情からは想像できない凛とした雰囲気に、思わずドキッとしてしまう。なんだかんだ言っても杠先生も大人の女性なのだと、再認識する。

「誰かを守るために立ち上がることは、決して簡単なことじゃない。いざその時が来ても大抵の人間は怖気づくか、保身に走るものだよ」

杠先生の確信めいた発言の裏には何かがあるのだろう。大人の彼女にしか分からないような、過去の何かが。

「……まあ、そういう自分のことを簡単に犠牲にしようとする精神も考え物ではあるんだがな。それでも今回は本当に良くやったよ、天草。君は決して“駄目草”なんかじゃない」

杠先生は雑に俺の頭をわしわしと撫でてくれた。まるで親に褒められたような気恥ずかしさの中に少しだけ、温かいものを感じる。

こうやって家族以外の誰かに認められること自体が、久しぶりだったからかもしれない。

「も、もういいですから!そろそろ授業の準備をしないといけないんで失礼します!」

「あ、おい天草――」

杠先生の呼び止めを無視して、俺は職員室を後にする。

教室に戻る途中でいつもとは違う、周りからの視線を感じた。人の噂も七十五日、という。その内皆が昨日の出来事など忘れてしまうだろう。それでもこの学校に来て初めて、俺は他人から注目されていた。その噂の元がどこから来ているのかは分からない。

しかし事実、昨日の不良グループとの揉め事が校内中に広がっている。これは後で聞いた話だが、あの根本とかいう奴らはこの桜が丘でも特に悪質なグループだったらしい。

だからこそ、俺とリリィの話は話題になっているようだった。いつものように教室に戻っても俺に対する奇異の視線は続いていた。

「はぁ……」

勿論、クラスに友達がいるわけでもないから話し掛けられることはない。おまけにもう一人の当事者であるリリィは体調不良で休んでいる。

今朝から少し熱があり、俺が強引に休ませたからだ。本人は昨日の報復があるかもしれないからと、俺のことを心配してくれていたが杠先生の話では奴らは謹慎中らしいので杞憂のようだった。

それに関しては噂を流した誰かさんに感謝しないとだな。とにかく、いつも以上に居づらい空気を感じる。皆が昨日のことを知りたい、けれど俺には聞きづらい。そんな感じなのだろう。

しかしそんなどんよりとした空気を消し飛ばす爽やかの権化みたいな奴が、このクラスにはいる。

「おっ!おはよう天草!」

「お、おはよう……」

俺の隣の席の爽やかイケメン、飯塚晴人は教室の空気を知ってか知らずか。その爽やかな笑みを俺に向けてくる。あまりにも爽やかすぎて思わず挨拶がどもってしまった。

「聞いたぜ、昨日の話!三年の根本たちを絞めたらしいじゃん!」

「いや絞めてないし!ただ向こうから突っかかって来ただけで」

「しかも襲われそうになったリリィさんを助けたんだろ!?本当にすげえよな天草は!」

「そんなカッコいいもんじゃないって。誰だってそうしたと思うし――」

「そ、そりゃあそうだよなぁ!?俺だってそうしたと思うしなぁ!」

急に大声で会話に割って来る飯塚の取り巻き。確か俺のことをよく“駄目草”って馬鹿にする奴だ。

何がそんなに悔しいのか、俺を睨みつけてくる。でも飯塚はそんな取り巻きを笑いながら一蹴した。

「あはは、雄介のやつさ。本当は根本たちにたかられて困ってたんだ。な、雄介?」

「なっ!?は、はぁ!?」

「意地張るなって!この学校って優等生が多いだろ?だから根本みたいな奴は珍しくてさ。皆、被害に遭って困ってたんだよ」

「そうだったのか」

言われてみれば不思議だった。この桜が丘高校は市内でも有名な進学校だ。陰湿な虐めは流行っても昨日の連中のようなタイプは殆どいなかった。だからこそ奴らは好き放題してたんだろうけどな。

「ほら、雄介も天草にお礼言えよな?これでもうたかられなくて済むんだから」

「う、うるせえな晴人!俺は認めないからな!」

そう言って雄介と言われた取り巻きはずかずかと自分の席に戻ってしまった。飯塚も爽やかな顔して意外と言いたいことはハッキリ言う性格のようだ。

「ったくアイツ。悪いな、いつも雄介が」

「……別に気にしてない」

「はは、でも俺は気にすんの。大体入学式の時だって――」

飯塚の言葉を遮って教室にチャイムが鳴り響いた。それまで俺たちの会話に聞き耳を立てていた生徒たちも一斉に自分の席に戻っていく。

「入学式?」

「あー……それはまた今度」

何故かバツが悪そうに頭を掻いて、飯塚は話を終える。一体何が言いたかったのか、俺には見当もつかなかった。

「そうだ、天草」

「ん?」

「ありがとな。きっと皆も、そう思ってる」

「……ああ」

飯塚は爽やかな笑顔を向けて、そう言った。別にクラスメイトたちの為に奴らに立ち向かったわけじゃない。あくまでも俺はリリィを守るために戦っただけだ。

それでもこうして自分のやったことで誰かが救われる。その事実が、俺の心の奥底にある何かを動かそうとしていた。この日以来、俺は飯塚と話をするようになった。

今まで教室で誰とも話さず、関わらず生きてきた俺の日常が少しずつ変わり始めた。たったそれだけの、まるでさざ波のような些細な変化が俺の日常を大きく変えていく。







◇◇◇




夜の闇に紛れて走り続ける。

もう息は上がり足は今にも千切れてしまいそうだ。それでも彼は止まるわけには行かなかった。

「はぁはぁ……!!」

もし止まってしまったらどうなってしまうのか。

それはつい数刻前、目の前で思い知らされている。

急にどす黒い“ナニカ”に突き刺されて、一緒にいた仲間は崩れ落ちてしまった。ピクリとも動かない。直前までの威勢は何処へやら、もう壊れた人形のようだった。

「い、嫌だぁ!!」

今までどんな奴だって逆らう奴は容赦しなかった。

時には暴力で、時には親にお願いして金の力で。彼に逆らう者は誰だって屈服させてきた。それが彼、根本翔平ねもとしょうへいの日常だった。

その内、親の経営する会社を継いで好きなように遊び倒す。人生をイージーモードだと疑わなかった根本は、何故か全力でなりふり構わず逃げ続けている。

そして彼のすぐ後ろにはどす黒い“ナニカ”がピタリと張り付いていた。

「く、来るなぁ!!」

昨日からだ、昨日から全てがおかしくなった。

いつも通り弱者をいたぶるつもりが、手痛い反撃を食らった。あの外国人もう弱そうな陰キャも、ただじゃおかない。たっぷりと仕返しをするつもりで街に出たはずだ。なのに気が付けばどこかの裏路地を無様に走り続けている。

負けることも、そして逃げることも根本の人生にはなかった。彼は初めて虐げられる者の気持ちをその身で感じているのだった。

「ちくしょう、ちくしょう!!」

早く家に帰りたい、もう誰も虐めないから許してほしい。

気が付けは謝罪の言葉が頭の中を駆け巡る。今から何が行われるのか、仲間の様子から全てを察した根本は涙を流しながらどこまでも走る。が――

「あ――」

そこはすでに袋小路だった。それは果たして彼の人生を暗示しているのか、それともそうなる運命だったのか。

「あ、ああああああああああああ!!」

言葉にならない叫びを、根本翔平は上げた。

そして直後、彼の背後に“ナニカ”がピタリと張り付く。まるで醜悪なヘドロのような、もしくは巨大な悪意のような。表現できないほどの恐怖が彼を凍り付かせる。

それでも最後の抵抗と、根本は恐る恐る、本当にゆっくりと振り向いた。そして“ナニカ”と目が合う。

“ナニカ”はゆっくりと口を開き、そして――


「××××××××……××××、××××××」


「あ」

どす黒い無数の刃が、根本の身体を貫いた。根本はピクリともせずその場に倒れこむ。残されたのは深い深い闇と、その中心にいる“ナニカ”だけ。

「××××××……」

言葉にならない言葉が、深夜の裏路地に木霊するのだった。



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