Tips「異世界転生系っていうのは、大概そういうものだ」
「それでは今から授業を始めようと思います」
そう言うと華はガラガラとホワイトボードをリビングへと運んできた。
いつもは二つ網にしている髪も今は纏めてポニーテールに。そして黒縁の伊達眼鏡をくいっとあげながら何故か得意げにしている。
「あの」
「質問をどうぞ?」
「いや、なにこれ」
テーブルに座る俺とリリィには一切の説明をせず進行しようとする華に異議を唱えるが――
「なにって……授業に決まってるでしょ?」
当然のように返答されてしまった。
「あのな、リリィは明日からもう学校に行かないといけないんだよ」
「だから知ってるって」
「だったらこんな茶番なんてやってる暇ないだろ!とりあえず全部は無理だとしてもさ、ある程度の常識とかは教えておかないと」
「茶番じゃないわよ!?何事もまずは形からっていうでしょ!それに」
「それに?」
「好きでしょ、女教師もの」
ニヤッと小悪魔じみた笑みを浮かべながら、華はさらっと爆弾発言をした。
「……いや、別に好きじゃないし」
「嘘だぁ?幼馴染なんだから隠し事は通用しないよ、虎鉄」
俺には華以外には親しい奴はいない。当然、好きなシチュエーションを語り合うなんて言う機会なんてない。
ではこれは単なる偶然なのか、それとも本当に幼馴染には隠し事は通用しないというのか。
「……とにかくだな」
「あ、誤魔化した」
「うっさい!とにかくこんなことしている場合じゃないんだよ、分かるか!?」
「だから今から教えようとしてるんでしょー!大体学校の成績は私の方が良いんだから、私の指示に従ってくれませんかぁ?」
「この野郎……!」
悔しいが華は学年でも一二を争う秀才だ。
なぜ神はこうも不平等なのか、外見も中身も優秀するなんてチート能力者と同義だろうに。こっちは必死に勉強してやっと平均より少し上くらいなのに、こんなのってないよな。
「まあ冗談はこのくらいにしておいて」
「冗談なのかよ」
「当たり前でしょ?ほら、時間ないんだから虎鉄も手伝ってね!」
リリィは俺たちの会話を聞いていたのかいなかったのか、熱心に用意した教科書や参考書を熟読している。
今まで何の疑問もなく接していたが、リリィは日本語がちゃんと読めるようだ。これはおそらく以前彼女が言っていた“事実改変”と同じような現象のせいらしい。
リリィ曰く、じいちゃんがアストリアに行ったときも、じいちゃんは最初から向こうの言葉を問題なく話せたとのことらしい。
勿論、これは華には話せない裏事情ではあるが。
「それにしてもリリィは本当に日本語流暢だね」
「はい、以前からこの土地には興味があったので」
華と楽しそうに話すリリィは、どこからどう見てもただの留学生だ。しかしいつの間にか呼び捨てで呼び合うような仲になるなんて、思いもしなかった。校内を回っていた間に打ち解けたのだろう。
「俺、飲み物用意してくるな」
「あー、ありがとう虎鉄。私――」
「アイスティーでミルクとガムシロ一つずつだろ?分かってるって」
「さっすが!」
リリィはこないだから飲んでいる麦茶でいいだろう。
コップを用意しながら、改めて華の存在に感謝する。俺一人ではここまでスムーズには行かなかっただろう。三人で学校を早退した後、俺たちはウチに直行せずに近くの大型ショッピングモールで今後必要な物を揃えた。
俺の手伝える範囲もあったが、主には華がリリィを引き連れて服や雑貨など色んなものを見繕ってくれたのだ。本当によく出来た幼馴染というか、頭が上がらない。
今度パフェ以外にも追加で奢らないとな。飲み物の準備をしてからリビングに戻ると、相変わらず教科書を読むリリィと何故か少し離れてそれを見つめる華の姿があった。
「あれ、どうかしたか」
「……あのさ、虎鉄」
「ん?」
華は何やら難しそうな顔をしている。確かに異世界人にこの世界のことを一から教えようとすれば、一筋縄ではいかないだろう。
「あー、悪いな。リリィさ、日本語は分かるんだけどな」
「……いじゃない」
「え?」
「天才じゃない!私たちの助けなんて全然必要ないから!」
「……はい?」
「全教科基礎知識はあるし、下手したら大学生レベルまでの知識まである……」
華は伊達眼鏡を外しながら完全に何かを悟ってしまったような顔をしていた。
リリィが、この世界に来たばかりの彼女が天才?大学生レベルの知識まである?そんなこと、あるはずがない。
「おいおい、冗談言ってる場合かよ。もうあんまり時間はないんだぞ」
「冗談なんかじゃないから!本当にリリィって何者なの?小さな国から来たって言ってたけど、やっぱり日本の教育は海外と比べてかなり遅れてるんだ……」
「おい、華?」
「勉強しなきゃ……勉強……」
「もしもーし」
華は俺の声が届いていないらしく、ぶつぶつと独り言を繰り返している。リリィが天才なんて話、信じられるはずがない。
そもそも異世界に来たばかりなのにそんなチートみたいな話、あるはずが――
「…………あ」
――あるはずが、あった。
というか異世界転生の話って大概はそうじゃないっけ。
レベルが最大になるとか、超ユニークスキルをゲットしたとか、実は二回目の転生で無双します……とかに比べたら、大学生レベルの知識があるくらい可愛い、というかむしろ物足りないくらいのチートなのでは。
「……リリィ?」
「あれ、どうしたんですか虎鉄。そんなムーが坂から滑り落ちたみたいな顔して」
だからその慣用句は一体何なんだよ、という気持ちはぐっと抑えて彼女の持っている本を覗き込む。
「それって」
「これですか?華が読んでみてって貸してくれたんです」
リリィの持つその本は教科書なんかではなく、どう見ても日本で一番有名な大学の過去問集だった。リリィはそれをまるで小説のごとく、楽しそうに読み進める。
まるで異世界転生系のモブになったかのような気分だ。
「あのさ、リリィ。それ、分かるのか?」
「分かるって……ああ、答えのことですか?まあ、大体は。この世界に来るときに妙な力が授けられたみたいなんですよ。この前話した異世界に行った際に起こる改変の一部だと思うんですが――」
結論として、リリィに勉学面の心配は全くと言っていいほどなかった。
後から聞いた話だが、元々異世界の学校でも彼女は首席で卒業するほどの優等生だったらしい。ニコニコと読んでいる本の内容を熱弁するリリィを眺めながら、俺は思う。そういえば彼女にとってこれは異世界転生系の物語なんだよな、と。
ちなみにムーが坂から滑り落ちた、というのは諺で言うと鳩が豆鉄砲を食ったよう、とほぼ同じ意味だった。




