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『拝啓、70年後の君へ』  作者: シロクロイルカ
『白百合の冒険』
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1話「いつも通りの日常」




『――こうして、アストリア大陸を覆っていた暗く重い霧は晴れた。

貴虎たかとらは傷だらけの剣に身を預けながら空を見上げる。そこにはこれからのアストリアを想像させるような、眩しいくらいの青空が広がっていた。

「やっと終わったんだな」

この大陸を長きにわたって苦しめていた元凶はもういない。たった今この手で、貴虎が醜い欲望ごと切り伏せたのだから。

ずっと緊張していたのだろう、ようやく実感したその事実に思わず身体がふらつく。

「おっ……と」

「大丈夫ですか、貴虎?」

しかし貴虎は倒れることはなく、側にいた仲間に支えられる。混沌の波動を受けてもなお、最後まで彼と共に戦ってくれた一番の戦友。見るものを魅了する金髪をなびかせながら彼女、リリィ・アルフォートはそっと貴虎の横に並び立つ。

彼女の装備もまた、例外なくボロボロだったがそれでもリリィは辛い顔一つせず整然と立っていた。

「ああ、ありがとうリリィ」

「全く……。ヒュームのくせに無理しすぎなんですよ、貴虎は」

「悪かったな。でもあいつは……あいつだけは俺の手で決着をつけないといけないって。そう思ったんだ」

「俺“たち”、ですよ?」

「はは、悪い悪い」

少し拗ねた表情を見せたリリィに気付いて、貴虎は慌ててフォローを入れる。そこにはいつもの二人の姿があった。

平原一つを焼け野原に変えるほどの熾烈な争いの後とは思えないほど、それは日常の風景だった。

「おおーいっ!!リリィ、貴虎―!!」

遠くから馬車と人影が見える。幾つもの苦難を乗り越えてきた仲間たちが、貴虎たちのために駆けつけてくれて来たようだ。

「お、ルイの奴もう来たのか……これは面倒くさいことになるぞ」

「その前に、逃げちゃいましょうか」

「ん?ああ、その方が面白いか!」

「はいっ!」

そんな仲間の気持ちなんてつゆ知らず、二人は平原を駆け出していく。

「ああっ!!こらー、待て貴虎ぁ!!逃げるなぁ、勝負しろぉ!!」

空はどこまでも広がっていて、これからのアストリア大陸のように晴れ晴れとしていた。

そして彼らの冒険も、この空の果てまでも続いていくのだろう――




 ―― アストリア大陸記・完 ―― 』




「ふぅ……」

もう何度目になるだろうか、数えることさえ忘れてしまった。読了したその本の表紙を静かになぞる。

“アストリア大陸記”、そう書かれた文字も既に擦れていてこの本の寿命が近いことを教えてくれていた。

『次はー桜台、桜台』

折り目が付かないように丁寧に本を鞄にしまってから、人混みで溢れる駅に降りる。

最初は苦痛でしかなかった電車通学も、一年以上続けてしまえば慣れてしまうもので。今では満員電車の車内でも難なく読書できるくらいにはなった。勿論、だからどうしたというわけでもないのだが。

改札を出るとあちこちに自分と同じ制服を着た学生がいる。その波に吞まれるようにして、俺は学校を目指す。

「おはよー!」

「おはよ。昨日返事出来なくてごめん。あの後さーー」

いつも通り、すぐ近くで周りも気にせずに始まる挨拶や会話。それは当たり前だけども、勿論俺に向けられているものではない。

そもそもこの学校で俺に挨拶や会話をしてくる奴なんて殆ど、いや正確に言えば一人を除いていやしない。だから通学路は嫌いなんだ。嫌にでも自分がこの学校生活に馴染めていないことを自覚させられる。俺はなるべくこの地獄から抜け出せるように、するすると人波を避けていく。

一年以上こうしていれば誰にもぶつかることなく、最速で歩くことが出来るのだ。これだけはあの貴虎にだって――

「馬鹿か、俺は」

その呟きは勿論誰にも聞かれることはなく、空へと消えていく。見上げた空はあのアストリア大陸と同じように青空のはずなのに、俺の心は全くと言っていいほど晴れなかった。







私立桜が丘高等学校。

南北線桜台駅から徒歩5分という好立地に加え、県内でも有数の進学校であることから学生人気もまあまあ高い。倍率もそこそこで入学すれば近所のおばさんたちの井戸端会議の話題くらいにはなるだろう。

あまり取り柄のなかった俺の、唯一の長所。勉強がある程度は出来るという強みを活かして、なんとかこの高校に入ることが出来た。

そんな倍率をわざわざ潜り抜けてきた理由は単純明快で、人生をやり直したかったから。中学までの人間関係を全てリセットして、多少は離れたこの高校で一からやり直す。

しかしそんな甘い考えをしていた俺の目論見は、入学早々に打ち砕かれることになった。そして二年生になった今も、俺は相変わらずの日常を送っている。

「おっしゃー!昼休みだー!」

昼休みのチャイムが鳴るのと同時に、すぐさま席を立つ準備をする。休み時間はいつも通り寝たふりで過ごしたが、昼休みだけはそうはいかない。人通りが少ないうちに早く教室を出なければならない。

「おい、晴人はると!昼はどうするよ!」

「いった!いちいち押してくんなよな雄介!」

しかし隣の席で始まった騒ぎのせいで、中々席を離れられない。

隣の席の男子、飯塚晴人いいづかはると。成績優秀、スポーツ万能、そして顔もすこぶる良い。もしここが異世界だったら、間違いなくこいつはチート能力者だろう。そしてそんなスペックだからか、クラスの男女問わずすこぶるモテるし、人気も高い。このクラスの奴も皆飯塚のことが好きに違いなかった。

「あの」

「この時間じゃ食堂はきついからなぁ。まあ晴人なら行けば席の一つや二つ誰でも譲ってくれるだろうけど!」

「あの?」

「そんなことねえよ。それより雄介」

「いやいやそんなことあるだろうがこのモテ男!昨日だってお前勝手に」

「……邪魔なんだけど」

けれどもそれは一人を除いて、だ。

残念ながら俺はこいつのことが好きじゃない。別に嫌いでもないが、こういう何も苦労をしたことがない奴を見ると無性に腹が立つのだ。勿論八つ当たりであることは重々承知だし、飯塚ではなくその取り巻きに言い放つ俺の根性も相当ひん曲がっているとは思う。

「はぁ?何お前――」

「あ、ごめんな天草あまくさ!ほらどけよ雄介、邪魔だろ?」

「……ちっ、分かったよ。ほらよ“駄目草”くん?」

「おい雄介!」

「……別に良いよ。それじゃ」

「あ、天草――」

何かを言いかけた飯塚を無視してそそくさとその場を去る。あんな風に虚勢を張ったってすぐにぼろが出るのは分かっている。思った通り歩き出した足はまだ震えているし、背中も汗でびしょ濡れだ。

「くそっ」

こんな自分が情けなくて、そしてああやって飯塚が助けてくれるたびに余計に自分が惨めに思えてくる。飯塚は本当の意味で良い奴なのだろう。

クラスで起きている俺に対する陰口にもあいつだけは参加してないし、さっきみたいに守ってくれたりもする。ただ席が隣だってそれだけの理由で、あいつは俺のことを“天草”と呼んでくれる。

他のやつみたく“駄目草”なんて蔑称で、俺を蔑んだりはしない。

「……俺が少女漫画のヒロインだったら、恋に落ちてるな」

面白くもない冗談は、誰にも聞かれることはなかった。

飯塚は良い奴だと思う。だから嫌いだ。あいつを見ているとまるで昔の自分を見ているようだ。まだこの世に正義があったと、正しいことをすれば全てが解決すると思っていたあの頃。

アストリア大陸を駆け回っていたあの“天草貴虎あまくさたかとら”……俺のじいちゃんが書いた彼のようになれると信じていた自分を重ねてしまうから、嫌いなんだ。

「もういるよな」

腕時計を確認するといつもより数分遅れていた。あまり目立たないようにしながら旧校舎の視聴覚準備室に辿り着く。

音をなるべく立てないようにそっと扉を開けると、そこには見慣れた女子の姿があった。俺に気付いたのだろう、少し不満そうな顔をしながらゆっくりと近付いてくる。

「5分遅刻だよ、虎鉄こてつ

「すまん、遅くなった」

二つ網で肩まで掛かった明るい茶髪と大きな目、そして端正な顔立ち。この学校で唯一俺が普通に話せる同級生であり幼馴染の黒咲華くろさきはなは、いつもみたいに俺に弁当箱を差し出す。

それは高校に入ってからずっと変わらない儀式みたいなもので、今の俺がこの学校に何とか通うことが出来る唯一の理由だった。

「いつも悪いな、華」

「毎回毎回言わなくていいよ。私だって好きで作ってきてるんだし。それより早く食べよ?誰かさんのせいでただでさえ時間ないんだから」

「悪かったって。いつもより廊下が混雑しててさ。ちょっと教室から出るのが遅れちゃったからさ」

「……何か、されたりしてない?」

心配そうに俺を覗き込む華。こんな調子でこいつはいつも俺の心配ばかりする。

こう見えても、小さい頃は逆だった。まだ小さくて弱っちい華はよく周りに虐められていて、そんな華を俺はいつも守っていた。それがいつの間にか立場が逆転してしまった。

今の俺は華との昼休みがなければ本当にこの学校で孤独、一人きりだ。

「大丈夫だって。ほら、どこも汚れたりしてないだろ?今日だってたまたま教室を出るのが遅れただけなんだからさ」

「……うん、それなら良かった」

華は安堵した表情で胸を撫でおろす。幼馴染にこんな風に心配を掛けていることが情けなくて、本当にどうしようもないくらいの憤りを覚える。本来なら華だってこの昼休みは自由に使いたいはずだ。

目立つ外見もあって、中学校くらいから華は男女問わず人気が出るようになっていた。去年のミス桜が丘にだって新入生の部で選ばれるくらいの有名人。そんな華の昼休みを、俺はもう自分だけのためにずっと独占してしまっている。

「あのさ、華」

「うん?」

「もし嫌ならさ、回数減らしてもいいんだぞ。たまには別々に昼取ったって俺は」

「誰かに言われた?何か嫌味でも言われたの?」

「いや、そういうことじゃない。そもそもこの場所も、俺たちがこうして会ってるのも誰も知らないはずだし」

「じゃあ良いじゃない。気にする必要なんてないよ。それに私は自分がしたくてこうやって虎鉄とご飯食べているんだけど」

「……華」

俺の不安を、華ははっきりと否定する。俺の弱い部分を許して寄り添ってくれる。そして俺はそれに甘える。こうやって入学してから一年以上、別館にあるこの視聴覚準備室は俺たちだけの場所になっている。

変わらなくちゃいけないことは、分かっている。虐められている理由だって、ちゃんと考えれば分かるのかもしれない。それでも俺にはもう前に踏み出す勇気なんて残っちゃいないから。

結局のところ俺はいつまで経ったって、あの“貴虎”には成れっこないのだ。

「何その顔?ほら、早く食べよって」

「そうだな、じゃあ」

「「いただきます」」

これがもしライトノベルならば、こうして学年一の美女と隠れて飯を食っている俺は主人公に違いない。タイトルは……“学年一の美女は、実は俺の幼馴染でした”みたいな感じか。

「ありきたりだけど、悪くはないな」

「何か上から目線でムカつくなぁ。確かに初めて作ったけどね、そのハンバーグ」

「え?いや違うって!このハンバーグのことじゃないから!」

勿論これは現実なので、決してそんな恋愛沙汰みたいなことは起きるはずはない。あくまでも俺と華の関係は幼馴染の腐れ縁だ。それでも俺は今のこの空間だけは失いたくないと、そう思った。







「ただいま」

返事なんて帰ってくるはずもないけれど、習慣というのは怖いものでつい口に出してしまう。真っ暗なリビングに荷物を全部ぶん投げて、ソファーに横になる。

確か両親からの手紙だと、次に帰って来るのはしばらく先になるらしい。

「冒険家、ね」

両親は二人とも冒険家、世間でいうところの道楽を仕事としているぶっ飛んだ人たちだ。

二人の出会いも雪山での遭難がきっかけだとか、正直かなり常識からは外れている。それでもこうして俺が生活できているのは二人が世界中を旅している傍ら書いた記事やブログ、最近では動画などで稼いでいるお陰なのだから軽率に馬鹿には出来ない。

「俺には無理だな」

親父がそもそも冒険家になったのはじいちゃんの影響が強い。

じいちゃん、天草貴虎は一部の間では知らない人がいないほどの有名人だ。元々天草家は武道を重んじる一派で、じいちゃんの代までは立派な道場もあったらしい。

じいちゃん自身も剣の腕は抜きんでるものがあったと……まあそれはじいちゃん自身の話だったらしいからあまり当てにならないが。それよりもじいちゃんが有名な理由がもう一つある。

「アストリア、大陸記……」

鞄から出したその本は、もう何度も読み返したせいでボロボロだった。

小さい頃から俺のバイブルだった、この本。初版が出たのは高度経済成長期だという。著者は俺の祖父、天草貴虎。

“アストリア大陸記”と銘打たれたこの本は、当時にはまだあまりない異世界転生ものだった。しかも著者自身、つまりじいちゃんを主人公とした異世界冒険記だ。それがこのアストリア大陸記。

発刊した当時はそこまで話題にはならなかったらしい。しかし最近になって昭和生まれの異世界転生ものがあるとネットの口コミで話題になり、マニアの中で“天草貴虎”という名前は一気に有名になった。もう絶版だったこのアストリア大陸記は、今では一部の間では高値で取引されているらしい。

出版されてから70年もの月日が経ってから、じいちゃんの本は予想外に日の目を見たのだった。

「俺も、異世界にいけたりしねえかな」

じいちゃんは俺が生まれる前にはもう亡くなっていた。だからこれは親父から聞いた話になるが、じいちゃんは本当に異世界に行ったらしい。そして実際そこで起きた出来事を、つまりこの本に出てくるアストリア大陸の未来を、自分が仲間と共に救ったというのだ。

「……んなわけ、ないよな」

普通に聞けば笑い飛ばすにも値しない話だ。

勿論じいちゃんもそれは分かっていたのだろう、家族にしかそのことは話していない。でも俺は小さいときこの本を読みながら、その話が本当だって信じていた。

自分にもアストリア大陸を救ったじいちゃんの血が流れているんだって、誇らしかった。だけど夢はいつか醒めるもので。親父はそんなじいちゃんに影響されて冒険家とかいう破天荒な道を選んだが、俺は違う。

「異世界なんてない。ヒーローなんて、いないんだ」

俺は現実を、痛いほど見てきた。実際は虐められたって誰も助けちゃくれない。魔法もなければチートスキルもない。人は群れなきゃ生きていけない弱い生き物で、強い者には逆らえない。

だから群れからはぐれた奴に、居場所なんてない。それはごく当然のことだった。

「俺は、夢なんて……見ない……」

それは一体誰に向かって言った言葉だったのだろう。

急に襲い掛かる睡魔の中で、俺はそれでも願ってしまう。一度でいい。じいちゃんの言ったことが本当だっていうならアストリア大陸に俺を連れて行ってくれと、そう願った。


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