サキュバスが怖い!
すっかり日も暮れた暗い森の奥。
ベースキャンプの焚火の前で、静かに話をしている二人の冒険者の姿があった。
「俺はサキュバスが怖い」
「あぁ、サキュバスは怖いな」
「精気を搾られるから怖い」
「そうだな、搾り尽くされるから怖いな」
まだまだ駆け出しの冒険者マイケルと、彼の友人である冒険者バリーは、男の精気を吸い取って殺してしまうという恐ろしい魔物――サキュバスについて語り合っていた。
「もしサキュバスに出会ってしまったらどうしよう。きっと俺は誘惑に勝てず、なす術もなく搾り尽くされてしまうだろう……」
心配性のマイケルは、まだ見ぬサキュバスとの邂逅を空想し、絶望した。
「それなら今の内に練習しておけばいいじゃないか。俺がサキュバスを演じてやるから、マイケルは誘惑されないように抵抗してくれ」
「バリーがサキュバスを……?」
「あぁ、俺がサキュバスだ」
筋骨隆々とした典型的な武闘家体型のバリーに、セクシャル・ハラスメントの権化であるサキュバスの役が務まるとは到底思えなかったが――
「……分かった。頼む」
マイケルはその提案を甘んじて受け入れることにした。
「任せろ、マイケル。俺はサキュバスに詳しいからな」
「そうなのか?」
「あぁ。まず、サキュバスが現れるところから始めるぞ」
「よし、来い……」
マイケルは真剣な表情で身構えた。
すると――
「どうもみなさん、こんキュバス~♪」
「待て、バリー。ちょっと待ってくれ」
「ん?」
「サキュバスは、出会い頭にそんなピー(自主規制)tuberみたいな挨拶をしてくるのか?」
「してこない」
「いや、してこないんかい!」
野太いバリーの声が急に裏声になったこともあり、マイケルは目の前の筋肉ダルマの頭が突然どうにかなってしまったのではないかと大いに不安になった。
「もっと普通に出てきてもろて……」
「OK、OK。それじゃあ、近くの茂みが揺れるところからやり直そう」
「あぁ、普通のエンカウントで頼む」
マイケルは少しホッとしたが、よく見るとバリーの表情が強張っているではないか。
それはまるで飛び込み営業の訪問先へやってきたかのような……。
「夜分遅くに失礼致します……」
「うわ、今度はめちゃくちゃビジネス口調のやつが来た」
「お忙しいところ誠に恐縮なのですが……」
「はい……」
「あなたの精気を吸い取らせて頂けないでしょうか……?」
「い、嫌です……」
「ちょっと!! ほんのちょっとでいいので!!」
「絶対に嫌です……」
「先っぽ!! 先っぽだけでいいので!!」
「先っぽって何!?」
「お忙しいようなら、また日を改めますので!!」
「いや、そう言う問題じゃないから!!」
必死な形相のバリーにタジタジのマイケル。
すると、急にバリーが一つ大きな咳払いをして――
「次の日!!」
えぇ……。この寸劇、まだ続くのか……。と、マイケルはゲンナリした。
ただ、これもひとえに自分のことを思って演じてくれているのだと思い直して、マイケルはバリーの怪演にもう少しだけ付き合うことにした。
「茂みがガサガサと揺れますね?」
「はっ、はい……」
「サキュバスが現れますね?」
「はい……」
「いつも大変お世話になっております」
「サキュバスは、みんなビジネス口調なの?」
「私、サキュバス族のキューバと申します」
「はぁ、キューバさん……」
「先日はアポイントも取らず、大変失礼致しました」
「いや、お前、昨日のやつかい!!」
「お手紙をしたためてお詫びをしようとも考えましたが、さすがにそれでは不躾かと思いましたので……」
「別に今日もアポがあったわけじゃないけどな!!」
「直接、私の身体でお詫びをと……」
「私の身体でお詫びって……やっぱりお前、精気吸う気満々じゃねぇか!!」
「すいませんが、吸いますね?」
「えっ、何? どっち?」
「吸いますね?」
「嫌だから!! いや、ダジャレなのよ、それはもう!!」
「先っぽ!! 先っぽだけでいいから!!」
「だから、その先っぽって何!?」
「お願いっ!! 一生のお願い!!」
「一生のお願いも何も、吸われたらこっちは死ぬっちゅうねん!!」
「黙れ!! 正論を言うな!! 先っぽ吸うぞ!!」
「えぇ……。めっちゃ怒るじゃん……」
それはもう逆切れじゃん……。
と、バリーの圧に押され気味だったマイケルは、気を取り直すと、「とにかく断るっ!!」と、大々的に宣言し、筋肉漲る肉体的謝罪を突っ撥ねた。
「もっと普通のサキュバスにしてくれよ。練習にならないじゃん」
「普通のサキュバス?」
「そう。普通のサキュバス」
「普通のサキュバスはねぇ……。気付いたらもう隣にいるんだよ」
「えっ? そうなの? 挨拶とかは?」
「一切無し」
「じゃあ今までの下り全部なんだったの……?」
「超至近距離でめちゃくちゃ誘惑してくるから、すぐに抵抗しないといけないんだ」
「超至近距離……?」
すると、バリーはマイケルの肩に手を回し、その回した手をマイケルのアゴにそっと添えた。
「こっ、この状態からスタートなのか?」
「お先に精気、頂いているわね」
「もう吸われてんの!?」
「そう。気付いたらもう吸われてんの」
「何それ、怖っ!!」
あと、サキュバスを演じているときのバリーのオネエ口調も怖っ!!
と、思ったが、マイケルは敢えて何も口に出さなかった。
なぜなら、それよりもっと気掛かりなことがあったからである。
「それで……」
マイケルは暑苦しく密着しているバリーの肉体をほどいて距離を取ると、思い切って気になったことについて尋ねてみることにした。
「さっきのサキュバス、どこから俺の精気を吸い取っていたんだ?」
「アゴだけど?」
「どこから吸っとんねん!!」
「アゴの先っぽだけど?」
「先っぽ、言うな!! っていうか、さっきの『先っぽだけ』ってこのことだったのかよ!!」
「そうだけど?」
「そうだけどって、お前……。せめて誘惑に抗わせてくれよ、練習にならないから」
「OK、OK」
軽い調子でそう言うと、バリーは着ているシャツのボタンを一つ、二つと外していき……。
見せびらかすように胸元を大きく開けると――
「うっふん……。誘惑しちゃうぞ……」
「ごめん、ちょっとストップ」
「何? どうしたんだ、マイケル?」
「いや、お前、めちゃくちゃ胸毛生えとるやないか!!」
「えっ!?」
「誘惑とかいう前に全然集中できないから!!」
「そうなの?」
「当たり前だ!! 早くしまえ!! その実り豊かな胸毛を!!」
「胸の谷間を見せて誘惑する設定はダメだったか……」
「目が潰れるかと思ったぞ……」
「逆にそうやって男の目を潰した隙に精気を吸い取るタイプのサキュバスもいるかもしれないだろう」
「いてたまるか!!」
豊満な胸の山間部に、たっぷりと蓄えられた胸毛の森。
胸元に大自然が広がっているサキュバスの姿を想像して、マイケルはもう何が何やら分からなくなった。
一瞬自分の性癖が歪む音が聞こえそうだったが、両手で頬を強く叩いて自我を保った。
「ふー……。バリー。やっぱり俺、サキュバス対策は自分ですることに……」
そう言って、練習を打ち切ろうと、マイケルがバリーの方を見ると――
「お先に精気、頂いているわね」
「ぐっ、ぐえぇ……」
バリーが本物のサキュバスの腕に絡みつかれ、精気を吸われている最中だった。
……。
アゴから。
「アゴから精気吸われとるーーーー!!!!」
教わった通り挨拶もなく現れたサキュバスに、現在進行形で精気を吸い取られているバリーを見て、マイケルは思わず叫び声を上げていた。
すると――
「ケテ……。タスケテ……」
バリーの自慢のムキムキマッスルが見る見るうちに萎んでいくではないか。
マイケルは、まるで出土したばかりのミイラのようになってしまったバリーの姿を見て、死の恐怖が湧いてくるのを感じた。
「この子を搾り取った後はあなたの精気をいただくから、大人しくそこで待っていてね」
赤く光るサキュバスの目に睨まれ、マイケルの身体は硬直してしまった。
「くっ、なんて魔力……」
色気が可視化されているのかと見紛う程に妖艶なオーラを漂わせているサキュバス。
頭には立派な角が二本生えており、背中には悪魔のような漆黒の羽も確認できる。
マイケルは彼女の肌の露出の大きい服装から視線を外すことができなかった。
特に、彼女の大胆にひけらかされている性的な胸元から視線を外すことができなかった。
当然、バリーの胸毛のような余計な物は一本も生えていなかった。
そう、余計な物は一本も……。
「はっ!! そうだ!! バリーは!?」
トラウマになっていたからか、たった数分前に脳に刻まれたバリーの胸毛の記憶がすさまじい嫌悪感を呼び起こし、それを契機にしてマイケルにかけられていた誘惑の魔法が解けた。
「大丈夫か、バリー!! 今助けてやるからな!!」
そう叫びながら、剣を握るマイケル。
しかし――
「大丈夫だ、マイケル。問題ない」
つい先程まで発掘されたてのようだったバリーの肉体が、なぜか元のパワフルなマッチョスタイルに戻っていた。
その一方で、これまたなぜかサキュバスの顔色が青白くなっていた。
「うっぷ……。やっぱり今日のところは、これで失礼するわね……」
どこか具合の悪そうなサキュバスは、か細い声でそう言うと、ヨロヨロと茂みの向こうへ姿を消した。
そして、すぐ近くから、何かをリバースする美しくない音が聞こえてきた。
「サキュバスも食べ過ぎると吐くんだなぁ……」
「いや、そんなことより、バリー。お前、身体は大丈夫なのか?」
「あぁ、ノーダメージだ。俺の精気の量を侮ってはいけないぞ。もはや海みたいなものだからな」
「何言ってんだ。一瞬、水分ゼロみたいな顔になっていたくせに」
「あれは、あのサキュバスが俺のタイプじゃなかったから……」
「タイプじゃない? どういうこと?」
「けど、萎えていた俺を助けてくれようとするマイケルの姿を見たら……」
「えっ?」
「正直、興奮したよね」
「えっ? えっ?」
「それで精気が回復したおかげでサキュバスを退治できたってわけだな」
「何? バリーってもしかして……」
「あぁ、俺はガチの人だ」
ガチの人やったんかい!
と、脳内でツッコミを入れると同時に、マイケルは夜の森の中へと駆け出していた。
「はははっ!! 待ってくれよ、マイケル!!」
マイケルのすぐ後ろを追いかけているのは、精気が海ほどある絶倫のガチである。
しかも興奮している。
「さっきバリーが、『俺はサキュバスに詳しい』って言っていたのって……」
「そうだ、サキュバスの手練手管を学び、その技で愛するマイケルを籠絡するためだ!」
「いや、サキュバスよりタチが悪い!!」
「待ってくれ、マイケル!! どこへ行こうというのかね!!」
サキュバスに吸われてもなおバイタリティに溢れている性豪バリー。
そして、そんな彼にロックオンされてしまった哀れな男マイケル。
今宵、ある一人の男の悲痛な叫び声が森に響き渡ったことは、まだ誰も知らない。
お読みいただき、誠にありがとうございました。
オチがほぼホラーの物語 (バッドエンド) はいかがだったでしょうか。
「まっ、まぁ、バリーにとってはハッピーエンドだから……」と、気に入っていただけていたら嬉しく存じます。
最後になりますが、小説ページ下部に、現在連載中の異世界コメディーのリンクを貼っております。
もしよろしければ、そちらもご一読いただけると嬉しく存じます。