第3話
武田(上里)和子は自身の考えを整理しながら、小声で夫の義信と話し合いを始めた。
「弟の顕如の密書の内容を読む限り、弟は法華宗の不受不施派の北米大陸への移民を黙認するつもりでしょう。だから、公然とこちらから移民を支援するのならともかく、向こうからの移民希望に応じて、肉親の情から止む無く自分達は支援をした、という形を押し通せば、弟は姉には姉の事情があるから、と国内の本願寺門徒を宥めてくれるでしょう」
和子は、夫にそうささやいた。
「しかし、そう上手く行くかな」
義信は不安を隠そうとしなかったが。
和子は、わざと微笑みながら言った。
「弟の本心としては、法華宗の不受不施派を日本から追い出したいのですよ」
「えっ」
義信は、疲れて延びていた表情を思わず引き締めて叫び、妻の和子の目をのぞき込んだ。
実際、和子は弟の顕如からの密書の文面を考える内に、そう推察するようになっていた。
勿論、暗号文を用いた密書という形式を取っている以上、自分の本心を相手に全てさらけ出して密書を書いた方がいいのかもしれない。
だが、書面と言うのは極めて厄介だ、面と向かって話し合う際には、相手の表情等から感情が読めるので、適宜修正しながらやり取りができる。
しかし、書面の場合は、読み取る相手によって誤解が生じることはある程度は避けられないからだ。
そうしたことから、弟は自らの想いの半分も密書に明かしていないのだ。
後は、姉の判断、考えに任せる、ということなのだろう。
和子は、夫の目を見返しながら、更に声を気持ち潜めながら、言葉を紡いだ。
「法華宗の不受不施派は、結局のところ、他宗への強硬派です。そう言った面々が、本願寺に攻撃的にならないと言えますか」
「いや、確かに言えないが」
そこまで妻の言葉に答えたところで、義信も頭が回り出した。
「そういうことか。法華宗の不受不施派が、日本本土から北米大陸に移民に行くように仕向ければ、日本本土の法華宗徒の数は減るし、本願寺に銃を向けようとする法華宗徒がもっとも減る、ということか」
「流石は武田家の御曹司。そういうことですわ」
夫の言葉に、和子は微笑みながら言った。
「止めてくれないか。そんな表情で、そんなことを言われては。天下の毒婦を娶った想いがしてくる」
「それは余りなお言葉。私は極めて優しい15歳の少女です」
夫の言葉に、和子はわざと顔を伏せて嘘泣きを始めた。
「そういうところが、天下の毒婦というのだ。もう少し年相応の行動をしてくれ」
義信は妻をそう言って慰めたが、表情が徐々に綻び出しつつある。
「それでは、弟の信之に法華宗徒の北米大陸への移民に協力する旨の手紙を送るか」
「私は反対したが、弟からの頼みに負けたという形の手紙でお願いします」
「確かにその方が無難だろうな」
「それから、一つ条件が」
「何かな」
「向こうが望むような気もしますが。新たな開拓地に彼らが住むように示唆しておいて下さい」
「以前からの住民と問題を起こしてはかなわない、ということか」
「ええ。私としても、本願寺門徒と法華宗徒が喧嘩沙汰を起こしては困りますから」
「そうだな」
年相応の夫婦らしからぬ会話を二人は交わした。
このオレゴンの開拓地は、名目上は久我晴通を総督とする北米植民地政府に統治されているが、この当時は事実上は移民してきた武田家が統治している側面が強く、二人はこの開拓地の事実上の領主夫婦と言っても差し支えない状況にあった。
そうしたことが、二人を年相応ではない態度を執らざるを得ない状況に置いていた。
だが、その一方で和子は更に考えを巡らせた。
兄の勝利の妻の実家の騒動を宥める一助にも、北米への移民の件は使えるのではないだろうか。
ご感想等をお待ちしています。