第2話
ともかく弟の顕如からの密書は渡りに船だ。
そう考えた武田(上里)和子は、まず弟からの密書と今回の暗号用の鍵を焼き捨てて証拠を隠滅した。
これで何かあっても、証拠がない以上は私の独断ということで弟には火の粉は掛からずに済むはずだ。
その上で、和子は夫の武田義信の下に向かった。
和子が、夫と顔を合わせた時、夫は馬場信房に揉まれ終わったところだった。
「うーん。時代は違うな。槍と弓の組み合わせで戦をするのは古いですぞ、今や銃や大砲が戦の帰趨を決めるのですぞ、と馬場に叱られた。実際、徳川家との交流で馬場達が学んできた軍法(戦術等)を教わってみると、これまでの武田の軍法とは完全に違っているし、それを戦場で実際に行うとなると」
夫の義信は、ぐったりとしていて、半ばのびている有様だった。
「大丈夫ですか」
「ああ、大丈夫だ」
和子の声掛けに、義信は気を取り直したように答えたが、疲れのために目が半ば死んでいる。
自分の言葉がどちらに働くかと考えつつ、和子は義信の傍に近づいてささやいた。
「弟の顕如から密書が届きました。法華宗徒の北米への移民の件、弟は黙認するとのことです」
「えっ、本当か」
義信の目に光が灯り、慌てて周囲を見回しながら言った。
幸いなことに、夫婦二人の目の届く範囲に人がいる気配は無い。
これは和子が、人払いをそれとなく命じたためでもあった。
「それは私にとっても有難い。弟の信之からの頼みを聞くことができる」
義信は和子にささやいた。
そう、義信の下には、上総武田(庁南)氏の養子になった信之の下から依頼が届いていたのだ。
信之のいる上総や、その隣国である下総、安房では法華宗徒の勢いが極めて強い。
「上総七里は皆法華」という俚諺があるくらいだ。
更にその法華宗徒の多くが、不受不施を貫こうとしている。
こうした中で天文(後奈良)天皇陛下の崩御に伴う大喪の礼問題から、日本本土に住みづらくなったと感じる不受不施を貫こうとする法華宗徒は、北米大陸に赴いて自らの信仰を護ろうと考えたのだ。
とはいえ、何の伝手も無しに北米大陸にいきなり赴くのも、という声も法華宗徒の内部から挙がったことから、少しでもコネは無いかと当たった末に、上総を中心とする房総地方の法華宗徒は信之を介して、義信に北米大陸への移民の協力を求めてきた次第だった。
しかし、義信の妻の和子は言うまでもなく、本願寺顕如の猶姉という立場にある。
だからこそ、義信は難色を示していた。
その一方で、和子も頭を痛める事態が起きていた。
和子の異父兄、上里勝利は、昨年夏に宇喜多直家の妹と結婚している。
これ自体は寿ぐべきことだったが、直家は備前出身であり、直家はそう熱心ではないが法華宗徒であり、親族や知人は法華宗徒ばかりと言っても良かった。
(尚、直家の妹、勝利の妻は、上里家に嫁ぐ以上、夫と同じ信仰をもつべきだ、という上里家側の主張を受け入れて、本願寺門徒に改宗している。
勝利にしても、自らの家族のことを考える程、妻にも本願寺門徒になることを求めざるを得なかった)
更に備前、備中でも、房総地方と同様に、不受不施派の勢力は極めて強かった。
こうしたことから、宇喜多家では、お家騒動と言われても仕方のない事態になってしまった。
大喪の礼の際の千僧供養の一件が発展した末、直家が妹を本願寺門徒に改宗させて、本願寺顕如の後見人の永賢尼の実の息子、上里勝利と結婚させることで義兄弟になるとは何事、妹夫婦を離婚させろ、という話にまでなってしまったのだ。
この際、和子にしてみれば、兄夫婦のために骨を折る必要を感じていたが、その手段に窮していた。
だが、顕如からの密書は渡りに船だ、和子はそう考えた。
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