第12話
しかも、これは食料だけの話なのだ。
(実際には幌牛車の方が、結果的に多かったのだが)幌馬車で、移民しようと考えている土地まで運ばねばならないのは、食糧以外にも多岐にわたる。
それこそ到着した土地で農業を営むとなると、鋤や鍬といった農機具はまず必要不可欠な代物になる。
更に開拓した農地に蒔くための種等も持参せねばならない。
また、旅路の途中、更に到着した土地で食料が欠乏した場合等を考えると、狩猟採集によって食糧を確保せねばならず、そう言ったことを考えると、移民をする際に狩猟のために必要な銃を始めとする武器は必ず持参しないといけない代物ということになる。
(それに最悪の場合、植民地を開拓しつつ、既に現地にいた原住民との戦いを行わねばならない事態が引き起こされるかもしれないのだ。
この当時の日本人は、植民先の現地にいる原住民との戦いを避けたがってはいたが、だからといって襲撃してくる相手に対しては、断固たる武力行使を躊躇うものでは無かったのだ)
他にも旅路の途中で牛馬に対して飼料を与えねばならないし、人や牛馬のために水袋を持参して、水を運んでおかないと、いざという場合に喉の渇きで人や牛馬が死に至る場合がある。
それこそ、移民の旅路の途中で、馬(牛)車を牽く牛馬が死んでしまったら、幌馬車(?)は動かなくなり、持てるだけの荷物を担ぐ等して、人力で運ぶという悲惨な事態が引き起こされるのだ。
そして、移民の間で徐々に牛車が好まれるようになったのは、これが一因だった。
それこそ馬より牛の方が粗食に耐えるし、水もそう飲まなくて済むからだ。
それに、実際に移民団が移動してみると、幌馬車の乗り心地は良いとはとても言えず、むしろ多くの移民が女子どもを含めて、幌馬車に乗るよりも自ら歩く方を好んだ。
馬車に乗ると多くの者が、それこそ車酔いならぬ、馬車酔いをひき起こしてしまうのだ。
(それにその方が、少しでも馬車の積荷が軽くなり、他の荷物等が積めるという理由もあった)
それなら、ますます動きの遅い牛車で充分だ、という発想になり、後期の移民になる程、馬車よりも牛車を好む事態が多発し、それもあって、武田家が主に開拓していたオレゴンでは牧畜が盛んになる事態が引き起こされた。
牛車を牽くための牛が、北米大陸の内陸部を目指すための移民に求められたからだ。
勿論、こういった牛は、目的地に着いた時点でお役御免になる訳がなく、牛鋤を牽いての開拓等に従事することが期待されていた。
また、本来からすれば、牛車を牽くのは力が強い雄牛がほとんどになるが、移民団の場合は、牛車を牽く際に少数の雌牛を混ぜることもしばしば行われた。
その理由だが、雌牛を混ぜることにより、移民団の旅程において、移民が新鮮な牛乳を飲むことが可能になるためだった。
他にも、開拓先で牛を繁殖させるためには、雌牛が必要だという理由もあった。
少なからず先走った話が入り混じるが、そうしたことから、4トン積みの馬車と言えど、一緒に乗れる人というか共に進む人は、どうしても限られてしまう。
4トンが積める1台の幌馬車といえども、現地開拓に必要な様々な資材を積まねばならないとなると、大の男の大人のみなら3人程、夫婦1組に小学生程度の子ども2人(つまり1家族)を、目的地と言えるミシシッピ川のほとりまで運ぶのが精一杯と言っても良かったのだ。
こうした現実があったことから、それこそ内陸部への移民を始めてすぐに数万人単位でミシシッピ川流域の開拓地を目指すというのは、非現実的にも程がある話になった。
ある程度の先遣隊を送り出して、その先遣隊が現地調査をした上で、開拓を行わねばならなかったのだ。
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