215話 魔獣の大群
戦闘の音が常に聞こえてくる位置にまで来た僕たちは、魔獣の群れを見渡せる丘を目指した。
そして、その丘に到着すると、すでに先客がいた。
こちらの偵察部隊が、戦場の状況を無線で報告するために、草木のカモフラージュを配し、地面を掘って背丈のない監視所を設けていたのだった。
これなら丘の上にあっても目立たないと、僕は感心した。
監視所から、身を潜めていた迷彩服を着た偵察兵の一人が、身をかがめながらこちらへと近付いてくる。
「フーカ陛下、上からの報告で、詳細は分かっております。そして、誠に申し上げにくいのですが、我々の任務に支障がでますので、できるだけ目立たないようにして下さると助かります」
「う、うん。目立たないようにするよ」
「お願いします。それと、目立たない着衣でお願いします」
彼は僕の後ろを見つめながら、申し訳なさそうに進言をする。
振り返ると、自国の煌びやかな軍服を着ているエルさんやルビーさんたちがいた。
僕、金ちゃん、アカネ姉ちゃん、ヒーちゃんは迷彩服にベストを着ており、アンさんですらメイド服を控え、僕たちと同じ服装だというのに、エルさんたちは前線を知らない将校のような出で立ちで、目立っていた。
「えーと、エルさん、ルビーさん。目立たない恰好に着替えてくれるかな? それと、付き添いの人たちも着替えさせて」
「あっ、ごめんなさい」
「申し訳ない」
エルさんとルビーさんは素直に謝ると、部下にも着替えるように指示を与えた。
そして、監視所から少し離れた位置に停めてきた馬車へと、着替えに戻って行った。
「アンさん、一人一人の服装をチェックするのは大変だから、予備の迷彩服を配ってあげて」
「はい、かしこまりました。金ちゃん、行きますよ」
(ほい、合点承知の助)
彼女は金ちゃんを連れて、エルさんたちを追いかけるように馬車へと向かった。
迷彩服に着替えたエルさんたちが戻って来ると、皆でかがみながら監視所に入って行く。
中は思っていたよりも深く掘られており、皆が入っても余裕のある広さも確保されていた。
「立派な監視所だね。地面をこんなに掘るのは大変だったでしょ。ご苦労様です」
僕は偵察部隊の人たちにねぎらいの言葉を掛けた。
「いえ、大したことはありません。ユナハ国の兵士ならユナハ市の大通りや線路を敷く工事で、土堀や土木作業は多くこなしてきましたから、これくらいならあっという間に造れます」
「そ、そうだったんだ。……ご、ごめんなさい」
一人の兵士の言葉に、僕の良心は痛んだ。
「陛下、謝らないで下さい。最初の頃は何でこんなことをと思っていましたが、今では、あの時の経験が生かされていることに、兵士一同は、先見の明に長けていた陛下を尊敬しているのですから」
彼の言葉に、他の兵士たちも大きく頷いた。
事が上手く運んだとはいえ、自衛隊がやっていたからと軽率な提案をしたことが、恥ずかしくなってくる。
「これは良いことを聞いた。グリュード竜王国でも土木作業を兵士に課すのを採用しよう」
僕の後ろで感心するように頷いたルビーさんは、ネーヴェさんとイーロさんに帰国したら、さっそく組み込むようにと二人に伝えていた。
僕の軽率な提案が、他の国にも伝染している……。
振り返った僕は、引きつった顔でルビーさんたちを見つめるのだった。
監視所の中を軽く見回した後、兵士に促されて、僕たちは敵軍が見渡せるように作られた複数の小窓から、近くに位置するものを、へばりつくように覗き込んだ。
(うげっ。上から見た時よりも、いっぱいいそう……)
金ちゃんが僕の思ったことを代弁してくれた。
「確かに、迫力が違う。うわっ、地竜やゴブリンに交じって、大きな蜘蛛やムカデまでいる。あれが新種の魔獣か……」
僕は覗いていた双眼鏡を隣に渡すと、金ちゃんが受け取り、覗き込んだ。
(なんか、強そうだね)
彼は眉をひそめると、その双眼鏡を隣に渡すと、アンさんが受け取った。
「蜘蛛とムカデは俊敏で硬そうですね。倒すのには、少々てこずるかもしれません」
彼女も眉をひそめる。
双眼鏡は隣から隣へと回され、覗いた者たちは、その多さと新種の魔獣にネガティブな意見を述べていた。
「ここで愚痴を言っていても始まらないから、とにかく、金ちゃんの念話で魔獣を混乱させられるか試してみよう。金ちゃん、準備はいい?」
僕が金ちゃんに振り向くと、彼はコクコクと頷き、小窓に顔を近付けて集中を始める。
……。
…………。
………………。
僕たちは金ちゃんを見つめたまま、ただひたすらに待つ。
そして、アンさんは双眼鏡で、魔獣に変化が起きているかを注視し続ける。
金ちゃんがこちらを振り向いた。
「どうだった?」
(うーんと、それが……)
僕が尋ねると、金ちゃんは難しい顔になる。
「魔獣には変化がありませんでした」
アンさんからも残念な報告があがる。
僕たちは失敗に終わったと肩を落とした。
(なんて、声を掛けたらいいの?)
「「「「「……」」」」」
ちょっと気まずそうな金ちゃんが、耳を疑うような質問をしてくると、まだ何も始まっていなかったことに、僕たちは唖然とした。
「まさか、まだ念話を送ってなかったの?」
(いやー、こういう時、なんて言えばいいのかわからなくて、テヘッ)
頭を掻きながら、照れる金ちゃん。
「テヘッじゃない。照れれてないで、何でもいいから念話を送ってよ」
(その何でもが難しいんだよ)
「まずは魔獣が反応するかを確かめたいんだから、もしもしでも、横を向けでも何でもいいんだよ」
(うん、分かった。じゃあ、やってみる)
再び小窓を覗き込んだ金ちゃんは、魔獣の大群を見つめながら集中を始める。
そして、僕たちは彼をジッと見つめた。
(も、も、もしもし?)
金ちゃんが送る念話は、僕たちにも聞こえた。
な、何を緊張してるんだ?
僕は魔獣の変化を見ているアンさんに視線を向けた。
彼女は双眼鏡を離してこちらを向くと、首を横に振る。
ダメだったのだろうか?
(おーい、僕の声が聞こえているか?)
再び金ちゃんが念話を送ったので、アンさんは、すぐに双眼鏡で魔獣たちを見る。
「あっ、地竜の数頭が首を左右に動かして周りを気にしているようですが、念話に反応したかは分かりかねます」
アンさんは、双眼鏡を覗き込んだまま、報告する。
「金ちゃん、何か指示を出してみて」
彼は僕を見て、コクリと頷く。
(えーと、そこで宙返りをしてみよう!)
「「「「「できるか!」」」」」
金ちゃんの突拍子もない言葉に、皆が叫んだ。
「シー。申し訳ありませんが、叫ぶのはやめていただけないでしょうか?」
「「「「「ご、ごめんなさい」」」」」
兵士に注意をされた皆は、小声で謝る。
(今のは冗談だ。僕は魔獣を統べる王、略して『る王』だ!)
「「「「「どこを略してるんだ!」」」」」
「シー。どうか、お願いします。叫ばないで下さい」
「「「「「ご、ごめんなさい」」」」」
皆は兵士にペコペコと頭を下げる。
(お前たちの王は僕だ。僕の言葉が聞こえているなら、僕に従え!)
「金ちゃん、命令を出してないよ」
彼はこちらを振り向くと、(あっ!)と声を上げた。
そして、再び小窓を覗き込む。
(コホン。まずは敵をビビらせろ!)
「隊列を乱した魔獣が現れました。……で、ですが、こちらの兵に向かって吠えまくり、最前列の兵に襲い掛かりそうな勢いです」
アンさんの報告を聞いて、魔獣の敵が僕たちであることに気付いた。
「金ちゃん、魔獣は僕たちが敵だと思っているから、その命令はマズいよ」
(こら、バカ者。お前たちが襲っているのは僕のしもべたちだ。すぐにやめろ!)
「隊列を乱した魔獣が元の位置に戻りました。少し困惑しているようにも見えます」
念話は魔獣に伝わるようだ。あとはこちらが命令を出して、どこまで言うことを聞いてくれるかだが……。
「金ちゃん、敵を……ハウゼリア連邦の兵士を襲うように命令してみて」
彼はこちらを振り向き、コクリと頷いてから、小窓を覗き込む。
(後方と隣接している兵士を攻撃しろ! そいつらがお前たちの本当の敵だ!)
「魔獣に混乱が見られます。これは成功と言えるかと思います」
アンさんの言葉に、僕たちも小窓を覗き込んで、魔獣たちの様子を見た。
魔獣たちは周りの仲間の様子をうかがい、戸惑っているように見える。
「金ちゃん、お手柄だよ」
僕が褒めると、彼は僕のそばに来て、頭を押しつけてくる。
「よしよし、金ちゃんのおかげで戦況が優位になりそうだよ。ありがとう」
僕は金ちゃんの頭をワシャワシャとなでてあげると、彼は気持ちよさそうに、うっとりとした表情を浮かべた。
「あとは銀ちゃんたちの『敵軍ホイホイ』の設置の連絡が来たら、僕たちは向こうに合流しよう」
「ちょっと待って下さい。様子がおかしいです」
僕が言い終えるとすぐに、魔獣の観察を続けていたアンさんが、口を開いた。
「どうしたの?」
「とにかく、魔獣を見て下さい。混乱がおさまっていきます」
僕たちは慌てて小窓を覗き込む。
「「「「「ガオー! ガウガウ。ガルルルル」」」」」
すると、魔獣の各隊列の中心にいる大きめの地竜たちが、四方八方に向かって声を揃えるように吠えまくっていた。
何故か周りの魔獣たちは、その魔獣を見てから乱れた隊列を整えていた。
「金ちゃん、何て言っているか分かる?」
(ちょっと待って)
彼は小窓を覗き込むと、耳をピクピクとさせる。
(ふむふむ。なるほど、なるほど)
「何て言ってるの?」
(えーと、ガオー! ガウガウ。ガルルルルって言ってる)
「「「「「訳せー!」」」」」
「シー。皆様、本当にお願いします。叫ばないで下さい」
「「「「「ご、ごめんなさい」」」」」
思わず叫んでしまった皆は、また、兵士に注意されてしまう。
皆は金ちゃんを睨みつけ、何かをグッと堪えているようだった。
「それで、金ちゃん。どんな内容を言っていたの?」
(えーと、それが……)
「それが?」
金ちゃんはもったいぶる。
(ガオー! ガウガウ。ガルルルルって言ってるようにしか聞こえない)
こちらを振り向き、頭を掻きながら、恥ずかしがる金ちゃんだった。
「「「「「……」」」」」
僕たちは唖然とするしかなかった。
訳せなかったんだったら、そう言えばいいのに……。
呆れるように金ちゃんを見ていたルビーさんたちが、いつの間にか耳に手を当てて小窓を覗き込んでいた。
「んー。ちょっと聞き取りにくいな。イーロ、ネーヴェ、分かるか?」
「これは、方言の強い感じの言葉ですね」
ほ、方言って……。
僕は、ルビーさんに答えるイーロさんを見て驚く。
「お、前たち、うろ、たえるな。まどわ、されるな。我らの……王は、シュミット王のみ。分かったら、どこ、ぞの、馬の骨に、耳を……かさず、隊列に戻り……敵を、蹂躙、するのだ。だいたい、こんな内容です」
片言の発音で、ネーヴェさんが訳してくれた。
皆は驚いた表情でネーヴェさんたちを見つめる。
(ぼ、僕だって、そんな内容かなとは思ったんだけど、確信がないから言わなかっただけだからね)
「「「「「嘘つけ」」」」」
金ちゃんが言い訳を言い出すと、皆は注意されないように、声をひそめて反論した。
妙に負けず嫌いなんだよな……。
僕は、彼を否定されることを嫌がる子供のように感じた。
僕たちは、監視所の休憩スペースにある椅子に座り、銀ちゃんたちからの報告を待ちながら、悩んでいた。
「さて、金ちゃんの念話が通じるのは分かったけど、どう運用したらいいかを考えないとだね」
「そうですね」
僕は切り出してみたが、アンさんが返事をしただけで、皆は黙ったまま、提案は一つも出ずに時間だけが過ぎていく。
皆は難しい顔をしているというのに、金ちゃんだけは他人事のように涼しい顔で、兵士が出してくれたお茶をすすっていた。
「金ちゃん、余裕だね」
(まーねー)
僕は嫌味を言ったのに、何故か、こっちがイラっとさせられる。
「なんで、そんなに余裕なの?」
(だって、あいつらを混乱させるだけなら、あいつらの隊列が動き出した時に、右に動きだしら、「違う。そっちは左だ!」とか言えば混乱するんじゃないの?)
「「「「「!!!」」」」」
僕たちは驚いて、金ちゃんを見つめる。
なんで、それを早く言わないんだ……。
別に同士討ちをさせる必要はないのに、欲をかいて、そんなことばかりを考えていた僕は、金ちゃんを見つめながら悔しさが込み上げていた。
それは、皆も同じようだった。
ビクッ!
皆の悔しそうな顔を見つめながら、勝ち誇った表情でお茶を飲んでいた金ちゃんが、急に身体を強張らせた。
バシャ。
その瞬間、お茶が宙を舞い、隣にいたエルさんにかかってしまった。
「アチッ! アチチ。ちょっと、何をしてんのよ! 私にこんなことをして、ここがユナハ国じゃなかったら、その首を飛ばされてるわよ!」
「「「「「シー」」」」」
叫んだエルさんを、皆が注意する。
「ご、ごめんなさい。でも……」
悔しそうに苛立つエルさんは、金ちゃんを睨みつける。
「エル様、ここがプレスディアだったとしても、臣下たちは笑うだけで、金ちゃんを咎めるものはいないと思いますよ」
「ハンネ、あなたは黙ってなさい」
ハンネさんやれやれといった表情を浮かべると、サンナさんが彼女の隣でクスクスと笑いだしていた。
エルさんがギロリと二人を睨みつけると、彼女たちはとぼけるように顔を逸らした。
金ちゃんは、エルさんを無視してジッとしたまま虚空を見つめている。
「金ちゃん?」
僕が声を掛けると、彼はハッとする。
(主、ごめんごめん。銀ちゃんから連絡が来て、敵軍ホイホイの設置が済んで、起動試験も無事に終わったって)
「思っていたよりも早く済んだようだね」
ピー、ピー、ピー。
監視所にある無線機の呼び出し音が静かになる。
ボリュームを下げているようだ。
兵士が無線に出ると、ケイトの声が聞こえ、念のために無線でも敵軍ホイホイの設置が済んだことを伝えたとのことだった。
「よし、ケイトたちに合流するよ」
「「「「「はい」」」」」
僕は小声で声を掛けると、皆も小声で返事をする。
そして、僕たちは偵察部隊の兵士たちにお礼を言って、監視所を出るのだった。
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