【第7回 「弱キャラ友崎くん」】
そろそろ友崎くんについて語るべき時が来たかもしれない。正確には、日南葵について。
現代のラノベ愛好者にとって「弱キャラ友崎くん」は課題図書と言ってもいいくらいのものであるが、しかしてその実態はというと、「みみみフーリガン」の専横がいささか目につきすぎはしないだろうか。
思い出してほしい。
皆がこの小説を手にとり、読み始めたきっかけは何なのか。
それは、作者である屋久ユウキが1巻のあとがきで書いている通り、フライ神の手による1巻表紙の日南葵のイラスト、正確には日南葵の太ももに惹かれたからではなかっただろうか。
それが今では、あたかもメインヒロインは葵のライバル(と本人は思っている)七海みなみの人気だけがうなぎ上り、ついには『このラノ』の女性キャラ部門でトップ10入りまで果たしてしまった。俺はもちろん葵に投票したが。確かに、『このラノ』女性キャラ部門はメインヒロインがランク入りしづらいのかもしれないが。「とある魔術の禁書目録」のメインヒロインは御坂美琴ではなく、たぶんタイトルから言ってもインデックスなのだろうと思うのだが、実際には御坂美琴のこのランキングにおける猛威っぷりは半端がない。もちろん俺も結婚したいくらいに好きだ。とはいえ「SAO」では正妻のアスナが長らくランク入りしていたし、七海みなみがランク入りするならリーファがランク入りしてもおかしくない気もするのだが、そこは「SAO」の多様性によるものか、単にキリトの周りに女性キャラが多すぎてアスナ以外の票が分散しただけな気もするが。
ともあれ、巻を重ねるごとに不遇度が増していく感のある日南葵であるが、不人気という形で現れている彼女のその状況というのは、実は、小説内における彼女の状況ともつながっており、作者が意図して作り出した状況であるとも言えるのだろう。まあ少し、作者のみみみ(七海みなみのあだ名)贔屓がすぎる気はするが。
小説の中で、いわゆる完璧ヒロインとしてリア充ポジションを維持し続ける日南葵であるが、読者はいわば有象無象のクラスメート、あるいは同じ学校の生徒のような目線で小説を読みながらも、作者が補完的位置づけの「.5巻」において三人称小説として葵の過去や内面を描くことによって、自然と読者にとっても彼女のその完璧さ、作られた完璧さに畏怖を感じるようになっているのではないだろうか。
タイトルにもなっている主人公の存在にはひと言たりとも触れていないわけだが、この小説はまあ、いわゆる「途中デビュー系」の小説である。
現実世界のままならなさから逃げるようにゲームに打ち込む友崎がスクールカーストの頂点、リア充オブリア充クイーン日南葵の薫陶によりリア充の頂きを目指す立志伝。
わかりやすく「弱キャラ友崎くん」を説明すると、こんな感じになるわけだが、どうだろうか、果たしてこの2行の読書案内を読んで、この小説を読んでみたいと思うだろうか。
あまりにもありきたりで、脳にキノコでも生えている中学生くらいしか読みそうもないような内容にしか思えないことと思う。
しかし、この小説には一つだけ、とても特殊なモチーフが組み込まれている。
それが、「アタファミ」というゲームの存在である。
この「アタファミ」は架空の、いわゆるコマンドバトル系の格闘ゲームであるのだが、これが、主人公友崎が現実世界の代わりに打ち込み続けた結果、ネットランキングのトップに昇り詰め、そして日々の努力によってその地位を維持し続けているゲームなのである。
このようにアタファミを説明してみると、果たして少し前に似たような説明がなかっただろうか。
リア充の頂点を目指す物語と、ゲームのランキングの頂点に昇り詰める、そう、この小説は、ゲーム世界で頂点に立った主人公友崎が、「現実こそは神ゲー」と断ずるダークヒロイン(と勢いで言ってしまっていいのだろうか)日南葵のスパルタ実践行動学入門の導きに従って、現実世界の日常をゲームに見立てて攻略していく様が描かれた物語なのだ。
実はこのアタファミというゲームは、完璧ヒロイン日南葵の、敢えて表現するなら弱点と言ってもいい存在である。葵はカーストトップのリア充を演じ続ける(あ、言っちゃった・・・)ためのテクニックとして、意図して「隙」を作るということをしていて、それは例えば「チーズ大好き」といった、少し微笑ましくツッコミどころもあるようなものだったりするのだが、実は葵はアタファミのプレイヤーでもあり、しかも、ランキング2位の実力者でもある。そう1位は友崎なわけであるが、二人の出会いはそもそもがネット対戦であった。
トップランカーとして君臨するnanashi=友崎は、NO NAME=葵がアタファミ世界において打倒すべき目標と定めた存在であった。
偶然その相手との対戦が実現し、そして、完璧な形で敗れた葵はNO NAMEとして、nanashiとのオフ会を提案する。そこで出会ったのがまさかのクラスメイト同士だった、というのが物語の導入部になるのだが、考えてみてほしい。この葵の行動は、少し彼女のリア充的スタンスから逸脱したものではないだろうか。
葵がnanashiに直接会いたいと考えた理由は、彼女がnanashiに対して、自分と同じ「頂点に立ち続ける者の孤高さ」を期待したということなのだが、その動機自体が既に、彼女の「作られたヒロイン像」からはみ出して、何か人間ぽさがあるように見えはしないだろうか。
一見すると葵にとって、アタファミというゲームもまた、彼女が信奉する唯一の価値観「努力が明確な成果となって現れる」に即したものとして、その頂を極めようとしているように見えるのだが、「それだけではない何か」がそこにはある、ということを作者屋久ユウキは小説の最初から暗に示しており、それがのちに8.5巻において、過去にあった物語として、葵とアタファミとの出会いをわかりやすい形で描いているのだが、個人的にはそれを書くのはもう少し先でも良かったのではないかとも思ったりはする。どうしても、人々は分かりやすさに飛びついてしまうものだから。ただ不思議なことに、その外伝的な物語を読んでそれがきっかけで葵のことを好きになる読者は皆無であろう。逆に、みみみ外伝はファン激増の殺人ウイルスバリの破壊力があるのだから、作者の身贔屓を疑うところである。
このアタファミは、物語の初期においては、友崎に現実世界攻略の経験値を積ませる上での納得させるための重要なファクターとして使われているのだが、中盤以降はしばらくその重要度を薄め、学校生活中心で物語は進行していくのだが、学校というクローズドワールドで一定の成果が出た結果、再び重要な要素としてアタファミは浮上している。しかも、新たなダークヒロインの登場とともに。そして、葵はそこでもまた、あっさりと読者の人気をぽっと出の新キャラにかっさらわれるという、ほんともう可哀想すぎる。
そんなわけで、本当はいい子なのにさっぱり読者に好いてもらえない不遇ヒロイン小説、それが「弱キャラ友崎くん」なのである。
夜中にふと目が覚めて、誰に読ませるでもなくこんなことを考えてみた。
いつか葵が幸せになることを祈りながら、俺は読みかけのラノベを片手にベッドに横になる。今日は葵の夢が見れるかもしれない(変質者注意!)。