【第6回 「オーバーロード」】
日曜日の午前十時ということもあって、駅前の広場は結構な人の出である。待ち合わせと思しきたたずむ人や、駅の改札に吸い込まれていく人々、出てくる人々で数分おきに混雑している。
本来の待ち合わせ時間にはあと三十分あるのだが、俺は駅ビルの本屋に行きたい気持ちを抑えて待ち合わせのトーテムポールの群れに加わった。もしくは人柱力。
たたずむこと数分。
「あれ、早いねえ〜」
文庫本のページから顔を上げると、果たして目の前には髑髏がいた。昔風に言うとガイコツ、いまどき風に言うとスカルだろうか。
俺が無言で眼前の漆黒に浮かぶ髑髏を凝視していると、
「ちょっとちょっと、人の胸あまり凝視しないでよぅ・・・ここは人の目もあるんだしぃ」
髑髏が喋った。
・・・ではなく、髑髏の頭上から声がしたので、俺は髑髏から目線を少し上げる。と、そこには見知った顔が。
「なんだ、麻里亜か」
スカルTシャツに黒いデニム、そして全身にジャラジャラとシルバーアクセを身につけた学友の姿がそこにはあった。日曜日の混雑した駅前でもかなり目立つ格好だ。
というか、学外で待ち合わせたのは確かに初めてなんだが、
「お前、いつものお嬢様風ファッションはどこに行ったんだ? お父様が泣いているぞ」お嬢様風というか、こいつは正真正銘のお嬢様なんだが。こいつの父親はちょっとした地元の名士ってやつで、地元民でその名を知らない者はいない。
「いやぁちょっと最近、人生のバイブル的な本に出会ってさ。今日はせっかくヨウとデートなんだし、一番の正装で来るべきでしょ?」
女子って付き合ってない相手と遊ぶ時でも普通にデートって言いやがるよね。非モテ男子大学生にはなかなか辛いんだが。とはいえ今日のこいつは長いフワフワしてそうな髪もうまくまとめてスカルキャップを被っているせいで男か女かはっきりわからない見た目をしているからドキドキはしないぞ、うん。
「なんだよ、人生のバイブルって」俺の場合は、高校生の時に出会った、ジェローム・サリンジャーの「フラニーとゾーイー」だな。
「えっとねぇ、うーんやっぱり恥ずかしいから内緒」
「いや、もうだいたいわかってんだけどな」
「え? もしかして私の心読んだ?」
そう言うと麻里亜は胸のスカルを両腕で抱くようにして身を引いた。妙に顔を赤くしている。と言うかこいつ、普段よりよっぽど女っぽいんだが。
「そんな能力には目覚めてねーよ」
「あ、なんだ、そうかぁ」
なんでそこで残念そうな顔をするのかは謎だがな。
「けどまぁ、ヨウがそこまで知りたいって言うんなら、特別に教えてあげてもいいよ。・・・その代わり、何でもひとつ言うこと聞いてよね」
「何でだよ! 俺はもう答え分かってるから別に教えてもらわなくてもいいんだが」
あとなんでさらに顔が赤くなってるんだ、こいつ? まさか熱中症?
「ちょっと涼しいところに移動しないか?」
「えっ? そんな急に言われても、心の準備が・・・今日のヨウは積極的だね。やっぱり正装してきて正解だった」
「どこか適当なコーヒー屋にでも入るか? それか、昼飯には少し早いけど、ファミレスでもいいか」
「ラブ○テルに行くんじゃないの?」
「ちょっ! 何言ってんの?」
俺は慌てて周囲に視線を走らせたが、幸い今の麻里亜の発言は雑踏の喧騒にかき消されていたようだ。
「そりゃ、ちゃんとしたデートも今日が初めてだし、私もそこまでは、・・・ちょっとしか期待してなかったけど。でも一応勝負下着は着けてきたし・・・」
なんだか小声でごちゃごちゃとひとりごとを言っている。
「はぁ〜生き返った、いや、蘇ったねぇ」
ドリンクバーから持ってきた何かの飲み物を一気に半分くらい飲み干した麻里亜は満足げにそう言った。
ここは駅前からそこそこ離れた場所にあるファミレスだ。まだ十一時前ということもあって、店内はかなり空いている。このままここで昼飯にしてもいい感じだな。
「ていうか、何だよその蘇ったってのは」
俺はもちろんその答えがわかっていたが、敢えて知らない風に振ってやった。
案の定、わかりやすく嬉しそうな顔をした麻里亜は、
「それはもちろん、アインズ・ウール・ゴウン魔導王陛下がナザリックに・・・あっ言っちゃった、ゴメン、今のなし」
「もう遅いわ! あれだろ? お前の人生のバイブルって、『オーバーロード』だろ?」
すると麻里亜はまた顔を赤くして、
「やっぱり、ヨウは私の気持ち気づいてくれてるんだ・・・」とかなんとかトリップしている。今日のこいつはなんか変だな。
とりあえず体をクネクネと揺らしながら奇怪な動きをしている麻里亜を放置してドリンクバーにおかわりをしに行く。メロンソーダと少し迷ったが、無難にカ○ピスにしておく。カ○ピスって飲みすぎると頭がキーンてなるのは俺だけだろうか。
席に戻ると麻里亜は正気に戻っていた。というか、こいつ、聖母の名前を持ちながらスカルファッションて冒涜なんじゃないだろうか。それとも案外そっちの宗教は天使とか悪魔とかの元祖だから逆にアリなんだろうか。
「それで、『オーバーロード』のどこが好きなんだ?」読書好きにとっては他人の好きな本の話を聞くのは好物のひとつである。
麻里亜が再度ウザくなる危険もあったが、どうやら大丈夫そうで、
「それはやっぱりアインズ様が超カッコイイとこかな」
なんか、「オーバーロード」の登場人物たちと同じことを言い出した。
「ということは、お前のそのファッションは、アインズになりたい願望ではなく、一ファンとしてアインズに同化したいという願望によるものなのか?」
「同化・・・」そこでまた顔を赤くし始めたが、もしかして熱中症になってるんじゃなかろうか。ドリンクバーで熱中症対策できるのか考えてみるが、結局カ○ピスがいいんだろうか?
「お前カルピス飲むか?」俺は自分の飲みかけのグラスを麻里亜の顔の高さで軽く振って見せる。
「えっ? そんな、いきなり・・・でも、うん、飲む」
「わかった、持ってきてやるからちょっと待ってろ」
俺がグラスを引っ込めるとなぜか麻里亜の手が空を切っていたが、蚊でも飛んでいたに違いない。
ちょっと店内が混みだしたか、席がさっきよりも埋まってきているようだな。そろそろ食い物を注文した方がいいかもしれない。
「ほら、カ○ピス」俺は麻里亜の前にグラスを置いた。
「ありがと」
麻里亜はそう言うとグラスを手に取ったが、なぜか視線は俺のグラスに注がれている。
「そろそろ昼飯注文しないか?」
「うーん、私あんまりお腹空いてない」
「大丈夫か? やっぱり体調悪いんじゃないか? さっきから妙に顔が赤いし」
「ううん、全然平気だよ? ただ乙女的にお腹が空かないだけ」
「そうか、じゃあ俺もやめておくか。あとでお前が腹減った時に一緒に食えないと困るしな」
「え、ヨウは注文したらいいよ。お腹空いてるんでしょ?」
「まあ少しは空いてきたけど、別に無理にここで食わなくてもいいし。て言うかお前、もしやアインズのロールプレイしてんのか?」アインズ・ウール・ゴウンは不死者なので飲食不要なのだ。もちろんカ○ピスも飲まないのだが。
「あ、わかっちゃった? そうなんだよ、えへへ」
「それはそうと、『オーバーロード』の話に戻すけどさ」
「うん」
「あの小説って要は勘違いの連鎖の物語だよな。中身が小心者の現代日本人なのに高位不死者のロールプレイを無理にして続けた結果、部下たちが暴走してどんどん被害を拡大していくという」
「うんうん、ナザリックの子たちはみんな純粋でカワイイよね。コキュートスとか、ペットにしちゃいたくなるし」
それはどうだろう、と内心でツッコミを入れつつ微妙に会話が噛み合ってない気がしてならない。
「実際、トータルでの人間の死んでる数は相当だよな」全人類が滅亡する系のSFほどではないが、ファンタジー系小説では相当な部類だろう。
「でもそれはアインズ様の偉大さを理解しない人間が悪いわけだし? 仕方がないんじゃない?」シャルティアみたいなことを言い出した。そのうち「ありんす」とか言い出さないだろうな。シャルティアは主要キャラの一人で、単独の戦力では最強クラスだ。物語の展開に不確定要素を持ち込むところは俺も好きなキャラである。
「アインズが好きってことは、やっぱアルベドの座を狙ってる感じか?」アルベドも同じく主要キャラであり、実質的にはメインヒロイン的なポジションになるんだろうか・・・? ヒロインという言葉が全く似合わない小説なのは確かだが。それにしてもアルベドは内政担当なせいか、アインズの右腕と言えるポジションの割に活躍が地味というか、ある意味不遇キャラなのかもしれん。個人的には角がある種族は苦手なので、あまり好きではない。
「ベドちゃんはアインズ様の第一夫人だからそれもいいんだけどぉ」そこで麻里亜は俺をチラッと見た。なんか嫌な予感がするな。
「やっぱり私がアインズ様なら、ヨウがデミウルゴスって感じ?」
おいおいおい、とんでもないことを言い出した。デミウルゴスは人間ではないので性別はよくわからないのだが、俺は完全に男と思って読んでいる。麻里亜、お前いつの間に腐ってしまったんだ・・・?
「まあ、デミウルゴスはある意味、この小説の中で一番話を大きく動かす重要人物ではあるよな」俺は素知らぬふりをして話を小説の内容に軌道修正する。
「そうなんだよね、やっぱりアインズ様とデミちゃんが結婚するのが一番丸く収まると思う」
そんなことになったらアインズの中の人、鈴木悟氏が憤死すること間違いないが・・・。
結局その後も「オーバーロード」の話を再三しながらも、妙に噛み合わない一日を過ごしたのだった。さすがに、後日大学で会った時には、元のお嬢様の姿に戻っていたのでほっとしたのは内緒である。