【第3回 「楽園ノイズ」】
時刻は深夜二時を回ったところ。大学生にとってはこれからが昼みたいなものである。
デスクに向かって座る俺の手の中には、一枚の葉書がある。
「AIRMAIL」とスタンプされたその葉書には、外国の、妙に大きな切手が貼られ、その切手の縁のギリギリまで使って書かれた俺の自宅の住所の上から、手で押しつけたように消印が強く押されている。細かな字でびっしり書き込まれた近況の下に、アルファベットで書かれた外国の住所と、そして、十年以上会っていない、幼馴染みの名前が書かれていた。
NAOMI YOKOI
「ナオミって名前は外国でも珍しくないのよ」
いつかの葉書にそう書いてあった。あと、日本人の女の子って、モテるのよ、と続けてあったが、俺の記憶の中の、小学校高学年の奈緒美の姿は、今にして思うと可憐で容姿も整っていたように思う。ロリコンということではない。
ともかく、小学校を卒業する前に、親の転勤で海外に引っ越すことになった奈緒美は、時々こうして俺に葉書を送ってくる。今なら電子メールで送れば一瞬で相手に届くのだが、俺たちはお互いにメールアドレスを聞くことはなかった。
なんとなくだが、奈緒美がいまだにこうして葉書を俺に送ってくるということ自体が、あいつを故郷につなぎとめるための何かなのではないかと俺は思う。だから、こうやって、アナログな手段で連絡を細々と取り合い続けることにこそ、きっと意味があるのだと思う。
俺はざっと葉書に目を通したあと、何げなく裏返した。
「む?」
ポストカードは昔の映画のポスターか何かのもので、古のスター女優と思しき美女がすすけた笑みで俺を見ている。奈緒美から送られてくるポストカードは毎回特に統一感があるわけでもなく、これといったこだわりもなく目についたものを買ったのだろうと思われるのだが今はそんなことはどうでもよくて、ポストカードの下の端のところに、小さな字で何か書いてある。
『何かオススメの本があったら教えて』
たったそれだけの文を、なぜわざわざこっちの面に書いたのかという疑問が浮かぶが、しかしそんなことはまあどうでもいい。自称活字中毒者(妹には中毒患者と蔑まれている)が、オススメの本を訊かれて奮い立たないわけがない。そして、たいていの場合、その昂りは盛大に空振りをする結果となるのだが。
俺は考える。
わざわざオススメの本を俺に訊いてきたということは、おそらく、自分が読んだことのない作家・作品を読みたいと思っているはずだ。
もっとも、俺と奈緒美は年に数回、それも葉書でやりとりをする程度のものなので、実際にはあいつの普段の様子を知っているわけもなく、そもそも読書という行為にどれほどの時間とお金を費やすタイプの人間かもわからない。
情報が少ない、ということはどういった戦術を選ぶのが最適か判断するのが難しいということだ。
たとえ海外生活が長いといっても、いまの時代ネットで日本の情報もすぐに入ってくる、正確には、入ってくるというより、見に行くことができるのだから、仮に奈緒美がそこそこの読書家だとするなら、いくらでも自分で調べて興味を持った作品があれば電子書籍で買って読むことができる。うん、どこの国に住んでいるかというのはもはや全く関係がないのかもしれないな。
俺は週に3度から5度は行きつけの書店のパトロールを怠らないが、足繁く通ったからと言って特別な一冊に出会えるとは限らない。何軒かの書店を回れば売れている小説のタイトルは検討が付くが、問題なのは、売れている小説が必ずしも面白い小説だとは限らないということだ。
ラノベ業界ですらそうであるのだが、一般文芸の世界ではベストセラー小説ともなると桁違いの発行部数を記録するもので、それはつまり、ベストセラー=普段あまり読書をしない人も読んでいる本、という図式が成り立つ。普段読書をしない人は、感想を言うときのボキャブラリーが極端に少ない。「感動した」「めっちゃ面白かった」「ラストが泣ける」それ言ったら、大抵の小説が当てはまるだろう。そもそもベストセラー小説しか読まないなんちゃって読書家は、読書という行為にそういった代償を求めがちだ。
もちろん俺だって、読書によって感動したいと思うし、面白い小説を読みたいとも思うけど、でもそれだけじゃない。活字中毒者は単に、活字を読まないと死んでしまうから読むだけなのだ。文字が並んでいるだけでその小説はすばらしいと思う。そして、読むことによって何かを勝手に得たり失ったりするのは読者の側だけのもので、それは作品そのものの本質的な価値とは何の関連性も持っていない。
だんだんと考えがこじらせ方面に進んできたのでいったん話を戻そう。
奈緒美に勧めるべき本についてだ。
そもそも俺が人に勧められる本と言えば、もちろんラノベしかないだろう。
実際には一般文芸も読まないわけじゃないし、そもそも一般文芸というのも大雑把すぎる括りだ。少なくともジャンルではないし、なんとなくだが、ここ最近の出版界は全体がラノベの侵食を受けている気がする。表紙のイラストやデザインもそうだし、ラノベでデビューした作家が一般文芸に移ってベストセラー作家になった例もあるくらいだ。
いつのまにかまた話が逸れ始めている。俺が奈緒美に何を勧めるべきかだが、ここまでの流れを総合すると、つまり、『ベストセラーではないラノベ』ということになるのだろうか。
とは言っても、ラノベにおけるベストセラーというのは、まあ、半分くらいはハズレだよ、という程度のレッテルなのでさして重要ではない。それよりもここで重要視すべきことは、『奈緒美が読んだことがあるかどうか』だ。ラノベソムリエとして、これだけは絶対に外すことのできないポイントだ。
とすると、俺に思いつくのは、奈緒美個人の趣味嗜好がわからない以上、必然的に一つの結論に至る。
つまり、『女子が絶対に読まない小説』ということだ。
最近のラノベ業界では女性読者の割合もたかく、特にベストセラーになっているもののうち、ラブコメにあまり大きく舵を切っていない系統の作品、『SAO』や『禁書』などは女子の読者もかなり多いだろう。
反対に、現代のラノベの主流とも言えるラブコメ系統のラノベは、敢えて客観的に言うならば、キモオタ男子の妄想の産物、ご都合主義、そんな見ず知らずの超絶美人な先輩が急にキモオタ童貞主人公を好きになったりしないよね、・・・これ以上踏み込むのは危険なのでここで撤退するが、とにかく、女性目線で見ると、ラノベに出てくる女子の大半は、作者と男子読者の妄想を満たすだけの愛玩道具のように映ることだろう。そんなものを涎を垂らしながら喜んで読んでいる自分の生き方を反省しないわけでもないが、しかし、ゴミのように量産されるラブコメの堆積物の中からわずかな量の宝石を見つけることに使命を感じ、たったひとりの俺だけの超絶ヒロインを求めて我々は読み続けなければならない。はいキモイですか、そうですか。
俺はデスクの引き出しを開けると、ポストカードの束を掴んだ。奈緒美に時々葉書を出すので時々買っているのだ。あと、その束の中にはラノベのキャンペーンとして時々配布される販促用のポストカードもかなり混じっている。あまり字を書くスペースがないので使ったことはないが、オススメの小説のポストカードがあれば、それを使うのが手取り早い。ただポストカードになるような作品は電撃文庫などの大手レーベルの人気作に限られるので、果たしてちょうどいいものがあるかどうか。
パラパラとラノベ特典のカードを探してめくっていくと、ふと目に留まったものがあった。
それは、電撃文庫の特典で配布された『楽聖少女』のカードだった。『楽聖少女』は杉井光の小説だが、ポトカードとして見るとほぼ絵師である岸田メルの作品とも言える。杉井光の大ベストセラーである『神様のメモ帳』以来のコンビでもある。岸田先生は最近では、錬金術を嗜む美少女たちを描くのが本業のようにも見えるがそれは余談だろう。
俺は『楽聖少女』のポストカードを見ながら考える。
杉井光は最近では刊行ペースが一般のラノベ作家の中ではそう早い方ではないが、キャリアを見ると、かなりの多作でもある。特に様々なレーベルから出しているという点も特徴に挙げられるだろう。
その作家性というか文体にはは極めて個性と特徴があり、読めばすぐに杉井光であるとわかるのだが、それにしても、この『楽聖少女』はいきなり人に勧めるにはあまり向いていないだろう。少なくとも、初めての杉井光作品として読むには舞台設定が特殊すぎる。中身は他と大差ないとも言えるのだが。
そう考えると、一般的に杉井光の代表作とも言え、特徴的にも杉井光的である作品ということになると、前述の『神様のメモ帳』や『生徒会探偵キリカ』あたりになるだろう。
しかし、だからと言ってこれらの作品を奈緒美に勧めようという気にはならなかった。
どちらの作品も、きわめて杉井光らしい作品であるけど、俺がいちばん好きな作品というわけじゃない。
俺が思うに、杉井光という作家は、稀代のペテン師だ。
俺は作家ではないのでわからないことだが、たぶん作家にとってペテン師という言葉は究極的には褒め言葉になると思う。
なぜなら、何も書かれてい紙の上に一文字一文字刻み込んで、まるでそこに何かがあるかのように見せる。ペテン師ではなくて何なのか。
そして、杉井光という作家は、その作品の中で、何度となく魔法のようなペテンを使って、読者の心をズタズタに引き裂いていく。ズタズタにして、その中から「本当のこと」を露わにさせる。
そして、その手法は、音楽を題材にした時にこそ、最も凶悪にその力を解き放つように、俺には思える。
そもそもの話、音楽について言葉で語ろうとすることそのものがおこがましく、そして無意味であると何より作者本人がそのことを深く理解しているからこそ、杉井光の小説の中で、言葉によって紡がれる「音楽」は、本物以上の禍々しい熱気のようなものを生み出す。
俺はそうした作品を読んだとき、その作品の主人公(作者と同じく、女子っぽい名前の男子)とまったく同じように頭が熱にやられて呆然虚空を眺める。
だからこそ、女性読者にはどうかわかってほしい。
杉井光の描く主人公は必ず、鈍感で自己評価が低くて変な劣等感に苛まれていて自分に自信がなくていざという時に逃げ出すくせに、男にも女にも好かれてどんどん周りから頼られているのにそのことに気づきもしていない鬱陶しいキャラクターだけど、これはキャラクターなんだということ。
現実に存在する人物じゃない。
小説だからこそ描ける熱と音と光に、どか一度だけでも触れてみてはどうだろうか。
俺は、ポストカードの束から適当に選んだ一枚に、奈緒美の住所と宛名を書くと、余ったわずかなスペースに、余計な説明も付けずにこう書いた。
『楽園ノイズ』
作者名も書かなかった理由は、奈緒美が本当に俺が勧める本に興味があるなら、自分で検索して調べると思ったからだ。
杉井光作品の中で、いわゆる音楽ものとしてまず挙げられるのは『神様のメモ帳』と同時期に書かれた『さよならピアノソナタ』がある。そして、これだけがあればそれでいいとも言えるのだが、俺の不満はたった5冊でこの作品が完結してしまったことで、その不満を埋めたのが後に書かれた『神曲プロデューサー』『東池袋ストレイキャッツ』であり、そして、久しぶりに発表された『楽園ノイズ』だ。
『楽園ノイズ』は言ってしまえば『さよならピアノソナタ』を現代版にアップデートした作品である。
しかも、アップデートと言いながら、『ピアノソナタ』に書かれていないことがひとつも書いていない可能性も高いのだけど、それは逆に言えば、『ピアノソナタ』にある哀しみやうずきやもどかしさや壁を突き破ろうとする衝動は全部そのまま『楽園』にも入っている。
俺は奈緒美に送るポストカードを眺めながら、想像する。
もしも『楽園ノイズ』を読んだら、あいつはどんな感想を抱くだろうか。
もしもそれが、言語化できるような何かではなく、ただ音楽を聴きたいという衝動であるのなら、それがこの作品に書かれたことのすべてである。そんな風に思った。