【第13回 「竜殺しの過ごす日々」】
「面白い小説とは何か?」
これは、活字中毒者が一度はぶつかる壁であり、そして、それは答えのない問いであるとも言える。なぜなら、それがわかってしまったときには、おそらく読書の楽しみは半減してしまっているだろうから。その出ないはずの答えを探し求めて、我々活字中毒者は、日々ページをめくり続けるのだ。
だが時に、この命題を酷く考えさせられる作家に出会うことがある。
赤雪トナ。
「竜殺しの過ごす日々」がベストセラーとなり、なろう系作家を次々に世に送り出してきたヒーロー文庫を代表する作家の一人でもある。
そして、この赤雪トナこそが、「面白い小説とは何か」を俺に考えさせる作家であり、それは同時に、この作家の面白さを人に伝えるのが酷く難しいということでもある。
俺は何でも読む雑食派を自認してはいるが、逆に文体には結構うるさいというか、好き嫌いがはっきり出てしまう。面白い小説は文体など関係なく読ませてしまう力を持っているので、一概に、文体の巧拙が作品の魅力に繋がるとは言い難いのだが、それでも、1ページ目、あるいは一行目から、「これはムリ」となることもかなり多い。俺の場合はそこで読むのをやめることはせず、「なぜこの小説は面白くいのか」を分析するためという昏い情熱で最後まで読み切るのだが。
赤雪トナは、はっきり言って文章がうまくない。特に、描写力や心情表現の繊細さといった、作家力的なものはカケラもない。流れるような文章が淀みなく綴られるといったこともない。
けれども俺は、赤雪トナの書く小説が好きだ。俺が作品ではなく作家そのものを好きになるケースは滅多にないが、赤雪トナはその一人である。
赤雪トナの小説は基本的には大体皆同じ内容であり、一言で言い表すと、「異世界チート」だ。図らずも「チート薬師の異世界旅」という作品などは文字通りそのまんまである。
そんな昨今のライトノベル界において、砂浜の砂粒の如く転がっているテンプレ小説であり、実際その内容もある意味においてはありきたりなのかもしれないが、俺はもはや、その部分については正常は判断をできない。というのも、こうして繰り返し、赤雪トナの作家としての普通さと凡庸さを強調していてもなお、名状し難い呪いの如き引力を感じてもいるからだ。
例えば赤雪トナは、視点が少しおかしい。基本的にはオーソドックスな三人称で叙述されるのだが、この三人称はしばしば、単なる視点では持ち得ないような情報をぽろっと、それも付け加えるような感じで出してくる。あまり重要ではない人物で、その後の人生についてあまりページを割く必要が内容な場合に、さらっとその人物のその後のことを語ったり、という、本筋にはあってもなくても重要ではないような情報を取ってつけたように叙述する。もはや、文章力が不器用すぎてハラハラしてしまうほどなのだが、そういった文章が、一つ一つレンガを積み上げていくように淡々と連なるのを読んでいる時、俺は永遠にこの文章を読んでいたい、という気持ちに駆られるのだ。
事実、このラノベ戦国時代において、一定数の読者を獲得していることからしても、俺以外にもこの赤雪トナの魔力に囚われた人間がそれなりにいることはわかっている。何しろ、ストーリーが面白いというわけでもないから、惹きつけるものと言ったら文体以外にはないはずなのだ。
そもそも、「ストーリーが面白かった」というのは、日頃小説を読む習慣がない人間が、ベストセラー小説を読んだ時に言う感想であって、我々重度の活字中毒者は、はっきり言って、ストーリーの面白さなんて求めてはいない。なぜなら、そこに文字があるから読む、それだけなのだ。
話は逸れたが、先にも述べたとおり赤雪トナの小説はだいたい同じ内容なので、今から「竜殺しの過ごす日々」を読むよりも「再現使いは帰りたい」を読み始めることをお勧めしたい
なんだか終始赤雪トナの悪口を書いているみたいな文章になってしまったが、大好きです。けど、誰かに勧めたりとかはしないだろうな。何しろ、「文章下手でストーリーも面白いわけじゃないから是非読んでみて」と言われて読む奴もいないだろう。
「面白い小説」それは見果てぬ夢かそれとも。




